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Movie Review 2000・5月19日(FRI.)

イグジステンズ

 クローネンバーグの最高傑作。痛快娯楽巨編だ。例えば、フリッツ・ラングが『死刑執行人もまた死す』で、登場人物の心理に重きをおかず、映画の時間すべてに、過剰なスリルとサスペンスを貫いたように、この映画もどんでん返しの連続であり、疾走感に満ちている。

 また、カフカ的、というとインテリっぽくてダメそうなので、言い換えると吉田戦車風の笑いにあふれ、リアリティがガラガラと崩れ落ちる様は P ・K ・ディック風であり、さらに「突然変異生物」などのデザインは諸星大二郎風でもあり、と、グッと来るタイプの作品なのだ。

 さて、内容は…。“エグジステンズ”なる新作ゲームのお試し会。ゲームクリエイターのジェニファー・ジェイソン・リーが言うには「‘eXistenZ’は、ただのゲームではない…」。そこへ突如…。この手の映画にとってストーリー紹介は罪悪であるので、ここまで。

 映画の中で、主人公たちはゲームをする。そのゲームは脊髄に直接信号を送るものなので、受け取る感覚は際限なく「リアル」なものだ。現実とゲームの区別は無意味なものとなる。

「ゲーム」=「現実」は、奇妙な生物がチョロチョロするグロテスクで不条理な世界である。なんでも、ホメイニ師から死刑宣告を受けた、『悪魔の詩』のサルマン・ラシュディと会見したことが、この映画の発想の源だそうだ。「芸術家」が、その「作品」のために命を狙われる。「芸術家」はこの映画ではゲームデザイナーとして登場し、「反ゲーム」を叫ぶ「現実主義者」に命を狙われる。暗喩に満ちたストーリーであり、色々と考えさせられるところである。

 不条理に満ちた世界では、殺人も自由だ。しかし、主人公はあらかじめ決められた行動を取らなければ、何事も先へ進まない。自分の意識と無関係にセリフを発したり、性欲を昂進させたりもする。「自由意志」もまた、不確かなものなのだ。はたして、これは自分の意志なのか、あらかじめ予定されている行動なのか?

 このような世界で人はどのように行動すればいいのだろう?

 ここで“existence”=「実存」が問題になってくる。…と、ボクは実存主義はよくわからないので、『90 分でわかるサルトル』(ポール・ストラザーン著、浅見昇悟訳、青山出版社)を読んでみる。以下引用。

「サルトルは言う。
 人間にあらかじめ定められた本質や目的はない。人間は本当に自由だ。人間が何であるかは、その人の行なったことの総体以外のものではない。人間が何であるかは、自分でつくっていかなければならない。人間は、自分の人生に対して全責任を負わなければならない……。」

 この映画の主人公たちは「現実」=「ゲーム」の中で「本質」「目的」を持たず、ひたすら行動し続ける。リアリティを獲得するためには、ゲームを破壊しなければならない。しかし、それは新たなゲームの始まりでしかない。立ち止まることなく、責任は引き受ける覚悟はしつつ、行動し続けよ! …ってことかいな。

 ともかく、ややこいコトを抜きにしても、ゲームを脊椎にジャックインするたびに、「あは〜ん」とエロエロになったり、と最高にマヌケでもあるので、強力にオススメ。

BABA Original: 2000-May-19;

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