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 Diary 2003・12月13日(SUN.)

チカーノラップ

 今年もヒップホップ漬けの一年であつた。振り返つてみれば、色々と思ひ出深いトピックもあるけれど、個人的には何と言つてもチカーノラップとの出会ひが大きい。これまでも、サイプレス・ヒルなどチカーノがやつてゐるラップグループも聴いてはゐたけれど、いはゆる「チカーノラップ」と言はれる、特殊なジャンル(?)に本格的に足を踏み入れたのは、今年に入つてからである。これがもう、泥沼のやうだ。足をとられて身動きがままならない。年末になつて、デイブ・ホリスター、モンテル・ジョーダン、ジェシ・パウエル、と、私が新譜を待ちに待つてゐた男性 R & B シンガーたちが一斉にニューアルバムを出したのだけれど、チカーノラップの泥沼に嵌つて、まだ買つてゐない。困つたものである。

 ヒップホップミュージックには、最新形の音楽、といふ特徴がある。ビート、サウンド、ライム、などに常に革新が起こり、他の音楽ジャンルに影響を与へ続けてゐる。さういつた側面を追ひかけるのも、もちろん刺激的で楽しいのだが、チカーノラップはちと違ふ。なんといふか、ウエッサイヒップホップの「旨み」、メロウな、日本で言へば「甘茶」といふのか、さういつたモノを濃縮・発酵させたやうな音楽なのだ。つまりそこには革新はない(多分、あまり)。が、濃縮・発展があるのだ。ウエッサイのアーティストたちも、自分たちの特性は維持しつつ、それでも常に革新は続けてゐる。それは全世界規模で売れてゐる、といふ性質からして当然のことだ。世界は常に最新形のものを求める。が、チカーノラップは、多分、基本的にチカーノたちのコミュニティで消費されるものだ。それ故、保守性が強く、趣味性が濃く出てゐるのだ。だから、これに嵌ると、強烈だ。ウエッサイの他のアーティストたちが、革新を求めて、本来の「旨み」を薄れさせていく中、ひとり「旨み」を濃縮させ続けるチカーノラップに、「旨み」が忘れられないファンたちが引きつけられていく。私もそのうちの一人、といふ訳である。

 しかし、ここまで革新もなく、趣味性の強い「旨み」の中に耽溺してゐるのは、なにか後ろめたいものがある。自分の好きなものだけに耽溺する、といふのは、本来褒められたものではない。そこには「遊蕩」といふ文字がベッタリと貼り付けてあるやうだ。が、この後ろめたさがまた、媚薬として作用して、自分はダメな人間だ、といふ甘い自虐の感覚とともに、自らを腐らせていく快感を提供する。……困つたものである。

 困りながら、今年も暮れていく。

小川顕太郎 Original:2003-Dec-15;