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 Diary 2001・10月30日(TUE.)

小説『GO』を読む

 ババさんに借りた『GO』の小説版を読む。……イタイ! イタ過ぎる!! 映画の『GO』は最高だったが、小説版はその逆だ。この作品は直木賞を獲っているという事だが、ここまで日本の小説のレベルが堕ちているとは、ちょっと唖然とした。こんなもの、文学かぶれの中学生が書くレベルじゃないか。昔なら絶対に本にならなかった。はずだ。まったくもって、酷い。

 なにがイタイって、とにかく主人公とヒロイン(桜井)のカップルがイタイ!! 自分達のことは最高にイケてると勘違いしている、最高にイケテないカップルの典型なのだ。もう、何度も背筋が寒くなった。あっちゃー、ダメだよ、これ。

 まあ、こういったカップルは確実に存在するし、そのカップルのみっともなさがよく出ている、といった意味ではリアルなのだけれども、その事実をちっとも作者が分かっていない。勘違いとナルシズムに溢れている。半自伝的な作品を一人称で書く時は、特に厳しく自分を対象化(ナルシズムを脱却する)しないと読めたもんじゃない、という基本的な事を、編集者はアドバイスしなかったのか。自分を対象化できない人間は、他人の事も当然分からない。映画ではあれほど魅力的だった脇役の人達が、全てみな悲惨なまでに魅力がない。と、いうか、敢えて断言するけど、この作者は「他人」という存在が分かっていないね。自らの妄想の中にうつった自己の影を、他人だと思っている。それじゃあ、小説は書けないよ。

 とはいえ、この小説が『GO』という映画を産み出したんだから、それだけでも意味があったか。映画と小説を較べると、どこをどう変えたかが興味深い。爆裂的にイタイ・サムイところは、だいたいカットしてあるし、キャラクター設定も変えてある。分かってますね。でも惜しいのは桜井のキャラクター設定。もうちょっと何とかならなかったのか。柴崎コウが好演しているとはいうものの、キャラクター設定が酷すぎる。トモコなんか、「こんな女の子が存在するはずない! まったくリアルじゃない。女の子の事を全く分かっていない奴が、自分の妄想でこんな酷い女の子像を造るのは、ほとんど女性差別だ!!」と、プンプン怒っていた。

 確かに、私もこの映画で印象に残っているのは、正一との友情とか、親父との確執とか、男同士の関係ばっかりだ。桜井の事がトモコほど気にならなかったのは、やはり私が男だからだろうなあ。はっきり言って、高校生ぐらいの男の子にとって、女の子の内面なんてどうでもいいでしょ? だから主人公が、まったくリアリティのないイタイ女の子と付き合っても、別に気にならなかった。まあ、ある意味、そんなもんだ、高校生のカップルなんて。それに主人公はあんまり、というかほとんど桜井の事を気にしていないようにみえたのも、よかったのかも。かわいいから、誘われれば付いていくけど、自分から積極的に動くことはなかったはず。たぶん、桜井の事を好きじゃないね、この主人公は。本人は分かっていないけど。まー、それもまたリアルだった、と私は肯定的に受け止めています。

 という訳で、映画『GO』は特に男の子にお薦め。小説『GO』は、誰にも薦めません。

小川顕太郎 Original:2001-Oct-1;