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 Diary 2005年6月26日(Sun.)

海辺のカフカ

 村上春樹著『海辺のカフカ』を読了した。何で今頃? と思はれる方もをられるかもしれませんが、ほら、文庫本が出たんですよ、この春に。私はあまり村上春樹が好きぢやないので、出版と同時に飛びつく、といふ事がなかつたのです。当時、周りでは大騒ぎになつてゐましたけどね。ババさんが思はずレビューを書いてしまつたり、しばらく来なかつたリカさんが来店して「『海辺のカフカ』の世界に引きずり込まれて、ここ最近は現実世界から逸脱してゐました」と告白したり。で、よし、それなら文庫本が出たら私も買つて読まうー、とその時に決心し、律儀にそれを実行に移した、といふ訳です。うむ。そして、驚いた。こ、これは大傑作ではないかァ!!!

 少なくとも、(現段階での)村上春樹の最高傑作である! と、私は勝手に断言したい。ッて、もしかして世評でもさうなつてゐるのかな? 私は世事に疎いのでよく分からないのですが、しかし、どうも私の村上春樹評は、世間の春樹評からずれてゐるやうなので。たとへば、一般に評価の高い『世界の終わり…』や『ねじまき鳥…』などは、それほどだとは思はないんですね、私は。私がイイと思ふのは『風の歌を聴け』と『ノルウェーの森』です。なんていふか、村上春樹は「邪悪なもの」との闘ひをよく描くぢやないですか。しかもその「邪悪なもの」を何か変なメタファーで描くんですよね。これがダメだ。これは、真剣な闘ひを回避する卑怯な(あるひは怠惰な)手、だとしか思へない。だからその手の作品には、どうにも乗り切れないのです。この『海辺のカフカ』も、確かに「邪悪なもの」がメタファーで登場します。ま、ジョニー・ウォーカーさんですよね。が、主人公の少年カフカは、直接この「邪悪なもの」とは闘はない。「邪悪なもの」と直接闘ふのは、ナカタさん(とホシノくん)です。ここがポイント。ナカタさん(とホシノくん)の存在によつて、この闘ひは一気にリアルとなり、作品は生々しく「文学」として成立するのです。安易なメタファーとの戯れ(闘ひ)を脱し、世界そのものがメタファーとなり、世界との真剣な格闘が文字上に現前する。しかし、ここまで平易で読みやすい散文で綴られた世界との闘ひが、かつてあつたであらうか(いや、ない。と思ふけど、今は思ひつかないだけかもしれない)

 と、いふ訳で、『海辺のカフカ』を読んで大いに感銘を受けた、といふお話でした。

小川顕太郎 Original: 2005-Jun-26;
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