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 Diary 2002・1月18日(FRI.)

 私は書をやるときは、いつも墨を擦っているのだが、ナカムラくんとキタダくんに本日訊いてみると、二人とも必ずしも墨は擦っていないようだ。もちろん、作品を書く時は墨を擦るが、普段はたいてい墨液か、墨擦り機を使っているという。

 この墨擦り機というのが、墨をセットすれば自動的に擦ってくれるという便利なしろもので、石川九楊が唾棄するしろものだ。石川九楊に言わせれば、墨を擦る、という行為からすでに書は始まっている訳で、墨擦り機や墨液を使うのは、すでに書ではない、という事になる。

 しかし、私はこの説に対しては、読んだときから違和感があった。よく巨大な紙に巨大な文字、あるいは大量の字をかきつける書があるが、あれなど大量の墨が要る訳で、そういう場合は別に機械を使って墨を擦っても構わないんじゃないか? そうしないとメチャメチャ大変じゃないか、と思ったからだ。石川九楊は、そういった巨大な作品は書かないのだろうか? テラダさんに訊いてみた。

「ああ、書いているよ。その場合、巨大な硯にお弟子さんが 10 人くらい取り付いて、半日くらいかけて墨を擦っている、らしい。」

 そ、それって…。まあ、なんにせよ、私には無縁な話だ。実を言うと、私は墨液か墨擦り機を使おうかなー、と考え中なのだ。なぜなら、空いた時間をみつけていざ書をやろうとしても、最近は疲れているのか、擦っている間に寝てしまい、結局字を書くまでに至らない、という事が往々にしてあるからだ。先週は、なんと 3 回ほど書をやろうと墨を擦り始めたのだが、全て途中で寝てしまって、一度も筆を握らなかった…。こんな事なら、たとえ多少落ちようとも、墨液でも使って字を書いたほうがマシだ。私は時間やお金がたっぷりある人間ではない。このような余裕のない人間は書をやってはいけないのであろうか?

 大金持ちのレコードコレクターであるティム・ブラウンは「貧乏人はレコードを買うな」と言った。確かに、その意見には一理ある。が、私はチマチマと、自分の出来る範囲でレコードを集めている。同様に、私は自分の出来る範囲で、チマチマと書をやっていこうと思う。もちろん、「出来る範囲」の拡張は常に目指す訳ですが。これは、自分の境遇・生活との闘いでもあります。

 あ、そういえば今日はオイシンがなにやら事件に巻き込まれた模様。うーん、困ったものです。

小川顕太郎 Original:2002-Jan-20;