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Movie Review 1999・11月26日(FRI.)

黒い家

 どうも「めちゃくちゃ怖い」って売りみたいだけど、怖かったですか?

 森田芳光の特質である過剰な演出は、観客に「映画を見ていること」を常に意識させるものだ。映画を見ていて「怖い」ってのは「映画を見ていること」を忘れさせなければ生まれてこないと思うが、どうか。

 例えば西村雅彦の登場シーンでは金属を削る音が常に挿入される。挿入の仕方はいかにも「効果音」というもので、それは、生理的にイヤな気持ちになりこそすれ観客には「映画を見ていること」を常に思い起こさせる。むしろ滑稽感ばかりが増していると思うが、どうか。

 そもそも『GONIN 2』のブチ切れセーラー服売春婦、『生きたい』のブチ切れ躁鬱病中年女など近年、ブチ切れた人物を演じ続ける大竹しのぶである。最初からブチ切れてどうする? ホラーってのは日常の延長から始めなければならないと思うが、どうか? ブチ切れぶりが痛快であるけれど。

 クライマックスも、これがアメリカ映画であったれば、スペシャルメイクな映像で思わず「おおっ!」と観客をのけぞらせてくれるところであろうが、締まらないことはなはだしい。

 要は森田芳光はホラーに向いてないんぢゃないの? ということだ…って何様のつもりでしょうね、オレは。て言うッかぁ、『(ハル)』とか、『失楽園』などのように、手垢のついた題材をどうこうするには一見斬新な演出でオッケーなんだけど、『39 ―刑法 39 条』のような法廷もの、今回のようなホラーの場合はオーソドックスな演出に徹するべきなのだ。既成のホラーの概念に懐疑をなげかける意気や良し、であるが、ホラーには、厳然たるセオリーがあるのだ。表現においては徹底したリアリズムを貫かねばならぬ。詩的な表現、登場人物による空想の映像化は避けねばならぬのだ。そこんとこヨロシク。

 ちなみに町田康が出てますので、お好きな方は要チェック。どうでもいい役ですけど。

 映画では表現が難しい「臭い」によるサスペンスをどうするか? をクリアすれば、原作を忠実に映画化することで充分傑作たりえるのだ。『CURE』の黒沢清あたりが再映画化すればいいのだ。そのときは、原作通り京都で撮影してね。

BABA Original: 1999-Nov-26;

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