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Movie Review 2000・10月12日(THU.)

17歳の
カルテ

 パンフレットに、白い包帯が巻かれている。確かにインパクトのあるデザインだが、違和感もある。「包帯を巻く」ことが、この映画のパンフレットとして妥当なのだろうか?

 ウィノナ・ライダー演じる、「境界性人格障害」と診断された主人公が、精神病院に入れられ、退院するまでを描く。映画は「境界性人格障害」という診断に懐疑的だ。この病気の症状に「カジュアル・セックス」があるらしい。気軽にセックスしてしまう、つまり「淫乱」ってことなんだが、主人公は問う。いったい何人とセックスすれば「淫乱」なのか?

『カッコーの巣の上で』『女優フランシス』などでも描かれていたように、精神病院は、ちゃんとした(?)精神病でなくとも、たとえば家族の厄介者、反体制的な言動・行動をくりかえす者を閉じこめ、治療と称して電気ショック、薬物、ひどいときは前頭葉切除などの処置をもって反抗心を取り除いていた。

『17 歳のカルテ』の主人公も、保守的な親から見れば気が狂ったとしか思えないのだが、映画の中でウーピー・ゴールドバーグ演じる婦長が語るように、「あなたは病気などではない。ただの怠け者で、何かを壊したがっている子供」でしかない。もう一人の患者、アンジョリーナ・ジョリー演じるリサも、強烈に精神の自由さを求めているがゆえに、「精神病」と見なされているだけである。

 彼女たちに「精神病」のレッテルを貼ることは、異なる価値観を認める柔軟さを欠くことであり、パンフレットに「包帯を巻く」というデザインをほどこすとは、硬直したものの見方をする側に立つことに他ならない。映画の作者たちは、診断の当否を、少なくとも保留しているように見える。「包帯を巻く」ことは、よけいな先入観を与えるのではないか?

 さらに、不思議なのが『17 歳のカルテ』という題名である。この映画の原作は、1948 年生まれのスザンヌ・ケイセンの体験にもとづくもので、パンフレットによると映画の時代設定は 1967 年、主人公は 19 歳のはずだ。ハイスクールの卒業式の回想シーンもあるから、17 歳ではありえない。「17 歳のカルテ」なるものは映画には一切登場しない。ちなみに原題は“GIRL, INTERRUPTED”=「中断された少女」。「17 歳の犯罪」が多発したとみるや、むりやり題名に 17 歳をすべりこませたのではないか?

 パンフにはこうある。

「この映画を見れば、人は誰だって不完全なんだと気付き、生きる勇気がわいてくるに違いない。」

 この文章の意味は、ボクにはまったく理解不可能だ。この映画は、少女が大人になるにあたって無くさなければならないものは何か? を描いている。大人になるとは、反発することをやめ、偽善と適当に折り合いをつけて生きるすべを学ぶことだ、と作者は語っている。結末は苦いものであり、「生きる勇気」などわきようがない、と思うのだがいかがだろうか?

 つまり、配給会社はこの映画を誤解・曲解している。もしくは、そう見える。商品としての映画の売り方は自由だとは思うし、実際、それなりにヒットしているのは喜ばしいことである。しかし、これでいいのか?

 監督は、ジェームズ・マンゴールド。前作『コップランド』でも、「正義、信念をつらぬくこと」の困難さを描いており、『17 歳のカルテ』もその延長線上にある。ともかく、アンジョリーナ・ジョリーのクール・ビューティぶりが見どころだし、いろいろ考えさせられるのでオススメ。(画像は同映画パンフレット:発行/ヘラルド・エンタープライズ株式会社)

BABA Original: 2000-Jan-12;

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