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 Diary 2001・4月18日(WED.)

若者

 頭にタオルを巻いた、大柄でなかなか男前の若者が、カウンターに座る。推定年令はだいたい 20 代前半。話しによるとオーストラリアに留学しているらしく、現在は京都の実家に帰省中、明日にはオーストラリアに戻らなくてはならないという。彼はブルースハープをやるブルースマンだ。私はブルースのことはよく分からないが、彼の好きだというロバ−ト・ジョンソンのことはそれなりに分かるので、話しをあわせると、猛烈にのってきて、音楽談義を始める。

 彼の話しの要点は、とにかく日本の音楽環境がいかに悪いか、いかに日本人が音楽を解さないか、ということ。ブルースの話しどころか、ロックの話しさえ出来ない、みんな J-POP を聴いて誰はいいどの曲がいいと言うばかりで、洋楽に関しては基本的な知識も好奇心もない。それどころか、洋楽なんてまともに聴いたこともないくせに、日本のミュージシャンが一番いいとかぬかす‥‥と、まあこんな具合。

 これらは、知識と経験にどうしたって限界のある若者にありがちの、いささか短絡的な意見といえよう。しかし、私は好感を持って受け止めた。何故なら、私だって昔はそうだったからだ。今でこそ歌謡曲にも一定の理解はあるし、なんでも洋楽が最高! 外国の音楽環境は素晴らしい! とは思わないが、昔は歌謡曲なんて聴いている奴はバカだと思っていたし、どう考えたって洋楽の方が素晴らしいとしか思えず、外国の音楽環境に憧れを持っていた。そして、実はこの短絡的な考えも、9 割はあたっているのだ(と現在の私も考えている)

 なぜなら、そもそも日本には「芸能」はあっても「音楽」なんてないからだ。「音楽」は外国から輸入されたのだ。クラシックにしろジャズにしろロックにしろソウルにしろポップミュージックにしろ、みなそうだ。だから、どうあがいたって洋楽の方が上だし、音楽環境も外国の方がよいのだ。これは厳然たる事実だし、この事が分からない・認めない人間は、短絡的な若者にバカ呼ばわりされても仕方が無いのだ。と私は思う。

 ところで、歌謡曲というのは「芸能」である。その事が分かれば、歌謡曲が好きな人達の気持ちは納得できるし、歌謡曲を音楽=洋楽の基準で裁断するのは間違っている、という事も分かる。でもねー、あの J-POP とかいうしろものはなんなんだ。「芸能」としての魅力は薄れているし、「音楽」としても 2 流。あれだけを聴いて喜んでいる人達は、やっぱバカだと思う。ありゃりゃ、私は 30 歳を過ぎてもいまだ短絡的な若者か。

 その若者が帰ったあと、ショウヘイくんがカウンターを片付けながら、忘れ物をみつける。件の若者のもので、病院の診察券だ。それをみてショウヘイくんが叫ぶ。「えええ! 彼、今年で 17 歳ですよ!」な、なに、17 歳! 若い!! 17 歳にしては老けてみえる青年だった。でも、まあそんなもんか。

 そういえば可能涼介から電話があって、「童仙坊」の「坊」が「房」の間違いだった、と訂正された。あと、「童仙房」でインターネット検索すると、たくさんヒットするらしい。ほんとに秘境なのか? それでも可能は行く気満々だ。誰か彼とともに秘境探険する気のある人はいませんか? もしいたら、わたくし神山まで御一報下さい。

小川顕太郎 Original:2001-Apr-20;