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 Diary 2000・8月5日(SAT.)

妖怪 3

 妖怪の話ばかりして申し訳ないが、昨日の続きである。京極も言っていたが、「妖怪」と「心霊」というのは対立するものなのだ。「妖怪」は近代以前の産物で、「心霊」は近代の産物である。その最大の違いは、近代という人間中心主義の時代の産物というだけあって「心霊」は人間中心的な世界観を背景に持っている、「妖怪」は持っていない、ということだ。

「心霊」とは、人間の霊がこの世に残ってなんやかんやするという考え方で、要するになんか不思議な事が起こるとそれを全て人間の仕業にする、という「人間中心主義」的な考え方だ。どんな不思議な現象も、人間の能力(超能力を含む)や意志力(恨みなどの死後の意志も含む)が引き起こしたのだ、人間様は決して狐狸や河童にばかされたりしないのだ、という訳だ。

 対して「妖怪」は、なんか不思議な事が起こるとそれをそのまま肯定し、その上でその不思議な現象に名前をつけてそれと戯れる、という考え方だ。この世の諸々の事柄の大半が人間によって引き起こされるのなら、人間はその事に責任を持たねばならない。が、この世には人間の及びもつかない魑魅魍魎が充満していて、人間の出来ることなどほとんどない、という事になれば、もうそれと戯れるしかないではないか。

「心霊」的な考え方は生真面目であり責任感があるが、「妖怪」的な考え方は巫山戯ていて無責任である。「心霊」的な考え方は「進歩的」であるが、「妖怪」的な考え方は「保守的」である。どちらも一長一短ではあるが、根が不真面目な私としては、断然「妖怪」派である。だから進歩的で真面目で責任感も強い人達の不興を買い、しばしば批判・叱咤を受ける私であるが、神妙な顔をしてその意見を聞きながらも、腹の底では「そんなんどうだっていいやん」と思っているのだった。わっはっはっは、ピーッス。いや、ほんますんません。

 私は小さい頃から「ぬらりひょん」が最も好きな妖怪だった。「ぬらりひょん」は、お洒落をして駕篭を乗り回して金持ちのふりをして遊びまわる、という妖怪である。なんと素晴らしいではないか! ああ、私は「ぬらりひょん」になりたい、なりたい、なりたい。別にカフェの店主なんかになりたくはないんだよ。私がなりたいのは「ぬらりひょん」。ぬらり、ひょん、と。

小川顕太郎 Original:2000-Aug-7;