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サラテク 5
解説

Salaryman technocut

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サ ラ リ ー マ ン テ ク ノ カ ッ ト 5

 モリッシーの新作『サウスポーグラマー』が発売され会社から帰っては聴き惚れる毎日である。今回の新譜の良いところは前作『ヴォックスオール・アンド・アイ』ではなりをひそめたかに思えたモリッシーの悪意が再び燃えあがり、それが音楽スタイルと拮抗を保ちモリッシー独特の色気を降り撒いている所だ。そもそもモッドでダンディーな私にとって“悪意”と“スタイル”が最も重要なものであり、それは音楽だけでなく生活全般にわたって必要かくべからざるものであるのだが、音楽に限っていえばスタイルもなく悪意をまきちらしている音楽も、悪意なくスタイルのみに凝る音楽もどちらも聴く気がしない。その点でいえばザ・スミスというのはモリッシーの悪意というよりは殺意が、禁欲的な音楽スタイルとほとんど奇跡的な結合をとげたバンドであったしソロになってからのモリッシーはザ・スミスほどの強力なスタイルこそ持ちえなかったものの常に“スタイルへの意志”というものが感じられ、特にミック・ロンソンをプロデューサーに起用した『ユア・アーセナル』はそのグラマラス・ロックというスタイルの下ザ・スミス時代に優るとも劣らない素晴らしいアルバムに仕上がり狂ったように愛聴したものだが今回の『サウスポーグラマー』はそれに続く出来映えだと思われる。

 悪意というものはスタイルを得てこそより強く深くなるもので最近の事例でいえば松本智津夫が麻原彰晃というスタイルを得て強力になった例があるが、この例はそのスタイルが杜撰なものだとすぐダメになるという事も同時に示しているのが良いところだ。この“悪意”“スタイル”をニュークリア風に“意志”“論理”と言い換えてもよい。てなわけで論理を鍛えることは非常に大事な事なのだがそれは「ニュークリア」にまかせてしまってとりあえず私は“悪意”“意志”の方で話をすすめようと思う。

 私は“悪意”と“意志”を簡単にいれかえてしまったが当然の事ながら意志というものは悪意ばかりではなく他にも様々な形があり得るわけで、それでもあえて“悪意”を選んだのはそれこそが私の持ち得る唯一の意志だと思えたからだ。田舎者でもない私は“上昇志向”という強力な意志を持ちえず、会社ではマニアックな人間とかん違いされてはいるもののとてもマニアの人々の持つ類の強烈な意志をも持ち得ず、ただ現世に対する悪意のみが私を支え私を MOD たらしめている。しかしこのようにいけしゃあしゃあと「私は現世に悪意をもっています」と書くような人間が本当に悪意をもっているといえるのだろうか。確かに世間――といっても色々あるが自分の憎んでいる世間との接触がほとんどなく暮らしていた頃は抽象的で純粋な悪意が常に自分の中にあるのを感じることができ、スーツ姿のサラリーマンを見れば吐き気がしコンパ帰りの大騒ぎしている大学生や宴会がえりの酔ったサラリーマン達とは一触即発で爆発しかけた事は何度でもあった。私と智子との結婚を認めようとしない親も憎かったし、それなりの悩みと虚しさと諦めを抱えながらもやたらとやかましい周りの大学生達も憎かったし、なによりあのダサいスーツ姿のサラリーマン達はその存在だけで処刑に値するかと思われた。

 それが大学四年の時に親が折れて学生結婚を認めそれにこたえる形で一応就職を決めた辺りから様子が変わってき、ピリピリしていた入社一年目を過ぎ三年目も終えようとしている今、フト自分の周りで働いている唾棄すべきサラリーマンである同僚をみて彼らに対して悪意があるかといえばはなはだ心もとないのだ。自分自身がサラリーマンになってしまったという事情もあるがかといって私は会社に対する忠誠心はこれっぽっちもないし、同僚達に対しても距離をとり会社で行われる行事には一切参加せず飲みに誘われてもほとんどの場合お断りしている。たいていの人間は会ってしまえば良い人間だったという話もあるし憎むべきはシステムであって具体的な個人ではないという意見だってあるだろうが、例えば過労死した人の話などを色々と読んでみると会社への忠誠心から働き過ぎるというよりも一緒に働いている同僚達への義理から働き過ぎるというパターンが多いらしい。つまり真に憎むべき敵は目に見えないシステムや思想だとしても、それらは具体的な身の周りの人々を通して顕現するのだから無意識にそういうものを体現してしまっている同僚たちに対しては人柄の良さ如何にかかわらず悪意をもちつづけなくてはならない。ならないのだが心が弱くともすればフニャフニャとなってしまう私としては断固としてスタイルが、悪意を強固たらしめるスタイルが必要なのでありこれが社会人 3 年目にして MOD 宣言をした顛末なのだ。元祖ダンディーであるボー・ブランメルは上司から田舎への転勤を命ぜられた時ダンディーは都会で生きるものだというスタイルを守って即座に辞表を提出したという。私もそうありたいのだ。

 さてそれでは何故 MOD 宣言のうえにさらにテクノなどということを言いだしているのか。私の持つ憎悪のひとつに物事をなんでも曖昧にしてしまう世間に対するものがあるが、考えてみるにこの憎悪の中には全てをはっきりさせたいという“知”への意志とでもいえるものがみてとれるのではないか。要するに私は“悪意”以外にも意志があったのだ。「朝に道をきかば夕べに死すとも可なり」私は儒教の徒だったのか。諸星大二郎の怪作「孔子暗黒伝」の中で孔子は「知とは…しるべきことだけをしり天に属する知識は知ってはならぬということ…それこそが知というべきだったのだ!」と言っているが、これは孔子を挫折した理想主義者として描きその挫折故に晩年は全てを受け入れるような思想を展開したとして、普通は対立するものとみられている儒教と老荘思想をつなげた白川静の名著「孔子伝」に諸星が拠っているからである。“知”への意志の生き着く所なんて案外こんなところかもしれないが、とりあえず私は“全てを知りつくしたい”という意志を大事にしたい。そのために青臭くて前衛でイキのいいテクノなのだ。

私の現在の髪型。「食品メーカーのセールスマンは清潔が命や!」といってよく注意されるところから考えるに私の髪型は不潔らしい。もみあげ、えりあしを切って全体的にバラケているのを整えろ、といわれる。

(初出:ショートカット 51 号 1995 年 10 月 1 日発行)


解 説

 文章のプロでもないので、予定字数を大幅に下回る短さで原稿が完結してしまい困ることがよくあった。とはいえいつも締切ぎりぎりで書いているので、全面的に書き直すわけにもいかず、いい加減な文章を付け足して誤魔化すことになる。今回は典型的にそのパターンで、本当は「〜私もそうありたいのだ」で終わりのはずであったのに、それを無理やり付け足したので、以下の文章は文意がとりにくく、中途半端になっている。さらにそれでも文章量が足りなくて絵を描いて誤魔化すという体たらくだ。まったく情けない。とりあえず、その中途半端な部分を補足しておく。

「全てを知りつくしたい」というのは不正確で、正確には「はっきりさせれる所は、はっきりさせたい」という意志が私にはあると言いたかったのだ。もちろん私とて全てをはっきりさせれるなどとは、当時も今も思っていない。ただ、「ほんとのところは誰にもわからない」とかいって全てを曖昧にし、ものごとをナアナアですませようとする態度がいやなのだ。こういう態度をとる人は、それでも自分だけは分かっているつもりで、「常識」とやらを持ち出したり、「世の中はそうしたものだ」とかいって、自分の意見を押し付けてくる。こういうのを悪質なオカルト的態度というのだ。説明できない知恵・真理を自分だけは体得している、と。確かに説明できない事はあるだろう。しかし説明できる事もあるわけだし、説明できないのはその人自身何も分かっていないだけかもしれないではないか。説明できる事と説明できない事との境界を確定する作法を身に付けること。これこそが大事な事なのではないか。

 つまり私がテクノという言葉で指していたのは、こういった作法をみにつけたスタイルの事だったのだ。物事をきちんと、はっきりとさせていくのは実のところしんどい。私とて面倒くさくてついつい流されてしまう事のほうがはるかに多い。それゆえにテクノというスタイルを求めたわけだが、難点は今だ誰もテクノというスタイルを提示できていないことだ。サラテクはこのテクノというスタイルの模索でもあったわけだが、無から有を産むことは出来ないので、私はモッドとかショートカットなどを参考にしつつこの試みをすすめていたというわけだ。

 文中に出てくる「ニュークリア」とは当時ショートカット誌上で桜井さんが連載していた文章のことで、私なりに解釈すればそれは、新しいライフスタイルを打ち立てるために必要な論理面での模索、といった性格を持ったものだった。私もおおいに参考にしたものだ。桜井さんにしろ私にしろ他のショートカット読者にしろ、多分考えていることは全く違ったと思う。が、違うなりにも各々がゆるく「テクノ」というキーワードを共有しながら、それぞれの闘いを闘っているということで、連帯意識があった。こういう在り方は現在でも私にとっては理想的なものだと思える。オパールがそのような場になればよい、と実はひそかに私は夢想している。

小川顕太郎


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