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 Diary 2002・8月8日(THU.)

文字のある風景

 京都文化博物館にて行われている「古代日本 文字のある風景」という展覧会に行く。この展覧会は、副題に「金印から正倉院文書まで」と銘打ってあり、前から面白そうだと期待していたのだが、実際に行ってみると、拍子抜けものであった。

 まず、展示してあるほとんどのものが、複製品だった。まあ、もちろん私には複製品と本物を見分ける力などないので、別にいいじゃないか、と言われればその通りかもしれないが、やはり気分の上でのれない。別に私は学徒ではないので、「おお! これがあの有名な**か!」という、野次馬根性を満足させたかった。

 次に、量が少ない。入館料に 1000 円もとっているのだから、もう少し量がほしい。単純に損した気分になる。それから、これは量の少なさとも関係すると思うのだが、展示意図がよく伝わってこなかった。で、なんなの? という感じで、ほとんど何も印象に残っていない。しかし、これには私の側にも責任があるかもしれない。実は私は、寝不足のぼんやりした頭で行っており、さらに暑い中を歩いて博物館まで行ったため、朦朧とした意識で、会場をさまよっていたからだ。

 だからだと思うが、今こうやって日記を書きながら思い返しても、何があったかよく思い出せない。「論語」があったのは覚えている。しかし、「論語」があったのなら当然あってしかるべき「千字文」があったのかどうか、思い出せない。多分なかったと思う。いくらなんでも、「千字文」があったら覚えているだろう。……いや、あったかな? …自信がない。そもそも、本当に博物館に行ったのかどうかも怪しい…。

 皆も知るように、古代日本には、「論語」と「千字文」によって文字がもたらされた。4 世紀頃、百済の王仁によってだ。だからこの展覧会に「千字文」がないのはおかしい、と思うのだが。……じゃあ、やっぱりあったのかな?

 そんな事より、さっきから「せんじもん」と打って変換キーを押しても、「千字文」に変換されない!「戦時門」とか「千字門」とか出てくる。こんな事では駄目だろうが! 日本に文字がもたらされたのは、「論語」と「千字文」によってなんだぞ。もし本当に文字に対する敬意があるのなら、「千字文」は必ず登録されているべき言葉だろう。まったく、やれんよ。

 本日は陶器市があり、トモコとユキエさんは、清水さんのお店で、素敵な小皿やぐい飲みを購入していた。ちぇっ! うらやましいや。

小川顕太郎 Original:2002-Aug-9;