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 Diary 2000・10月24日(TUE.)

ジョン・レノンを抱きしめて

 また、やってしまった。鍵を店に忘れてきたのだ。仕方ないので、またしてもショウヘイくんに電話をし、開店前に来て貰う。ほんとうに申し訳ないです。今日はちゃんと私も開店前に店に行って、店の前でショウヘイくんを待っていたので、開店準備こそショウヘイくんに手伝って貰ったものの、あとは一人で店をやる。なぜ同じ失敗を繰り返すのか、と自己嫌悪に苛まれながら。というのは嘘で、暇やなあこんなんやったら開店時間を遅らしたらよかった、などと考えながら欠伸をしていた。

 暇なので、隣りの本屋で買ってきたミュージック・マガジン増刊『ジョン・レノンを抱きしめて』を読む。これは 1980 年 12 月 8 日にジョンが凶弾に倒れてから 2 カ月後に出されたミュージック・マガジン増刊号の復刻に、現在の時点での新しい原稿を何本か追加したメモリアル・エディションだ。

 実を言えば、などと改まる必要は別にないのだが、私はジョン・レノンの圧倒的な影響を受けている。私は自分が中学生の時に何をしていたのか、さっぱり覚えていないのだけれど、ひたすらビートルズとジョン・レノンを聴いていたのだけは記憶にある。とはいえ、その後はまったくビートルズもジョンも聴いておらず、この 15 年ほどはあまり頭を掠めることもなかった。

 しかし、それでもなお、私はジョンの圧倒的影響を受けていると、この『ジョン・レノンを抱きしめて』を読んで再認識した。私は勿論、ここに収められている文章を読むのは初めてだ。が、どれもこれも、すでに何度も読み、熟知している事柄が書かれているように感じた。私の考え方の核というか、感情の原基のようなものが、ジョンによって作り上げられているという事を、改めて思い知らされた。ジョンの魂は、私の中にもある。

 この雑誌には年表とともに発言集成が収めてあるのだが、その最後の発言、つまり殺された日にラジオで喋った発言を、ここに抜き書きしておく。私はこの発言は知らなかった。そして、今回それを読んで感銘を受けた。死ぬ日にこんな発言が出来るジョンは、やはり凄かったと思う。

「僕が一緒に仕事をした芸術家はふたりしかいない。ポール・マッカートニーとオノ・ヨーコだ。それはとても良い選択だったと思っている。」
小川顕太郎 Original:2000-Oct-26;