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 Diary 2005年1月11日(Tue.)

熊野日記1

 熊野へと向かう。JRの黒潮号に乗つて京都駅を発車して4時間強。どんだけ時間かかんねん! 余裕で東京行けるやん! と思ふのだが、紀伊半島をグルリと廻つてエッチラオッチラ行くので仕方がないのだ。このルートは、その昔、熊野詣でをする人たちが通つた「熊野街道(大辺路)」にあたり、当時なら半月以上かけて苦労しながら皆が通つた道なので、4時間ぐらゐ屁でもない、とも言へる。聖地に入るのに、苦労なしでは失礼だ、とも言へる。が、私とトモコは熟睡しながら電車に揺られ、気がつけば紀伊勝浦の駅に立つてゐた。

 鄙びてゐる。いくらシーズンオフとはいへ、ほとんどの店がシャッターを閉め、人影が見えない。怖ろしく寒々しい光景だ。些か面くらひながらも、駅の前の道を真ッ直ぐ行き、港に出る。ここでイルカ号といふイルカの形をした船に乗り、紀の松島めぐりをするのだ。私とトモコを含めてイルカ号の客は計4人。やはり。それでも当然のごとくイルカ号は出発し、奇岩(ラクダ岩やライオン島、カブト岩、筆島など)や由緒のある(?)(平維盛が入水した島など)を経巡つた。ちなみに何故「紀の松島」と呼ばれるかといふと、あの仙台の松島になぞらへられてゐるからださうだ。うむ、2流感に満ちてゐる。松島や ああ松島や 松島や。むろんこの「松島」は「紀の松島」であり、この「ああ」は哀感の「ああ」である。

 太地(タイジ)でイルカ号を降りる。太地は日本鯨漁発祥の地と言はれてゐるだけあつて、鯨関係のものに満ちてゐるところだ。鯨の像が建つてゐたり、道路や建物の至るところに鯨の絵がある。降りた所が「太地くじら浜公園」で、捕鯨船や鯨の尻尾の像が迎へてくれた。嬉しい。私は鯨好きなのだ。椰子の木が並び、南国・紀伊を印象づけてゐる。我々は食堂でクジラカツカレーなどを食した後、くじら博物館へと踏み込んだ。ここがまた! 30年ほど時間が止まつてゐる空間であつた。暗く煤けた全体の雰囲気や、捕鯨をする赤褌の男達の人形などを見てゐると、秘宝館を思ひ出す。展示物も、鯨の睾丸や肛門、雌の性器や処女帯、胎児などのホルマリン漬けがあつたりして、正に秘宝館。数寄者には堪らない空間だらう。もちろん、私も堪能した。巨大な脳味噌のホルマリン漬けにはクラクラしたけれど。

 ここは他にもアシカショーやシャチショーをやつてゐて、私とトモコはたつた二人でこれらを見た。二人だけのためにショーをやつて貰ふのは悪いか? とも思つたのだが、誰もゐなくてもショーを始める勢ひだつたので、慌てて客席に駆け込んだのだ。無人の客席に向かつてショーをするアシカやシャチの姿など、想像するだけで怖ろしい。しかし、これらのショーはとても楽しかつた。明らかに我々のためだけに、我々に向かつて行はれてゐるのだ。私とトモコも、必死に手を叩いて、「ブラボー!」と叫んだ。寒空に、我々の声はほとんど吸ひ込まれていく。ハッキリ言へる事は、アシカもシャチも、ちつとも手を抜いてゐない、といふ事だ。多分、客が100人でも、同じやうにショーを演じただらう。動物ッてカワイイ。

 さらにラッコの餌づけ(貝をガラスに打ちつけて割る!)と水族館を見て、そこを出る。これだけの施設を(結果として)二人だけで借り切るといふ、贅沢な1時間半であつた。まるで王侯貴族になつた気分だ。王侯貴族ッてチョット寂しい。

 我々が泊まつた宿は、国民年金健康保養センター「くまのじ」。もう潰れてゐるが、悪名高き「グリーンピア南紀」の隣にある。なぜここを選んだのかといふと、それは、まァ、安いからである。公共の宿は安い。ただし、ダサい。なんでここまで、といふぐらゐイけてない。それに働いてゐる人々も泊まつてゐる人々も、ほとんどが高齢者だ。平均年齢が恐ろしく高い空間である。ま、それも面白いぢやないか、と泊まつてみたのだが、1人1泊1万円強(食事つき)。そして部屋は凄く広くて、20畳くらいの洋室プラス6畳の和室である。なるほど、よしとしやう。夕飯は「くじら御膳」といふ鯨尽くしの奴を頼んだ。刺身にサエズリ、ベーコンにオバケ、内臓、竜田揚げ、ハリハリ鍋…、うまい。最高である。鯨ッて、なんでこんなにおいしいんだらう。それは、あんまり食べられなくなつた、といふ事も大いに関係してゐるのだらうな。やはり、毛唐どもから捕鯨を取り返さなくては! と、憂国の情にかられながら、モグモグ食べる。食べ過ぎて、気分が悪くなつた。

 恐いモノ見たさで、ホテル内のラウンジ「夢幻」に行く。ダダッ広い店内に、案の定お客さんは我々の他に二人。カラオケで「ネオン川」「空港」などを熱唱してゐる。恐い。いや、なかなかイイ感じ。この寂れた情感満つる中に、日本の心をみた。やうな気がした。

小川顕太郎 Original: 2005-Jan-11;