京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

Home > Reviews > 04 > 0227
 Movie Review 2004・2月27日(Fri.)

解夏

公式サイト: http://www.gege.jp/

 傑作『がんばっていきまっしょい』の磯村一路監督最新作は、突然視力が失われる病にかかった大沢たかお、故郷・長崎で過ごしつつ恋人・石田ゆり子とのあれやこれやを描きます。「解夏」と書いて、「げげ」と読む。原作は、さだまさしの小説だそうです。ゲゲッ!(お約束) ババーン!

 大沢たかお演じる主人公・隆之がかかった「ベーチェット病」とは? 例えば、道の角をまがった途端、激痛に襲われ、気がつくと目が見えなくなっている、という症例もある原因不明の病気だそうです。

 失明のおそれがあるというので隆之は、モンゴルに研究旅行中の婚約者・陽子さん(石田ゆり子)には何にも言わず、彼女の父親=林隆三に破談を申し入れたり、事情を知った陽子さんは急遽帰国、かいがいしく看病してくれているのに、隆之は陽子さんを遠ざけようとしたりするのですよ。

 ところで鑑賞した日はレディースデイだったためか客席は女性 9 割ほぼ満席、上映終了後、ハンケチで目頭を押さえる方多数、私も大いに泣き濡れつつ、しかし呆然と「ちょっと違うのではないか?」と感じたのでした。以下、若干、文句をつけさせていただきます。言葉には気をつけますが不快に感じられる表現があるかも知れません。また、ネタバレ含みますのでご注意ください。

 まず、目が見えなくなるのがそんなに恐ろしいことでしょうか? と申し上げたいのです。私は、現在のところ視力左右とも 1.5 、目が見えない人が身内にいるわけでなく、実際どうなのかわからないのですが、「目が見えなくなるから破談を申し入れる」というのは、あまりにも時代錯誤的だと思うのです。

 これが、例えば「余命 3 ヶ月」と宣告されたならば、そうしたくなる気持ちもわかる。この作品は、目が見えなくなることを死ぬくらいの重大事として描いており、「バリアフリー」とか、「ユニヴァーサル・デザイン」みたいな方向とは逆を向いているのでは? と感じました。よくわかりませんが。

 もちろん、目が見えなくなるのは、大変な不自由がある、と私も想像します。例えば、見えなくなったら一人で自転車に乗れなくなる。それは困る。しかし、例えば北野武『座頭市』、盲人の方がすぐれた点があると描かれました。また、異なるハンディキャップですが『ジョゼと虎と魚たち』、あるいは井上隆彦のすぐれた車椅子バスケ漫画『リアル』では、「障害」は、とらえ方によっては「武器」になることが描かれました。『解夏』の「視覚障害」は、まさしく障害であり、思わず結婚の約束も反故にしたくなる不幸な出来事として描かれます。現実としてそういうこともあるでしょうが、時代錯誤的ではないでしょうか。またハンディキャップを背負うことについて、『リアル』のリアルさに比べても、『解夏』は余りにロマンティックである、と一人ごちるのです。

 隆之は、元・東京の小学校教師という設定で、病気を理由に退職し、故郷・長崎に戻ります。やがて、教え子たちから手紙が届きます。「先生、○○君がいじめられてるみたいです。助けに来てください」との便りに、隆之は、無言で涙し、陽子さんは「助けに行きたいだろうねぇ、助けに行きたいねぇ、助けに行きたいねぇ」と滂沱と涙を流す……私も、呆然と涙を流したわけですが、ふと冷静に考えれば、「助けに行くのに、何の障害もないではないか?」と思うのです。「いつ視覚がなくなるかわからない」ことは、教え子を救いに行くという点では、まったく障害ではない。仮に、障害があるとすれば、映画の上映時間が残り少なくなっていたことだけです。

 結局、隆之は、「目が見えなくなること」を表面的に考え、ただ恐れているだけです。目が見えなくなる前に、生まれ故郷・長崎の風景を脳裏に焼き付けておきたい、と歩き回るのも結構ですが、例えば、もっと目が見えない生活の知恵を聞きに行くとか、自宅のバリアフリー化リフォームを進めるとか、パソコンに音声読み上げブラウザをインストールするとか、盲導犬クイールに来てもらう手続きを進めるとか……色々準備をしておけば、そこまで恐れおののかなくても済むのではないか? と老婆心ながら思うのです。

 というかですね、そもそも映画の最初の方で、視覚を失うことを恐れなくてよい、と語られていたではないですか。同じ病で視覚を失った柄本明が、「目が見えなくなって困ったことは一つだけです」と言っていたでしょう? また、松村達夫の和尚さんも、色々ありがたいお言葉をかけてくれたというのに。失礼ですが、隆之は、人の話を聞いてるふりして、全然聞いていなかったと言わざるを得ません。

 ところで、柄本明の「目が見えなくなって一つだけ困ったこと」とは、「歯磨き粉を、歯ブラシに乗せられなくて困った」です。しかしそれもトンチによって解決できたことが示されます(映画をぜひご覧ください。近年まれに見る素晴らしいトンチです)

 磯村一路監督は、『がんばっていきまっしょい』でデビュー、第二作は追記大杉漣主演『船を降りたら彼女の島』、小津安二郎風おだやかな描写にすぐれた手腕を発揮しました。『解夏』では、発作におそわれた隆之の視点で、モヤモヤモヤッと視覚がぼやけるとか、突然画面がモンゴルへ飛躍、「半年前 モンゴル」と無粋な字幕が出るとか、小津安二郎ならこんな風には絶対演出しないでしょうな、ていうか、モンゴルロケする意味ないし? と思いつつ、舞台が長崎に移ってからは、カメラが安定、近所の渡辺えり子・まんじゅう屋のおかみさんの使い方の巧さに舌をまき、隆夫の母=寺島純子と陽子さんの会話は、『東京物語』東山千栄子と原節子を彷彿としたり、映画に悪人が一人も登場しないのはまさしく往年の松竹大船調、非常によろしいのですが、「視覚障害者」のとらえ方までクラシックなのはいかがなものか? と一人ごちたのでした。

 いやしかし、視覚の喪失が予定されていることの恐怖をことさらに煽るのは、視覚に大きく依存する「映画」の中の人には、義務的な行為なのかもしれませんね。ってよくわかりませんが、長崎の風景が気持ちいいのでオススメです。

☆☆☆(☆= 20 点・★= 5 点)

追記
ありがたいことにm@stervision さんhttp://www.ne.jp/asahi/hp/mastervision/から「磯村一路監督は 1980 年代からピンク映画で豊富なキャリアを持っており、1990 年代に一般映画へと進出してからも『がんばっていきまっしょい』以前に数本の作品を発表しています」と誤りのご指摘をいただきました。お詫びいたします。申し訳ございませんでした。いい加減なことを書きがちですので、これからも誤りなどぜひ指摘していただきたくお願いします。
BABA Original: 2004-Feb-26; Updated:2004-Feb-28;
→この次のレビュー
←この前のレビュー