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 Diary 2001・6月30日(SAT.)

ベトナムから遠く離れて/
東風

 日本イタリア京都会館に、浅田彰セレクション『若者よ、目覚めよ!』を観に行く。これは『ベトナムから遠く離れて』『東風』『北緯 17 度』の 3 本(ただし各回入れ替え)を一挙上映するという企画で、私は『ベトナムから遠く離れて』『東風』の 2 本と、その上映前に本日特別に行われた浅田彰氏のトークショーを観ました。

 京都という土地では、当たり前のこととはいえ、各所で目撃されている浅田彰氏ですが、私ははじめて当人を見ました。印象はといえば、わー学校の先生やん! というもの。いや、本当に学校の先生なのですが…。なにせずうっと書籍を通して認知していたもので、そのあまりの流暢な講議調にちょっと吃驚しました。講演や対談、インタビューの記録などを読むと、おそろしく明晰に話をする浅田彰氏ですが、加えて実際の喋り方は明確ではきはきしており、非常に分かりやすいものでした。

 トークショーの内容は、パンフレットに『歴史の授業』と題して本人が書いているものとほぼ同じ。これらの作品が製作された 60 年代後半の時代背景、主にベトナム戦争について、と、ヨリス・イヴェンス、ゴダールという両監督についての説明、そしてそれぞれの作品について、その意義と現在からの評価、といった内容でした。こういった作品群、プロパガンダ映画・実験的な映画・ドキュメンタリー映画は、その理解には前提となる知識がある程度必要ですし、ある一定のパースペクティブを与えられた方が理解しやすいものなので、浅田彰氏のトークショーは非常に有益。聴くことが出来なかった人も、パンフレットを買って読めば、理解が増すこと間違いなしでしょう。

 ただ気をつけなければならないのは、浅田彰氏の与えるパースペクティブはあくまでもあるひとつのパースペクティブに過ぎない、という事です。『東風』風に言えば、正しいパースペクティブではない、単なるパースペクティブだ、という事になるでしょうか。

 もちろんそんな事は分かりきったことだ、と言えるかもしれませんが、浅田彰氏の説明があんまり「見事」なもので、ついつい懐疑を忘れる人もいるのではないかと危惧します。浅田彰氏のトークは非ゴダ−ル的・非『東風』的なんですね。傷もなければ、中断もなく、矛盾も衝突もズレもほとんどありません。今日のトークでも、せいぜいウイリアム・クラインをイヴ・クラインと言い間違えた(それもすぐに訂正してしまった)くらいです。では浅田彰氏の与えたパースペクティブのどこが問題だったのか。

 これとてひとつの見方に過ぎないのですが、私なんかに言わせると、浅田彰氏のパースペクティブは左翼的に偏向しています。時代錯誤(あるいは敢えて反動)と言ってもいいくらい。

 例えばベトナム戦争についての説明ですが、アメリカ=悪でベトナム=善とは必ずしも言えない、と断わりながらも、全体として聞けば、そのように受け取れてしまうように、巧妙に話しをしています。あれは資本主義世界と共産主義世界の闘い、全体的な冷戦における局地的な熱戦・代理戦争だった訳ですが、浅田彰氏は、北ベトナムのバックにいたソ連・中国には一言も触れず、まるで大国アメリカ対小国ベトナムという弱いものいじめの構図でベトナム戦争を説明します。これは『ベトナムから遠く離れて』でも基本前提となっている「誤った」ベトナム戦争観なので、私としては是非とも一言触れてほしかった。

 また、私のような右翼的な人間のあいだでは、そもそも南ベトナム解放戦線なんてなかった、ごく少数の南ベトナムの抵抗者と北ベトナムの偽装民をとりあげて、まるで南ベトナムには反政府・反アメリカの大きな組織があるように左翼の連中が嘘をつきまくった、とまで言われています。まあこれは右翼的に偏向した意見としてもよいですが、ベトナム戦争に関してはいまだ左翼的に偏向した見方が圧倒的なようなので、あえてこれぐらいの事を言えば面白いのではないか、と私なんかは思います。

 また、ベトナム戦争はベトナムがアメリカに勝利した、と単純に言い切ってよいのか。確かにアメリカはベトナムから撤退した訳ですから、その時点でみればベトナムの勝利でしょう。しかし、現時点からみればどうか。アメリカが撤退した後のインドシナの情勢は、ベトナムがカンボジアに「侵略」したりして、圧制と内乱でぐちゃぐちゃです。バックにいた大国のひとつソ連は崩壊しました。それに較べてアメリカは、いまや世界に君臨しています。現在これらの映画を見直す意義は、まさにこういった情勢を見据えた上でなされて、はじめてあるのではないでしょうか。

 実はパンフレットに、佐藤真がベトナム礼讃の当時の風潮(ヨリス・イヴェンスに代表される)を批判するような文章を書いています。浅田彰氏はトーク中で、これにまっこうから反対します。私は、お! と身を乗り出したのですが、その反論が主に美学的なものだったので、少々がっかりしました。政治的に現時点から批判するのは容易いが、美学的にはまったく古びていなくて、かえって美しいくらいだから、これでいいのだ! といった具合です。この主張はいっけんもっともらしいですが、浅田彰氏のトークのように、左翼的に偏向した言説の中でなされると、単なる欺瞞としか思えません。政治の世界はモダンで、表現の世界はポストモダンで、という使い分けを普段からやっている浅田彰氏らしい欺瞞だと思います。

 なんだかまたしても浅田彰批判のようになりましたが、浅田彰氏のトーク自体はとても面白く、かつ有益。また映画も凄く面白かったです。長くなりすぎたので、今日はこのへんで。

小川顕太郎 Original:2001-Jun-1;