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 Movie Review 2004・1月9日(FRI.)

ブルース・
オールマイティ

 90 年代ベスト・コメディを上げるとするなら、ベストテンに必ずランクインするであろう(しませんか?)『エース・ベンチュラ』『ナッティ・プロフェッサー/クランプ教授の場合』の監督トム・シャドヤックの新作、ジム・キャリーとは『エース・ベンチュラ』、『ライアー ライアー』についで三度目のコンビ、バチグンワクワクものですけど(略してバチワク)、『ブルース・オールマイティ』とはすなわち「全能のブルースさん」、どうやら J ・キャリーが「全能の神」の力を手に入れて大暴れ、みたいな話とすれば、さてはキリスト教宣伝映画か? さしずめ説教くさい話であろう、T ・シャドヤックともあろう者が(よく知りません)キリスト教プロパガンダのお先棒を担ぐとは、ああ世も末ぞ、と一人ごちつつ鑑賞に臨んだのですが大丈夫でした。ババーン!

 J ・キャリー扮するは地方テレヴィ局報道番組レポーター、めざしているのはアンカーマン、ってよくわかりませんが、ニュース・ヴァラエティのスタジオであれこれコメントを垂れる、日本で言えば久米宏や筑紫哲也みたいなヤツ、しかし現実は「ギネスに挑戦! 世界最大のクッキー!」みたいなほのぼの系トピックの現地レポートばかり、やることなすことうまく行かず、「神様はどこまでボクを貶めるの!? 神様上等!」と毒づいたところ、現れたのはモーガン・フリーマン扮する神様、曰く「ワシはしばらく休暇を取るから、お前、神様やりなさい」、と手に入れた全能の力で J ・キャリーやりたい放題ウハウハ、調子こいていたら…というお話、「ああ、やっぱり神様の力を敬わないといけませんね」との教訓を得る…ってやっぱり説教くさいのですが、ここでの「神様」はキリスト教的な神というより、人間の意思ではどうにもならない「世界の調和」「自然の摂理」的概念の象徴としての神であり、例えばアメリカ・キリスト教憎しのイスラムの方がご覧になられても大丈夫なのではないかしら? と、愚考するのですけど、そんなことはどうでもよくて問題は神様を演じるのがモーガン・フリーマンすなわち黒人であることで、たとえばミケランジェロ描くところのシスチナ礼拝堂天井画のように、神様といえばヒゲをはやした白人であったのが、この作品にしても、一昨年だったか『悪いことしまショ!』にしても、神様は黒人として登場し、この「神様イメージの転換」がどのようになされたか? をつらつら考え、恐るべき謀略に気づいたのですが紙数の関係で述べることができないのが残念です。

 って、そんなことはどうでもよくて、映画の中で引用されるはフランク・キャプラの名作中の名作中の名作中の名作『素晴らしき哉! 人生』、『ブルース・オールマイティ』の作り手がめざしたのは F ・キャプラ的道徳、J ・キャリーが悔い改めて到達するのは、ジェームズ・スチュアートが「素晴らしき哉! 人生」と意気揚々と宣言した心境と同じでございましょう。とりあえず、事故にあったら超心配してくれる人がいる、それだけでも、いやあ人生って素晴らしいですね、と私は呆然と涙したのでした。

 と、感動している場合でなく、J ・キャリーのコメディアンとしての特質は『エース・ベンチュラ』あるいは『ふたりの男とひとりの女』のように、「感動」とはまったく無縁のところで、というか、お約束の感動をアナーキーに破壊する地点でこそ威力を発揮するわけで、物足りないといえば物足りませんが、ない物ねだりでございます。

 J ・キャリーのライバルがアンカーマンに就任してやらかす言語崩壊ぶりには涙が出るほど笑ったので良しとしましょうか? って誰に聞いているのかよくわかりませんが、いつかまた J ・キャリー+トム・シャドヤック監督の、ただ観客を笑かすことだけに専念した作品が見たいという期待もこめてオススメ。

☆☆☆★(☆= 20 点・★= 5 点)

BABA Original: 2003-Jan-7;

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