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 Diary 2003・8月23日(SAT.)

封印された
殺人の記録

 雑誌「新潮 45」9 月号にて、日垣隆の連載『封印された殺人の記録』が完結した。飽きつぽい私が、ここ最近「新潮 45」を買ひ続けたのは、この連載を読みたいがためであつた、と断言しても構はないほど、素晴らしい連載であつた。

 この連載は、刑法第 39 条の理不尽さを告発したものである。刑法第 39 条とは、まあ、要するに頭がおかしいと判断されたら無罪になる、といふ規定のことだ。これのどこが問題なのか。まづ、事件が不起訴になる。つまり、どんな凶悪犯罪でも事件はなかつたことになり、殺人事件であれば、被害者は勝手に死んだことにされるのだ。

 これは被害者及びその遺族の人権を完全に無視した極悪な規定である。さらに、加害者を一人前の人間として認めない差別規定でもある。次に、さうして無罪になつた犯人の受け皿が存在しない、といふこと。我々は漠然と、頭がおかしいと判断されて無罪になつた犯人は、ちやんとさういふ人用の精神病院に収容されるのだらうと思ひがちだが、それは大きな間違ひ。日本にはそんなものはないのだ。一般の精神病院に、「配慮」として形だけ入院させるだけ。どの精神病院でも、そんな凶悪な犯人を受け入れるのはイヤだから、すぐに出してしまう。そして、またすぐに再犯、といふ場合が多々ある。精神障害と判断された犯罪者の再犯率は異常に高いのだ。(退院したその日に通りがかりの人を殺して捕まり、また精神病として無罪となつて退院してしばらくして人を殺し…といふパターンを繰り返してゐる人もゐるやうだ。信じられないことだが)

 最後に、これが最も問題ぢやないかと思ふのだが、どういふ人を頭がおかしいと判断するのか、その規定がない、といふ事だ。だから、裁判所の判断で、いくらでも頭のおかしい人間を量産できる、いい加減に無罪を乱発できる、といふ事態になつてゐる。どう考へたつて納得できないのは、酩酊者を心神耕弱として無罪にしてゐる、といふ事だ。つまり、お酒を飲んだり、覚醒剤を打ってから犯罪を犯せば、それで無罪になるのだ。え? 逆ぢやないの? と思つた人も多いだらう。さう、普通の感覚で考へれば、逆に罪は重くなりさうなものだ。実際、イタリア刑法では、酩酊者の犯罪は罪が重くなる。が、日本ではさうではないのだ。お酒で酔つぱらつたり、ドラッグでハイになつてゐると、まともな判断力を失つてゐるとされ、心神耗弱で無罪、となるのだ。さういふ判断を下す裁判官こそ心神耗弱ぢやないのか、と言ひたくなる。

 とにかく、そのやうな信じられない事例を具体的にいくつもあげながら、刑法第 39 条の理不尽をついたのがこの連載であつた。私は読みながら、何度も戦慄した。はやくこの連載が纏まつて単行本になることを望む。もちろん、即買ひします。

 今日は浴衣姿の人が多かつた。何故かな? 地蔵盆だからか。

小川顕太郎 Original:2003-Aug-24;