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 Movie Review 2004・5月17日(Mon.)

クレヨンしんちゃん
嵐を呼ぶ! 夕陽のカスカベボーイズ

 しんちゃんカムバ〜ック! おー、ブラボー! オラが西部劇のヒーローに? かすかべ防衛隊も変身だ! 本当のオラ達を取り戻せ! ババーン!

 原恵一監督の『オトナ帝国の逆襲』『アッパレ! 戦国大合戦』の二作が素晴らし過ぎた、映画版『クレヨンしんちゃん』、今回は西部劇に挑戦です。監督・脚本は、前作『ヤキニクロード』に続き水島努。ファイアー!

 ネタバレですが、あらすじは、人びとからすっかり忘れられた映画館=カスカベ座では、どういうわけか、終わることのない西部劇映画が上映されており、しんちゃん一家+カスカベ防衛隊たちが、映画の中に囚われてしまう…というお話です。

 西部劇世界に入り込んでしまうなら、『ウエストワールド』のように、ガンマンに扮して大暴れできちゃうよ! みたいな波瀾万丈エンターテインメントな日常がくり広げられそうなものなのに、しんちゃんたちが囚われる西部劇世界は、非常につまんないダラダラとした世界として描かれるのでした。時代劇『アッパレ!  戦国大合戦』の、血湧き肉躍る感じとえらい違いです。

 それは、「西部劇」をネタにしてしまったことの当然の帰結と言えます。

「時代劇」の場合は、何度も再発見され、再生され続けております(山田洋次『たそがれ清兵衛』、北野武『座頭市』、エドワード・ズウィック『ラスト・サムライ』、タランティーノ『キル・ビル Vol.1』?)。テレヴィの時代劇は、ずっと作られ続けているし。

 よく知りませんが、イーストウッド『許されざる者』が最後の西部劇で、西部劇は死んでしまったジャンルなのかも知れませんね。西部劇は忘れ去られようとしており、今日、そのパロディを作るのは誠に困難と言える。家族向けアニメで、トリヴィアルにならざるを得ない西部劇パロディを行うのは、無謀と言ってもよいでしょう。

 また、マイケル・ムーア『ボウリング・フォー・コロンバイン』では、アホでマヌケなアメリカ白人の、度はずれた臆病さが銃社会(=西部劇の世界)を生み、侵略行為が繰り返されることが暴かれました。アメリカ批判が高まる中、昔ながらの、銃が支配する世界として西部を描くことは、ますます難しくなっております。

 そんなわけで、この『夕陽のカスカベボーイズ』における西部劇世界が、ザ・マン(大物)に支配された、退屈な日常として描かれるのは、妥当な表現なのであった。しんちゃんたちがそんな西部劇世界から脱出しようと奮闘し、汽車と巨大ロボの一大チェイスになだれ込み、西部劇から逸脱すればするほど、映画は俄然面白さを増すのであった。

 銃が支配する世界を舞台にした娯楽映画=西部劇をえんえん上映し続け、無理矢理人々に見せ続けるカスカベ座は、アメリカ流価値観で人々を洗脳するプロパガンダ装置と言えます。しんちゃんたちが、西部劇世界でどんどん現実の記憶をなくしていくのは、「アメリカ的映画ばかり見てると、阿呆になるよ!」との警告であります。すなわち、この『夕陽のカスカベボーイズ』は、西部劇的アメリカ映画批判の映画であり、日本人に対して、「アメリカの呪縛から抜け出せ!」と訴えるのであった。

 そんな牽強付会(自分の都合のよいように無理に理屈をこじつけること)はどうでもよくて、西部劇を期待すると肩すかしをくらいますが、観賞後、小学生ら子供さんたちは、「めちゃくちゃおもろかったなーッ!」と興奮気味に騒いでましたので、西部劇に思い入れのない方にはお楽しみいただけるのではないかしら? それはともかく、原恵一監督はもう、『クレヨンしんちゃん』を監督なさらないのかしら? それとも満を持して、次回作を準備中? 原恵一監督カムバ〜ック! って感じでオススメです。

☆☆★★(☆= 20 点・★= 5 点)

BABA Original: 2004-may-16