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 Diary 2000・11月8日(WED.)

重信房子捕まる

 ちょっと立て続けにオーダーが入ったので、バタバタとしてしまって、鍋一杯に作りたてのチャイをひっくり返してしまった。とりあえずオーダーされたコーヒーなどを出した後、オイシンとともにヒーヒー言いながらキッチンの中を掃除していると、突然オイシンがこう言った。

「そういえば重信房子が捕まったらしいですよ。高槻で。」

 私は一瞬頭の中が真っ白になった。重信房子が捕まった? 高槻で? 何で重信房子が日本にいるの? いつ帰ってきたん? その重信房子って本物? などと疑問が頭の中に渦巻く。オイシンに尋ねても、答えがかえってくる訳もない。しばらくすると家にいるトモコから電話がかかってきた。

「重信房子が捕まったって! しばらく前から西成に潜伏していたそうよ。」

 そうか。やっぱり本当に捕まったのか。なんだか嘘みたいだ。重信房子は捕まらないと、何故だか思いこんでいた節がある。それなのに、レバノンの地でならともかく、日本の高槻で捕まるとは! 高槻なんて近所やん! 幼い頃に、「3 時のあなた」などで、重信房子が機関銃を手に持ち長髪を風になびかせて砂漠に立つ写真を見て以来、秘かに重信房子ファンになっていたと思しきトモコは、かなりショックを受けているようだ。トモコは言う。

「ポーもショックを受けて落ち込んでいるよ。」

 そうか。ポーもショックを受けているのか。そういえばポーは赤色だったが、赤軍だったのか。

 私は赤軍とは思想的立場を異にするし、赤軍の存在価値はもうなくなっただろうと考えていた人間だが、このように惨めに重信房子が日本に帰ってきて捕まったのを聞くと、一種の感慨を禁じ得ない。彼女達は 1971 年に、「世界同時革命」達成のための国際根拠地を作るためにレバノンに渡り、アラブ赤軍を結成した。そして北朝鮮や南米などにある国際根拠地の仲間達とともに「世界同時革命」を起こし、日本に凱旋する予定であった。それが、反対に居場所がなくなり、追われるように日本に帰ってきて、捕まるとは!

 もう左翼は本格的にダメなのだろう。左翼でいまだに革命を信じて目指している人間・団体なんているのか? いるんだな、これが。柄谷行人と NAM。柄谷は本気です。最近は「原理」という本まで出して、ますます本気度を高めています。ちなみに可能涼介も NAM に参加したそうです。可能と言えば、NAM に否定的な鎌田哲哉と親しくしていて、今度一緒に雑誌を作るはずだが、大丈夫なのか?

「いや、もう東京では NAM はバカにされまくっているんだよ。浅田さんが参加したから表だって貶す人は減ったけど、みんな柄谷さんの事をバカにしまくっている訳。オレは生き恥さらしても平気な柄谷さんは信用できると思うよ。クリエイティブパワーを感じるし。だから参加したの。鎌田さんとは揉めるかもしれないが、仕方ないや」とは可能の弁。

 田中康夫も長野県知事になった事だし。これからどうなっていくのか、楽しみではある。それにしても浅田彰のフィクサーぶりには、ほとほと感心させられる。恐るべし浅田彰。

小川顕太郎 Original:2000-Nov-9;