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 Movie Review 2003・5月6日(TUE.)

シカゴ

 ボブ・フォッシー(『レニー・ブルース』『オール・ザット・ジャズ』など)のヒットミュージカルを、舞台演出家ロブ・マーシャルが映画化。アカデミー作品賞、助演女優賞(キャサリン・ゼダ・ジョーンズ)など 6 部門を受賞、好評をもって迎えられている……ようですが、なかなか気色の悪い映画でした。

 1920 年代シカゴ。スターにあこがれるレニ・ゼルウィガーは、浮気相手を射殺。刑務所送りに。敏腕弁護士リチャード・ギアは、裁判を有利に進めるため、彼女をマスコミの寵児に仕立て上げます。果たしてシカゴ市民が注目する裁判の行方は? 刑務所には、旦那と妹を射殺したスター歌手ゼダ・ジョーンズが服役しており、ゼルウィガーとゼダ・ジョーンズの、女の闘いも見どころ、なのかも知れませんね。

 殺人犯すらマスコミのアイドルとなって、裁判は、弁護士の弁舌に左右される。ショウビジネスはまやかしであるが、現実の社会も茶番に充ち満ちているのだ……ということですが、米軍によるイラク攻撃という巨大な茶番を目の当たりにした我々には、アメリカ社会の茶番ぶりは、すでに了解済みであり、今さらショウビズ界の茶番を見せられてもなあ、おい、と、ウンザリ感漂いました。

 これまでにも、アメリカ社会の茶番ぶりを描いた作品は数々ありましたが、そこには必ず茶番と対比された真実の瞬間が描かれていなかったでしょうか? 例えば、ボブ・フォッシーの『オール・ザット・ジャズ』も、「人生は茶番」「名声に価値はない」「死んだらそれまでよ」と宣言されていたのですが、それでも一瞬の輝きに人生を賭けるダンサーの姿に、我々(誰?)はリアリティを見出したものです。

 確かに、見事に歌って踊るゼダ・ジョーンズとゼルウィガーはたいしたものですが、「新春かくし芸大会」のようなもんです。加えて、舞台演出家が映画を監督した場合に陥りがちな、殊更に「映画的」なカメラワークと編集が施されており、ダンスシーンの魅力がはなはだしく削がれております。

 監督ロブ・マーシャルが参考にしたという『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の場合も、ミュージカルシーンの編集は目まぐるしいものでしたが、基本は一発撮りで、それを複数台のカメラで捕らえることで、肉体のリアルを存在させました。対して『シカゴ』はどうか? 「リチャード・ギアのタップダンスは吹き替えか?」と問われ、ロブ・マーシャル監督は「あれはホントにリチャードがやっているのさ!」と憤懣やるかたなかったそうですが、だっていかにも「誤魔化してます」って編集なんですもの。肝心のダンスシーンがこれでは、如何ともしがたい。アメリカ映画がジャッキー・チェン、リー・リンチェイのクンフーアクションを巧く撮れないのは仕方ないとしても、お家芸のミュージカルまで撮れないのは、アカンのではないでしょうか。

 そんなことはどうでもよく、主人公二人のキャラクターに問題があると思うのですよ。ゼダ・ジョーンズとゼルウィガーは、ともに「殺人犯」として物語に登場します。まともな観客ならば、彼らに反感を覚えるはずです。普通ならば、そこからあれこれ工夫して、観客に共感を抱かせていく――キャラを立てる――と思うのですが、主人公たちは罪を一切悔いないまま、大団円を迎えてしまいます。…こんなことが許されて良いのでしょうか? 「それがシカゴ(つまりアメリカ)なのだ」ということなのですが、まともな人間が一人も出てこない、共感できるキャラ不在となっており、ウソ臭さを、めくるめく音楽+ダンス+映像で糊塗していると申しましょうか。

 世間的には、「史上最強のエンターテインメント」みたいなんで、オススメです。

☆★(☆= 20 点・★= 5 点)

BABA Original: 2003-May-6;

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