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Movie Review 8月16日(THU.)

DISTANCE

公式サイト: http://www.kore-eda.com/

『幻の光』『ワンダフル・ライフ』(どちらも未見)の是枝裕和監督の新作。

 ARATA 、伊勢谷友介、寺島進、夏川結衣ら、それぞれ接点のなさそうな境遇の 4 人が片田舎の駅で落ち合って山間の湖を目指し、何やらノンビリとハイキング。ところが乗ってきた車を盗まれてしまってさあ大変。たまたま湖を訪れていた謎の男、浅野忠信とともに山奥の小屋で一夜を明かすことになります。

 ポチポチと挿入される回想によって、そこが 3 年前に無差別大量殺人事件を起こしたカルト集団の拠点であり、一行が実行犯の家族であること、浅野忠信は教団の脱会信者であることが徐々に明らかに。実行犯も殺されて遺灰は湖に撒かれたそうで、彼らは毎年、慰霊のハイキングを行っているのでした…というお話し。

「キャストに手渡された脚本はそれぞれの出演部分だけで、相手の台詞は書き込まれていない。俳優たちは物語の方向性と人物設定だけを知らされ、脚本には書き込まれていない多くの部分を彼ら自身の感性や言葉で形作っていった」(引用:同映画パンフレットより。)

 …という撮影手法が取られており、会話に異様な緊張感がみなぎります。同様の手法はマイク・リー監督『秘密と嘘』でもバチグンの効果をあげておりましたね。

『秘密と嘘』の場合は、最早演技とは思えない自然さに達しており呆然と感動したものですが、同じ手法を取っていても『DISTANCE』の場合は「つくりもの」感、むしろ普通の映画よりも「演技」を意識させます。瞬間瞬間の表情はリアルなのですが、妙な違和感がある。

 例えば山奥の小屋に閉じこめられた彼らの行動は変じゃないでしょうか。車で数時間かかる山奥で車を盗まれてしまい、時刻は昼過ぎから夕刻。携帯電話は圏外にて使用不可。このようなサバイバル状況にまず必要なのは、食糧の確保ですよね。彼らは誰も食事の心配をしません。小屋で一夜を明かすのですが、昼におにぎりを食べて以降何も口にしていないのに、誰も「あー、お腹空いたナー」とつぶやかないのは、いかがなものか?

 それはさておき、回想に登場するカルト教団のメンバーのある者はイっちゃった人として描かれておりますが、実行犯“りょう”などは好意的に、むしろ崇高な存在として描かれています。「カルト教団がどのようなものであったか?」は断片的にしか紹介されず、無差別殺人もラジオでさらりと紹介されるだけです。「オウム真理教がどういうものであったか?」を存分に描いた映像が未だ生まれていない現在、このように中途半端な取り上げ方はいかがなものか? と思うのですね。

「僕たちは被害者なのか、加害者なのか」との問いが立てられていますが、事件の実態を曖昧にしたままで問いかけられても…、というか、映画にみなぎる「喪われた家族への哀惜」という雰囲気は、カルト教団を懐かしむものと見られる危うさを感じます。センチメンタルに過ぎると言うか。

 また、カルト教団の実態を正面から描かなかったことで、カルト教団は単なるネタか? と思わせ、「キャストに手渡された脚本はそれぞれの出演部分だけ」というテクニックにゲーム感覚を感じてしまうのです。画面の緊張感は「いつ、ボロが出るか?」という危うさではないか? このネタに、このテクニックは不似合いなのではないか? 計算され尽くした脚本、台詞こそ似つかわしいと思うのです。どうでしょうか。どうでもいいですか。失礼しました。

 寺島進、浅野忠信らの演技合戦はバチグンの見応え、一見の価値あり、ですのでオススメです。

BABA Original: 2001-Aug-16;

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