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サラテク 4
解説

Salaryman technocut

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サ ラ リ ー マ ン テ ク ノ カ ッ ト 4

「午前 7 時の目覚まし時計が リンリンリリリン うるさくて、たまらないぼくをイライラさせる」とはコレクターズの初期の佳曲“アーリー・イン・ザ・モーニング”の冒頭部だが同じように午前 7 時の目覚まし時計の音に毎朝悩まされている私としては胸に熱いものがこみあげてくる事なしにはこの曲をきく事ができない。朝目覚める度に会社を辞めようと思う。起きるのが肉体的につらいだけではなく暗澹たる気持ちが身体の奥深くから鉛のように重い触手を皮膚の表層にいたるまではりめぐらし文字通り身体を動かすことができないという高校時代に授業にでなくなった時と同じ状態がすでに3 年にもなろうとしているのに、今は遅刻もせずに会社に通っている。私は大人になったのだろうか。

 8 時 50 分には会社に着き 9 時から始まる朝礼をまつのだがこの朝礼というのが特別の伝達事項がないかぎり、なんと体操なのだ。毎朝全員で体操する日本の会社のサラリーマンというのが如何に外国の人達の目に奇妙に映るかというテレビ番組を学生時代にみて実際私も奇妙というより気色悪く思ったものだが、後にこの朝の全員体操・社歌の詠唱・上司の演説を立って聞く・年功序列・終身雇用などというものがみな日本的経営の特質と呼ばれ日本の一部の保守層がこれこそ日本の経済的成功の勝因だと誇っているものであり、対してダグラス・ラミスのような左翼にいわせるとこの日本的特質といわれるものは全てアメリカの軍隊にあてはまり従って日本の会社は軍隊であり日本はいまだ軍国主義である証拠だとされているのを知り、背筋が寒くなるのを覚えたものだ。そして自分はこのような日本的経営と断固戦うぞと心に誓ったりしたものだから出社第一日目の朝に“それでは体操をはじめます”という声を聞いた時の衝撃と当惑はかなりのものがあった。さて如何したものか。もちろん第一に考えられるのは「私はこのような全体主義丸出しの儀式に参加する気はない」と宣言し、何か言ってくるようであれば先述のダグラス・ラミスの説でも借りてこれを完全に拒否することだがあぁそうこう考えているうちに私はすでに屈伸をしてしまっている。どうするか。次に考えられるのはなるたけ手をぬいてこれを行う所謂“サボ”であるが上体を回す運動をしている隙にあたりを見渡せば若手社員のうち何人かは“こんなダサい事やってられるか”という顔をしてすでにサボッている。こういうものを見ると持ち前のあまのじゃく精神がむくむくと頭をもたげ“君達も金のためとはいえ雇われの身なのだから不貞腐れた学生の真似はやめたまえ”など内心つぶやきながら思いっきり首の回転運動をしてしまった。このようにわずか 3 分程の間とはいえかなり混乱したひとときを送ってしまったわけであるがもちろんこの結果に満足したわけではなく、やはりこういう些細な事を妥協するとそこから全てがなし崩しになってしまうような気がして毎朝激しい葛藤を心のなかでくりかえしていた。しかるに今はどうか。心には何の葛藤もなく、あまつさえ朝の寝呆けた身体にはこれが気持ちいいなどと思いながら体操している自分に気づき愕然とするのだ。果たして私は大人になったのだろうか。それとも日和ったのか。

 これも些細な事だが入社したての私がどうしても言えず困ったセリフがある。何を隠そうそれは「まいど」なのだ。「まいど」といえない位何の支障があろうと思っていた私も問屋や小売店の人間に「こんにちは」と挨拶するたびにすごく変な顔をされ話もなぜだかぎごちない様をみて事の重大さに思い至った。「まいど」というセリフ自体は別に日本的経営とは直接関係ないので使っても構わないのだが私がこのセリフを口にできなかったのはひとえに恥ずかしかったからで、そういえば高校時代に行きつけの服屋や茶店などに「まいど」と言って入っていく友人がいて非常に嫌だったものだが何故だろう。多分この言葉の持つ親しみと卑下が絶妙にブレンドされた感じが耐えられなかったのだろうが現在の私は自由にこの言葉をつかいこなしている。街なかで得意先の人間といきなり出会っても自然に「まいど」と口をついてでるのはダンディーで MOD な私としては内心忸怩たるものがあるのだが仕方がない。私も大人になったのだ。しかし本当か。

 人間関係に気を使う一日の締め括りは何と言っても帰る時で、私は特別な用事がない場合は断固 17 時 30 分つまり就業規則通りに帰ることにしているのだが 17 時30 分に帰る人間など一人もいないのだ。日本が世界に誇る経済的繁栄を達成できたのはなんといってもこのサービス残業(もちろん営業職の人間に残業代はでない)によるところが大きく何も文句を言わずにサービス残業に従事することはそのまま低福祉・低賃金・非人間・非文化的な日本的経営に加担することになり経済摩擦も過労死も家庭内不和も老人問題もいじめもとにかく日本の会社主義がひきおこす歪みの全てに加担することになるんだぞお前らと 17 時 30 分になっても帰ろうとしない連中にむかって心のなかですごんでみるものの皆が仕事をしているなか一人帰るのはやはり気まずく、10 分程もじもじと机の上などを整理した後「帰ります」と小声で課長に伝えこそこそと退散するザマなのだ。このようなわけで憤懣やるかたない気持ちを抱えていた私であるが最近恐ろしい事に気がついた。会社は 17 時 30 分に終わるのになぜか外部からの電話は 18 時までつながり従って 18 時までは得意先から電話がかかってくる恐れがあるわけだが、そんな事は無視して帰っていた私も入社 3 年目で責任も増してきたからだろうかつい 18 時まで残って不意の電話に備えてしまいそれを当然と感じている自分を発見してしまったのである。これは私が大人になった証左か。単なる堕落ではないのか。このように全てに慣れ感覚が鈍磨していく事によって諦念とともに全てをなし崩し的に受け入れていくようになるのではないのか。確かにどんな納得できない事も受け入れてこんなもんだと思えば楽にはなるだろう。初期の頃には THE WHO よろしく日常のさまざまな不満を唄っていたコレクターズもモッズファッションを捨てた今ニューシングルとして“素晴らしい人生”をリリースするが、全てを受け入れてしまえば人生は素晴らしくなるものなのか。私はやはりそういう方向はとりたくなく例え全ての試みが失敗に終わろうとも受け入れるより納得したいし理解したい。そのためにはすでにかなりサラリーマン人生になじんできてしまっている私にとって未だ決してなじむことの出来ない悪夢のような朝の目覚めの苦しみは最後の砦なのかもしれない。つらい結論になってしまった。

(初出:ショートカット 50 号 1995 年 9 月 15 日発行)


解 説

 安部公房に「砂の女」という作品がある。世界的にも有名な作品であり、ご存じの方も多いと思うので筋を書いてしまうと、昆虫採集に出た主人公が砂丘の中に埋もれかけている一軒家に閉じ込められ、女の人とそこに住むように強制される。主人公はこの不条理な状態に抵抗すべく、色々と手段を講じて脱出を試みるがうまくいかない。最後には奇跡的に脱出に成功するが、なんと主人公はこの一軒家に戻ってしまうのだ。

 幼い頃にこの話を読んだ私は衝撃を受けた。人間はどんな不条理なことにも慣れることができるし、慣れてしまえばその状態を維持したがるものだ、というメッセージを読み取った私は以後深くこのテーマを抱え込むことになる。

 我々は俗にいう「価値相対化」の時代を生きている。万人に適用できる絶対的な真理や従うべき規範、拠り所にすべき価値などがありえない時代に生きているのだ。それでも我々は生きていかねばならず、生きていくうえで様々な判断を迫られることになる。そのような場合、一体なにを基準に判断を下せばよいのか。皮膚感覚を基準にして、というのが当時の、橋本治から浅田彰までに至る、冴えた解答であった。まず自分の好き嫌い、イケテルかイケテナイか、などを信じて判断を下し、そこから理屈をこねあげる。あるいは現実とやりあったあとで適宜修正を加える、というものだ。しかしながらその肝心の皮膚感覚が「慣れ」によって変わってしまうのなら、一体それこそ何を信じればよいのか!

「慣れ」に関しては厄介な問題がまだある。ひとつは「慣れ」てしまえば、慣れるまえの自分の気持ちや状態がどうしても思い出せないことだ。頭では分かっていても実感できなくなる、といってもいいだろう。もうひとつは、「慣れ」が一概にいいとも悪いともいえない事だ。よく汚い俗世間に慣れることが出来ず苦しむ無垢の精神、といったストーリーがあるが、こんなもの幼稚な子供のわがままとも言えるのだ。そして実際甘やかされて育った手合いにこのテのパターンが多いのも事実だろう。

 こういった問題は感性だけではどうにもならないのだ。ものごとをキチッと考える論理が必要となってくる。といっても論理とてなんらかの基礎がなければ成立しない。その基礎となるはずの皮膚感覚は「慣れ」によって変わってしまう。ではどうするか。私はサラリーマン生活を徹底的に形式化してみようと思ったのだ。自分の送っているサラリーマン生活とは論理的にいえば一体どういうものなのか、を徹底的にクリアにし、それを踏まえて自らの皮膚感覚を鍛え、定めるのだ。それが私のいうサラリーマンライフのテクノ化であった。

 テクノのように徹底的に考えぬかれ構築された音楽であっても官能的であること。そのように生きようと思った。前回までは準備段階として自分の拠ってたつところをテクノ化したが、この回は実際にサラリーマンライフをテクノ化した最初の回である。

小川顕太郎


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