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 Diary 2001・2月26日(MON.)

オイシン失踪?

 オイシンに業務連絡があって、昨夜いつものようにメールを送ったら、戻ってきてしまった。何度やってもダメだ。仕方ないので今日まで待って、携帯に電話をしたら、これもダメ。通じない。これはもしかして、失踪したか。そういえばオイシンは、日曜日はバイト先の慰安旅行がある、といって休んでいた。それで一日稼いで、その間に携帯を捨て、メールアドレスを変え、多分住居も変えたに違いない。そうか、オイシンも保って 1 年だったか。ううん、よかった。これであの滑稽な顔をみないで済む。ババさんも晴々とした顔で「よかった、よかった」と喜んでいる。これは目出度い。さあ、乾杯、乾杯、と皆で盛り上がっていると、あきらかに寝起きで、ただでさえ滑稽な顔をパンパンに腫らしたオイシンが、「おはようございまーす」とやってきた。皆の祝杯を持つ手が止まる。なんだなんだ、オイシン、お前は失踪したんと違うんか?
「はあ? 失踪? なんのことですか?」
 だってメールを何度うっても届かなかったぞ。
「あー、それはレンタルサーバーにお金を払っていないからですよ」
 携帯も通じなかったぞ。
「あー、携帯は旅行先に忘れてきました」
  …なんだ、くそ! 期待だけさせやがって! 失踪しろ、失踪!
「えー、いやですよ。ボクはまだまだ居ますよー」
  と言って、腫れ上がった顔でニタリと笑った。祝宴の場は、一転して通夜の場のようになってしまった。馬鹿妖怪オイシン、恐るべし。

 ところでこのようなオイシンを、我々は心身ともにすり減らしながら 1 年も面倒をみてきた訳だが、いっこうに進歩する様子がない。いや、見方によれば、劇的に進歩したところもあるのだが、なにかの折りに相変わらずの圧倒的なアホさ加減を見せつけられると、我々のやっていることは全てが無駄である、という激しい徒労感に捕われるのだ。

 例えば、オイシンは学生時代にろくに本など読んだ事のない馬鹿学生だったのだが、我々はそのオイシンに本を読むことを教え、習慣づけさせた。それはそれで良いことだと思っていたのだが、このあいだ、我々が買い与えた本は読まずにほったらかしにする一方で、下らない駄本をアマゾンで取り寄せて嬉々として読んでいる、という事実が判明し、愕然とした。やはりアホはアホか。オイシンにとって本を読むという技術は、豚に真珠だったか。もう何も言うまい。勝手にしさらせ。と、一時は完全に見放したのだが、最後の気力を振り絞り、もう一度だけチャンスを与えることにした。

 これから毎週一冊ずつ与えられた本を読み、それがどのような内容であったかを、みなの前で発表すること。オイシンは、おそろしく抽象能力が欠けており、自分が観た映画のストーリーなどを他人に説明することができない。だから、これで抽象能力を養ってもらう。それと平行して、基本書を何十冊か読むことで、教養にいたる道の方向ぐらいはなんとなく分かるようになってもらおう、という訳だ。

 今日、あたえた本は 4 冊。三島由紀夫『午後の曳航』、川端康成『伊豆の踊子』、夏目漱石『それから』、筒井康隆『家族八景』。とくに考えて選んだ訳ではないが、全て新潮文庫から選ぶようにだけはした。もちろん、文豪カップ & ソーサーの応募券を手に入れるためだ。これなら最悪、オイシンに何も身につかなくても、応募券は残る。さあ、最後のチャンスだが、オイシンはどうだろうか。やっぱ、ダメ、かも、なあ。

小川顕太郎 Original:2001-Feb-28;