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 Movie Review 2003・2月7日(FRI.)

オールド・ルーキー

 ジム・モリス。メジャーリーガーの夢叶わず今や 35 歳となって高校の教師、野球部の監督、妻子も設け、このままテキサスの田舎町で余生を送るのだなあ、嗚呼、と人生をあきらめかけていたところ、ひょんなことから再び夢に向かって驀進するのであった。ババーン! なんでも実話の映画化だそうで。

 野球大好きジム・モリスと、野球にまったく興味のない父親との確執やがて和解が物語の軸に据えられております。かつてセシル・B ・ディメンテッドは「家族は、映画の敵である!」と名言を吐きました。この『オールド・ルーキー』において父親は、ジム・モリスの夢の障害となって立ちはだかります。近頃のアメリカ映画は「家族の再生」「父性の復権」という題材を取り上げる傾向がありますけれど(適当)、ここでは野球に対しても家族が敵となりうることを描いているのであった。適当。

 と、いうか、“家族”が息子の夢の障害になってしまうのは、父親の“父性”に問題があるからである。この父親、陸軍に務めていた時代は、ジム・モリスが「お父さん、また転勤なの? 僕、少年リーグのシーズンが終わるまでここに残りたいよぉ」とわがままをぬかすのに対し、「馬鹿者。家族は一緒にいるもんだ。この話はこれで終わり!」と正しい父性を発揮、「夢を追う前に、男としての責任を果たせ」と正論も吐く父親ですが、孫には甘く、孫が野球好きだからというのでグラブをプレゼントしたりする。つまり、ジム・モリスに対しては「野球にまったく興味がないオヤジ」、しかし孫に対しては「野球もいいかな? と思うジジイ」と、ダブル・スタンダードなんですわ。さらに、苦労の末ジム・モリスがメジャーデビューするや否や、いそいそと球場までねぎらいに行くのですからたまげました。

 あるべき“父性”としては、野球になど興味がない態度を取り続けなければならない。しかし内心は息子が心配なので、こっそり観戦に行かねばならない。外野席からソッと見守るだけに留めておかなければならない。球場に馴れないのでまごついて、粗野な野球好きに小馬鹿にされなければならない。物語の軸となるべき“父性”観に揺らぎがあるので、泣かせどころなのにさっぱり盛り上がらないのは困ったものです。

 そんなことはどうでもよくて、実話にしてはスルスルとお約束の展開で、並大抵ではなかったであろう苦労や葛藤が胸に迫ってきません。『オールド・ルーキー』のタイトルから予想できる以上のものは何もなく、甘ったるい作品です。同じ“ルーキーもの”でも『ミスター・ルーキー』の方が 100 億万倍オススメ。

(☆= 20 点・★= 5 点)

BABA

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