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Movie Review 2月12日(MON.)

BROTHER

 北野武は、『その男、凶暴につき』で大いにのけぞって以来、常にクールな名作を連発してきたのだが、『ソナチネ』で、ちょっとやばいかな? と思わせ、『HANA-BI』で、あーもう、ボクの好みとは違うところに行っちゃったなー、と嘆息。『菊次郎の夏』でちょっと戻ってきたかな? という感じ。ボクは『その男、凶暴につき』、それと『あの夏、いちばん静かな海』『キッズ・リターン』が大のお気に入り。誰も聞いてないか。

 どこが良いかというと、やはり暴力。バイオレンス。暴力描写では世界一だ。『その男、凶暴につき』で、北野武扮する刑事を狙った弾丸が逸れて、通りすがりの女子に命中するシーンがあって、「おおおお! こんなの見たことない!」と狂喜したもので、暴力とは突然に訪れるものである、という真理をまざまざと見せつけてくれたのだった。

 また、『3−4×10 月』、ヤクザの事務所で、ペットボトルのキャップか何かをポロッと床に落として「おろっ?」となったところへ、ドカンと死が訪れる。死もまた、この世のアチコチに漂っており、いつ、どこで、誰がどうなるか? それは予想不可能で、これまた当たり前の真理。

 ところが映画の中では、往々にしてその真理が歪められている。悪漢がヒーローに拳銃を向けてベチャクチャ口上を述べている間に形勢逆転されたりとか。お前アホか? ってのが映画では日常茶飯事だ。そういう映画の嘘っぱちを徹底的にあざ笑うのが(ボクの好きな)北野武の映画なのである。

 それは、夢も希望もないスーパードライな世界だ。何かに救いを求めたくなるのも人情だろう。『HANA-BI』では、「アート」とかさ、永遠なるものを信じているように見え、こんなの、タケシじゃないやい! と怒ったのものである。センチメンタル、ファンタジーは嫌いだ。誰も聞いてないスか。

 さて『BROTHER』。やっぱりタケシはこうじゃなくっちゃ。タケシ=山本がニューヨークでグングンのし上がっていく前半は「ああ、ひょっとして、とてつもない傑作を見ているのではなかろうか?」、えーっと、例えば『フルメタル・ジャケット』の前半、『七人の侍』とかを見たときと同じくらいのアドレナリン分泌量であった。

 しかし、後半、マフィアとの抗争に突入すると、途端にウジウジ感が漂いはじめる。イタリアン・マフィアとどうこうする話をリアリズムで描くのは日本人には荷が重かろう。どうもセンチメンタル、ファンタジーに流れているように思えるのだ。「おとぎ話」的風味が漂う。山本の死ぬシーンの痛さはどうだ。横たわる死体からクレーンで撮影されたとおぼしきカメラの動きの痛さはどうだ。惜しい。

 とはいえ、海外向けを狙い、見事に成功しているのではないか? 外国(といってもフランス、アメリカくらい?)で評価が高い日本映画は、エキゾチズムを前面に出したものが多い(と思う)。例えば『愛のコリーダ』がひとつの典型で、凄惨美を感じさせるものがウケる。映画だけでなく、戦後日本美術もこの傾向にある。よく知りませんが。

 この『BROTHER』にも、ハラキリ、指ツメ、イレズミなどジャパネスクなアイテムが散りばめられているが、それはサービスみたいなもので、エキゾチズムとは違う。エキゾチズムって何? と聞かれても困るが、とにかくこれまでの海外を意識した日本映画とは、一線を画している、と思うのだ。

 タケシ演じる山本の、「いつ、どこで死んでもかまわない」と腹の据わった人物像は、日本人でなくても理解できるのではないか? 例えばアメリカの、黒人にも支持される作品に仕上がっているのではないか? ついに「エンターテインメント」の分野でも、世界で勝負できる水準に日本映画が達したのではないか? 北野武の今後に大期待だ。スパークール、スパードライでお願いします。ここから日本映画の新しい歴史が始まる、と思うのだ。後半はつらいが全世界の人々にオススメ。

BABA Original: 2001-Feb-12;

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