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Movie Review 2000・4月9日(SUN.)

どこまでもいこう

 この映画をやっと見て、思ったこと。「なんでもっと早く見とかなかったのか!」ということ。もう、上映終わっちゃったよ! 誰にも勧められないよ! ああ、何て空しいレヴューでしょう。

 小学校 5 年生。何段階かあるだろうと思われる成長の過程の中でも、もっとも早い時期の重要な転換期であると思います。大人への最初の一歩。自分の居場所、立ち位置、進んで行くであろう道筋、そして友達同士での微妙な価値観の違いなどが朧気ながら見えだしてきた頃。そんなクソガキどもの姿を瑞々しく且つ毒を込めて描いている。この毒の部分が非常に重要なんですよ。あらゆる表現において毒にも薬にもならないもの程つまらんものはない。

 映画は数々の悪行を繰り返すまさにクソガキどもの日常をまるでドキュメンタリー映画のように荒っぽい映像に映し出す。 ヤクルト盗むは、窓からロケット花火ぶっ放すは、挙げ句の果てにはタバコまで…。(しかしこれらの悪行に対する自分の中の「このクソガキは…」と言う指数が高まるにつれ己の老いをも確信してしまったりして苦笑い)

 勿論これらの悪行の描写がこの作品の毒性を高めているわけではありません。それはあるシーンに突如として現れます。ふとしたことで親密になったクラスでも目立たない存在の友人の死と言う場面。また無理心中と言う死の設定が妙に生々しい。ここから映画は俄然リアリティーを持ちだしてしまう。一見日常からちょっと離れたところにあるようなこのシーン。なぜか僕の心はここからこの映画に持って行かれてしまったのです。なぜなのかその理由は見終わったばかりの今は分析できませんが…。でもこの友人の死に直面し、戸惑い、混乱する主人公の心象や、死んだ子の家庭、特に母親の佇まい(離婚して母子家庭という設定になってます)が僕の琴線に触れたのです。

 全く関係のないところで自分の中の思春期の思い出が生々しく思い出され、居ても立っても居られないような何とも甘酸っぱい感傷が横切っていったのでした。自分にリンクするものでは決してないのですが。

 何げに登場するクラスメートの女の子の描写や、それに反応する男の子の描写もくすぐったくて秀逸。同じく塩田監督の『月光の囁き』と併せて見ると余計に面白い! 共通点があらゆるところで見受けられます。

 ああでもこの映画は終わってしまったのだ。また上映する機会があったら是非とも見ていただきたい青春映画の傑作でした。

kawakita Original: 2000-Apr-09;

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