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 Diary 2002・10月26日(SAT.)

キャップ
(ヒップホップ)

 私が最初にヒップホップと出会ったのは、たぶん小学生高学年か中学生に入った頃。小林克也の「ベストヒット U.S.A」で、ハービー・ハンコックがスクラッチを小林克也に教えているのを見た時だと思う。その後しばらくしてブレイクダンスにはまった私は、ブレイクダンス用の曲としてヒップホップを聴き始める。当時買った、ブレイクダンス用の謎のコンピレーションテープ(カセットテープです)には、グランドマスターフラッシュやカーティス・ブロウ、何故かミッドナイト・スターまで入っていて、今考えると素晴らしい選曲ではあった。知らず知らずのうちに、ヒップホップクラッシックスや、80 年ファンクのクラッシックスを聴いていたことになる。

 で、高校生になると、RUN D.M.C や LL COOL J 、ビースティー・ボーイズなどの世界的ヒットで日本にもヒップホップブームがやってきて、私も当然それにのることになる。デフジャムのレコードを聴きまくりました。オリジナル・コンセプトとかパブリック・エナミーとか。その時は、まあ、格好もそれっぽくて、アディダスのスニーカーにスエット、頭にはキャップを乗せていた。いわゆる野球帽。しかし、その後、私はヒップホップとは付かず離れずの態度で接していくことになる。ア・トライブ・コールド・クエストやギャングスターあたりが新作を発表すると、それを聴くぐらい。格好は、完全にヒップホップ離れして、英国スタイル。細身でクラシカルな感じが基本になり、スニーカーとキャップとは全く無縁となってしまった。

 ところが、ここ 1 年ぐらいの話なのだけれど、ウエッサイ(西海岸のヒップホップ)にはまってしまい、自分の中でヒップホップが戻ってきた。実はウエッサイは、それが台頭してきた 10 年ほど前にいちおう聴いてみたのだけれど、その時は良さが分からず、レコードは全て売ってしまった。それが、最近はそのレコードをまた全て買い戻して聴いている。素晴らしい。なぜ 10 年前にこの良さが分からなかったのかと、悔しくてならない。だってこの 10 年のあいだに、スヌープもウォーレン G も来日しているんだよ。きっともう来ないよ。ああ、大学生の時(あるいはサラリーマン時代)なら、ライブに行けたのに。

 あ、時間がなくなったので、この続きはまた明日。

小川顕太郎 Original:2002-Oct-28;