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Movie Review 9月28日(FRI.)

暴れん坊兄弟

 第 3 回京都映画祭太秦スター特集」の一本です。東千代之介、中村(萬屋)錦之助、中村賀津雄らが出演する 1960 年東映京都作品。監督は『沢島忠全仕事 ボンゆっくり落ちやいね(ワイズ出版)が出版されるなど再評価の機運高まる沢島忠。この日はトークショーのため祇園会館に来場、元気なお姿を見せておられました。

 時は元禄。泰介(東千代之介)は同僚から「昼行灯」「石仏」などと陰口を叩かれる茫洋、おっとり、のんびりとした性格なのですが、何故か主君(中村錦之助)に気に入られており、主君が江戸詰を解かれる前に、先に国元へ戻って態勢を整えよ、と命じられます。国元では材木伐採を巡る汚職が進行中なのですが、「泰介」何者ゾ、主君の命を受けやってくるからにはさぞや切れ者に違いない…と噂が噂を呼びます。

 泰介、「ややーー。困ったことになったナー」と、やがて国元に到着し、藩の役所を挨拶回り。勘定奉行方の書記(田中春男)を茫洋と眺めます。ジッと眺められた書記は、「うひゃー! こ、これは汚職が見破られているに違いない、家では 10 人の子供が待っているのに〜! あわわわわわ」と戦々恐々。

 泰介は「ほほおおーーー。この書記は顔に似合わず上手な字を書きよるなーー」と呑気なことを考えていただけなのでした。

 こういう勘違いぶりが前半の見所。山本周五郎『おもいちがい物語』が原作です。沢島忠監督によると、この作品、初めて自分の企画が通ったとかで、気合い入りまくりです。山本周五郎氏もお気に入りだったそうで、ひょっとして『椿三十郎』よりオモチロイかも?

「昼行灯」泰介には泰三(中村賀津雄)という弟がいます。この弟が兄とは全く逆の「粗忽者」。主君にかけあって兄を応援せんがため国元へ。中盤以降、この「粗忽者」泰三がバチグンの面白さなのです。まだ 10 代とおぼしき中村賀津雄の元気溌剌ぶりが圧倒的です。すわ兄の一大事となると居ても立ってもおられず、駆け出すや膳はひっくり返すは障子・フスマは蹴倒すは、もう大変な粗忽者ぶり。

 兄弟の面倒を見る叔父曰く「こ、これ泰三、そんなに慌てるでないぞ!」

「粗忽者」泰三応えて「私は未だかつて慌てなかったことはありません!!」…と、高らかに宣言するにいたって、私は大爆笑を場内にとどろかせて周囲の顰蹙を買いつつ、この慌てぶりの原動力は兄を思う真心ゆえなのである、その真心の強烈さを見よ! と呆然と涙したのでした。

 それはともかく、叔父の娘とのロマンスも散りばめつつ汚職を暴き、クライマックスは東映時代劇お約束の大殺陣へとなだれ込みます。

 沢島監督によると、東千代之介は普段は怜悧とも言える物腰なのですが、酒が入ると力道山も恐れ入ったと言うくらいの豪快さんに変貌したとか。今回千代之介のそういう面を引き出そうとの目論見があったそうで、「昼行灯」千代之介が大チャンバラに至って猛獣のごとく怒りを大爆発させた瞬間、これこそ映画のカタルシスなり、と私は呆然と感動したのでした。

 原作にはきっと、官僚主義批判、汚職批判の意図――小賢しい官僚どもは「昼行灯」泰介を見習いなさい、一見無能であっても「誰も傷つけないようにしよう」との温かい心意気があれば官僚は務まるのです、というメッセージがあったと思うのです。しかし「昼行灯と粗忽者の兄弟のように、互いが互いの足りないところを補い合って協力すれば大事も成せる」という、なんだかよくわからない教訓でまとめられてしまっております。そんなことはどうでもよく、見終わった瞬間「あー! 面白かった!」との幸福感に包まれる、日本映画史上に燦然と輝くべき名作なのでした。

 他の組に休んでもらって東映のオープンセットすべてを使ったという、鯉のぼりが何匹もはためく江戸の町並、観客に向かって語りかける中村賀津雄、そして大チャンバラを貫く圧倒的なスピード感などなど、沢島忠監督最良の一本と言えましょう。…って何本も見てませんが。機会がありましたらぜひ! のバチグンのオススメ。

BABA Original: 2001-Sep-28;

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