京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

Home > Diary > 03 > 0611

 

 Diary 2003・6月11日(WED.)

政治

 最近は、なぜか二十歳前後の若者たちと話す機会が多いのだが、彼らはほぼ全員、田中角栄を知らない。いや、田中真紀子の父親として、名前ぐらゐは知つてゐるのだが、どのやうな人なのか、どのやうな事を為し遂げたのか、といふ事を知らない。そもそも、ロッキード事件が何なのか、といふ事も知らないのだ。うーむ、さうなんだなあー……。しかし、田中角栄を知らないと、現在の政治がどうなつてゐるのか、といふ事も判らないと思ふのだが。例へば、現在の小泉改革の焦点になつてゐる(いまだになつてゐるのかな?)特殊法人問題といふのも、ほとんどが田中角栄に発する訳だし…って、あまり、政治自体に興味がないのかな、今の若い人は。…いや、かういふ言ひ方は軽率か。そもそも、政治について教へる人がゐない訳でせう。ほんとは、政治はムチャクチャ面白いのに。その面白さを教へる人がゐない。

 政治とは、副島隆彦の卓抜な定義によれば「生き延びるための技術」のことである。さう考へれば、これは誰にとつても興味のある事柄のはずなのだ。この間も、ハシモトくんに田中角栄について説明したら、非常な興味を示して、以来、ずつと「角栄、角栄」と言つてゐる。…まあ、別に角栄や政治を理解した訳ではないのだらうが、何かそこに面白さうなものがある! といふ風には感ぢたのだらう。始まりは、それで良いと思ふ。と、いふか、それしかないでせう。で、次に、法律や社会の仕組みに関する話は(ややこしいので)ひとまづ置いて、あまりに魅力的な田中角栄の人間像についての理解を深める。それとほぼ同時に、角栄と対立する人たち、福田赳夫とか、現在なら石原慎太郎とか、の人間性についても理解を深め、さういつた人間性の違ひが、政策の違ひとなつて顕れ、大きく世の中を動かしてゐる事に思ひを馳せ、それが現在の自分達をも規定してゐる事に卒然と思ひあたる。ここまでくれば、これから生き延びていくために、何が必要なのか、自分は何をすべきなのか、どのやうな政策を支持すべきなのか、などといふ事が分かるやうになるだらう。…と、いふ風になれば良いのになあ、と思ひます。私の手には余ることですが。

 あー、疲れた。

小川顕太郎 Original:2003-Jun-13;