京都三条 カフェ・オパール Cafe Opal:Home

Home > Reviews > 01 > 0615
Movie Review 6月15日(FRI.)

みんなのいえ

公式サイト: http://www.minnanoie.net/

 テレヴィでは大人気らしい脚本家、三谷幸喜氏の、『ラジオの時間』に次ぐ劇場用映画・監督第 2 作です。ココリコ田中とその妻は一軒家を建てんと欲す。妻の友人、唐沢寿明は気鋭のインテリアデザイナーにて、そういえば唐沢君、家の設計もやりたがっていたわねー、じゃ、頼んじゃおっかー。一方、妻の父、田中邦衛はその道 51 年の老大工にて、施工はお父さんに頼むとして…と、ココリコ田中家の家づくりが始まります。

 ミッドセンチュリーでオーセンティックなデザインを目指す唐沢君と、「ニッポンの大工をなめんじゃねえ」の田中邦衛はことごとく対立。気弱な施主、ココリコ田中は板挟みになって、あれやこれや、どうにかこうにか家が建っていく、というお話しです。

 デザイナーと職人の対立と和解が映画のテーマです。

 田中邦衛曰く「おいおい、こりゃいけねぇやぁ。この大先生の図面見てくれおぉぁ! 玄関の扉が内開きの家なんておりゃぁ見たことねぇおぉ。」

 唐沢君曰く「アメリカじゃあみんな内開きなんです YO !」

 田中邦衛曰く「ここぁ何処だぃ? …? ニッポンっじゃぁねぇっかぁ。なあぁ? 狭い土地を有効活用するために日本はみんな外開きなんだおぉ!」

 唐沢君曰く「そういう固定概念が我慢できないんだ! よく見て下さい。内開きでも大丈夫なように玄関ホールを広めに取ってるんだ YO !」

 デザインとは「問題解決」であり、果たして玄関扉を内開きにして何のメリットがあるのでしょうか? まあ、ニッポンのデザイナーとはこんなものかも知れませんね、この映画はデザイナー批判の映画だったのかー、と、その、どうでも良さに私は目眩を感じつつ呆然と感動したのでした。

 同時に、職人の側も、現場の円滑な進行を最優先させるあまりに美意識を喪失させているのだ、との批判も加えられ、これはちょっと面白いかも。

 そんなことはどうでもよくて、恐るべきはクライアント、ココリコ田中の主張の無さです。仮にも施主が、明確な方針を持っていないのが全ての混乱の原因なのですね。

 ココリコ田中の職業はテレビの売れっ子脚本家という設定です。三谷幸喜氏自身が家を建てたときの経験が多分に反映しているようです。ココリコ田中にとって、一軒目の家は、「なんだかわからないけれど、妻に言われてとりあえず建てている」という印象です。シーンの変わり目に家にまつわる名言が字幕で挿入されますが、その一つに「気に入った家は、三軒目に建てた家。」というのがあり、なるほどココリコ田中は三軒目くらいにベストフィットを狙っているのだろうか? と納得したのでした。

 いや、納得できませんね。そりゃあなた方のような、テレヴィでウハウハ儲けている方々は良いですよ。我々(誰)庶民にとっては、家を建てるとは一大事業、というか家を建てることなく借り家住まいで一生を終えるかも知れぬというのに、せっかく家を建てる機会を得たあなたのヴィジョン(大志)の無さは、如何なものでしょうか? そのようなことだから、日本中に醜悪な住宅が溢れかえっているのではないですか? あんまり気軽に家を建てていただいては、困るのですよ。ねえ。

 脚本のテクニックは見事なのでしょう。お話し運びなど手慣れたもので、観客席からは度々微温的な笑いが漏れておりましたが、きっと一生家を建てることを得ない庶民私は、映画の根底に流れる思想=家を建てることに対する無邪気なまでの気軽さに、とてつもない後味の悪さを感じ、「テクニックは負け犬が使うものなのだ」とソッと呟いてみたのでした。これから家を建てられる方にはオススメです。ここで一句。揉めた末 建てた家は 普通かな。

BABA Original: 2001-Jun-15;

レビュー目次