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 Movie Review 2003・11月22日(SAT.)

ドッペルゲンガー

『アカルイミライ』は何だかよくわからず、しかし黒沢清監督によれば「映画とは、そもそも変なもの」だそうですから、まあいいか! と納得しつつ、待望の新作は『CURE』『カリスマ』などでコンビを組んできた役所広司、6 作目の出演だそうで、しかも今回、自分にそっくりそのまんまの人を見てしまう、見たら死んでしまうという「ドッペルゲンガー」現象がテーマ、役所広司のドッペルゲンガーを役所広司が演じるという、一作で二人分の出演。

 オープニング、永作博美が道で自分の弟を見かけて声をかけたら知らんぷり、家に戻ると弟はちゃんと家にいた、という『新耳袋』風の奇妙な話で始まり、「天才」と呼ばれる研究者・役所広司が「人工人体」研究開発に行き詰まって「ああ、もう一人自分がいたらなあ」と思ったからかどうなのか、自分にそっくりそのまんまの人間を目撃するようになる、というあたりはブゥーーーンと重低音の効果音などいつもの黒沢清タッチ、しかしもう一人の役所広司が、役所広司と会話をかわすようになると不条理な可笑しさが漂い、ドッカンドッカンと劇場は爆笑の渦に包まれました、と言いたいところですが、観客数 4 人ではそれもかなわず、しかし閑散とした劇場に観客 4 人の高笑いが響いたものでした。

 気心の知れた役所広司、しかも二人分起用で安心感があったのか、黒沢清が考える「映画観」がかつてないほど溢れかえっており、ブライアン・デ・パルマ風あるいはリチャード・フライシャー『ボストン絞殺魔』風の画面分割、『レイダース失われたアーク〈聖櫃〉』オープニングの引用、完成した人工人体を新潟まで運ぶのになぜか未舗装のガタガタ道を走るのは『恐怖の報酬』、ラストシーンはチャップリンかしら? って、そんな元ネタ探しはどうでもよく、従順な助手ユースケ・サンタマリアがギラリと強欲な一面を覗かせる瞬間、あるいは心理サスペンス映画と思っていたら『アダプテーション』風コメディになり、やがて新潟へ向かうロードムーヴィー、と映画のジャンルを軽々と越え、「分裂した人格の対立」や、「人工人体を巡っての争い」などどうでもよくなって、「人工人体」がガチャコガチャコ『ショート・サーキット』よろしく腕を振りながら退場していく瞬間、「ああ、映画だなあ」と私は一人ごちたのでした。

 そんなことより黒沢清の素晴らしいところは、製作費の節約に徹底して自覚的であるところで、例えば同一画面に役所広司 2 人が収まるシーンを実現するのは、CG やら何やら大変でしょうが、スプリットスクリーンを使用すれば、合成に四苦八苦することも不要、大幅にコストを抑えることが可能、それでも、CG を使いまくった『アダプテーション』同等の「一人二役」効果をあげており、この「スプリットスクリーン」という技法の選択に、私は黒沢清のトンチの才能を見るのであった。

「映画とは、そもそも変なもの」、よくわからないところは多々ありながらも、これまでの黒沢作品に比べれば随分とわかりやすい娯楽作、バチグンのオススメです。

☆☆☆★★★(☆= 20 点・★= 5 点)

BABA Original: 2003-nov-21;

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