京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

Home > Reviews > 00 > 0324
Movie Review 2000・3月24日(FRI.)

マグノリア

 誰にも自分独自の時間のペースというものがある。昔ある友達が、音楽も映画も嫌いだ、と言っていた。進行時間を自分で決められないからだという。なるほどと思った。

 まずこの『マグノリア』は、モザイク状に登場人物の個々の時間を見せていくのだが、時間の流れるスピードが、速かったり遅かったり、まったく一定でない。最初は、手短にエピソードを並べているだけかと思い苛々させられたが、途中で、これが登場人物たちの「主観的な時間」に従ったスピードであることに気がついた。おのおのの生きるステージ、あるいは個々の性格によって、せっぱ詰まった時間、あまり重要でない時間、永遠にも感じられる時間などさまざまな時間があり、それらがこの映画の中で重なり合って行く。

 さて、突然すっ飛ばすが、見終わったとき、これを男の監督の作品だとは、正直思わなかった。『ブギーナイツ』は楽しんで見た作品だったけれど、名前をすっかり忘れていたのと、今回は前評判を殆ど聞かずに見に行ったからだ。しかし「行き過ぎたペニス信仰」というべきか。余りの男性性の誇張(“exaggerated masculinity”というのかな)が、前回も今回も滑稽さを醸し出していて、まるでフェミニストの作品みたい。トム・クルーズ扮するフランクが母親と父親との関係からああいう人になったというのも、どこかで聞いた精神分析系のフェミニズムみたいだ(はい、私はそれで修論書きました)。先に書いた時間の問題も、なんだか多元主義的? なんて言いたくなる感じ。まあ、何でも PC 的(ポリティカリー・コレクトネス:誰か解説して)に取っちゃうと面白味半減なんだけど。

 というわけで、ストーリーそのものにはそれほど独自性を感じなかったのだが、なかなかどうして、マルケスばりの不条理さ(蛙のことですよもちろん)を急に持ち込んだり、いきなり全員に歌を歌わせる(最悪!(笑))など、こまごまとしたところで、この映画はいい。

 一番良かったのが、クリスティの部屋にかかったなかなかいい絵に、“But It Did Happened”(確か)と書いてあり、それがちょっとした奥行きをこの映画に与えていたことだ。何といってもこの絵がフィオナ・アップル(ともう一人)によって描かれていたことをクレジットの最後の方で知って、私はちょっと感動した。フィオナといえば、彼女の悲痛な幼少(10 代かもしれないが)体験で有名だ。彼女の絵を使うことで、クリスティの体験を現実にぐっと引きつけることに成功している。ただし、アメリカのポップシーンをある程度知っており、なおかつクレジットをじっくり見る人間以外は気がつかない仕掛けであるところが、ちょっとスノッブ臭いが、これくらいのスノビズムは、私個人としては全然 OK 。

 ついでに言うと、『マトリックス』で、ネオのお腹から虫を取り出す時の、“I think he's bugged”という台詞も、私は好きだった。bug とはもちろん、ネット上ではおなじみの言葉。あの台詞によって、マトリックスの登場人物のサイバー的存在感が強調されるのだ。蛇足だが、日本では「2000 年問題」なんていう色気のない言葉で通していた‘Y2K’は、英語では‘Millenium Bug’とも言っていたと思うのだが、中国語ではなんとそのまま「千年虫」! ちょっとカッコイイ。

 話がそれたが、『マグノリア』は、極めて今っぽい、悪く言えばとりとめのない映画。これを内容なし、と見るか、内容多すぎ、と見るか、それとも自分のいらない部分を全部無視して「ここが好き/嫌い」と見るか。『マグノリア』はそれら全てをサポートしているのかも知れない??

Nyagobitch Original: 2000-Mar-24;

レビュー目次

Amazon.co.jp アソシエイト