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 Diary 2000・8月25日(FRI.)

自転車泥棒

 最近トモコが自転車を欲しがっている。今日も元ナチュラルサイクル店員のヤマネくんに何やら相談していた模様。自転車か…不吉な予感がする。自転車とはいえ、いいやつになれば簡単に 10 万円は超える。自転車といえば盗まれるか悪戯される、というイメージがあるので、なかなか高いものには手が出ない。それでもかっこいい奴となれば、そこそこの値段はする。ううむ、難しいです。

 例えばタクヤくんなど、いい自転車を持っていてそれでオパールに来る人は、店外に自転車を厳重に鍵をかけてとめたうえに、さらにサドルをはずして店内にまで持ち込んでいる。それぐらいしなければダメなのだろう。

 これはタクヤくんのセリフだったのかどうか忘れてしまったが、自転車を盗むような奴はどんな酷い目にあってもいい、というのがあった。その気持ちは分からないでもないが、ちょっとねえ…いや、まあその、ごめんなさい! 私は高校時代、自転車をぱくりまくっていました。駅から学校まで歩くのが億劫なので、駅前に放置してある自転車をぱくって、それで通学していました。もちろん、何日も放置してあって、明らかに捨てられていると判断したものに限り盗っていたつもりなのですが…いいわけにしかなっていませんね。

 とにかくチャリンコなんか盗られて当たり前、という感覚が抜けないので、なかなか自分でいいものを買おうとは思わない。10 万円以上なんて…考えられない。そんなものチャリンコではない。自転車かもしれませんが。

 という訳で、ヴィットリオ・デ・シーカの『自転車泥棒』を観る。ゴダールの『映画史』にも引用されていた映画だが、これは自転車泥棒というよりチャリンコ泥棒だろう。だってそんなに高い自転車の訳ないんだから。それでも、この映画の主人公にとっては命にかかわるぐらいの価値がある。何故なら、この主人公は 2 年間失業し続けた果てにやっと得た職を、自転車がなければ奪われてしまうからだ。とすればやはりこれは『自転車泥棒』か。

 必死になって盗まれた自転車を探し回る主人公親子の姿が痛ましい。これを観ていると、やはり私としても自分の事は棚にあげて、自転車を盗むような奴は許せん! と思われてくる。何があっても自転車を盗んだらいかん! 自転車泥棒は射殺だ!! とか思っていたら、窮した主人公が最後に他人の自転車を泥棒してしまった。が、すぐに捕まってみんなにリンチ。…つらいです。私も学校までちゃんと歩いて行けばよかった。

 レストランで食事をするシーンがあって、そこでブルジョアの子供が出てくるんだけれど、そいつの顔が凄い。もう、ガキのくせにこれ以上ないっていうぐらい酷薄の顔をしている。対して、主人公の息子の顔はいい。純真で真摯な感じがする。こ、これがネオレアリズモか!? レアリズムっていうのがひとつのイデオロギーであるっていうのがよく分かるシーンだった。いや、別に皮肉っている訳ではないです。名シーンだと思いました。

小川顕太郎 Original:2000-Aug-27;