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 Diary 2001・5月17日(THU.)

小人の饗宴

 いよいよ「ヘルツォークに狂う」も大詰め。このあと会場を日本イタリア京都会館に移して続行されるのだけれど、そちらでやるプログラムは全て観てしまったので、個人的には今日で「ヘルツォークに狂う」は終わりである。一抹の寂しさを覚えながら、本日のプログラム『小人の饗宴』(1970 年)に臨む。

 これは出演者が全員小人という映画で、ある施設で所長の不在中に何故か小人達が大暴れするという、ただそれだけの映画。小人好きにはたまらない映画だろうが、私のように別に小人マニアではない人間に言わすと、ちょっと素材にもたれすぎなのでは? と感じた。そこそこ面白いが、今まで観たヘルツォーク作品の中では下のほうかな。

 時代的にいっても、この映画が撮られた 1970 年は小人が流行っていた。小人に限らず、所謂フリークス流行りで、フリークスという周縁に注目して中心を相対化・活性化するというのが文化方面での流行りだったはずだ。

 ヘルツォークのその後の歩みをみると、もともとそういった周縁的なものに対する強い嗜好があったのは事実だろうから、必ずしも時代の流行に乗っただけの映画ではないだろうが、やはりいささか流行に流された気味がする。いまだスタイルを確立できていない若き監督の若撮り、といったところか。

 ところでちょっと調べてみたのだが、出演者全員が小人、という映画は他にもあるようだ。『THE TERROR OF TINY TOWN』というのがそれで、出演者全員が小人の西部劇らしい。観たい! …と小人好きの人は思うのでしょうか。

 オパールでのヘルツォークブームを実証するかのように、みなみ会館にはババさん、ミツギちゃん、ショウヘイくん、オイシンが来ていた。終映後、みなで大宮の「つぼ八」に御飯を食べにいく。皆の『小人の饗宴』に対する評価は、ミツギちゃん・オイシンが絶賛、ショウヘイくんは「心が洗われるかんじ」、ババさんはちょっと首をひねっていて留保付きといった感じ。で、トモコがバッテン。「わたしはダメだったわ。80 年代アングラっぽいものを感じて…。」と終始無言でありました。

 そういえばショウヘイくんたちをみていて思うのだけれど、今現在この映画を観て楽しんでいる若い人達は、純粋に小人がかわいい・滑稽というみかたのようだ。が、この映画が公開された 1970 年頃は、学生反乱の時代相もあって、権威に対する反抗といった文脈で観られていたはずなのだ。荒れ狂う小人達に、既製の秩序を揺るがすなにものかを観ていたと思われるのだ(もちろん、単なる小人マニアの人達はのぞく)

 そして 80 年代というのは、そういった文脈を引きずりながらも、それが形骸化・商品化・ポストモダン化(?)した時代であった。だから、トモコのいう意味は私にはよく分かる。私も、自分の本棚にあるフリークスの写真集を何冊か思い浮かべた。

 まあ、ヘルツォークの映画はとっても 80 年代くさいんだけれど、例えば『アギーレ』なんかはそういった時代の制約を超えて屹立していると思える。それに較べて、この『小人の饗宴』にはそこまでの強度を感じられなかった。というのが正直な感想でした。

小川顕太郎 Original:2001-May-19;