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2015年09月19日(Sat)

ホムルンクス []

Text by 元店主

ババさん映画第2弾!これは前作から約1年後の1981年、嵯峨野高校文芸部作品。N田さんによると、この作品に至るには様々な紆余曲折があったとの事で・・・。まず、当時の嵯峨野高校には映画研究会がなかった。それで、なんとか映研を創ろうとN田さんは友人のK上さんと画策したらしいのですが、結局叶わず、仕方なく、映画も作っていた文芸部に潜り込むことにしました。そこにババさんも引き込んで三人で映画を創ろうとしたのですが・・・そこに企画会議の壁が!文芸部の規則で、企画会議を通らないと映画は創れなかったのです。
そこでN田さんは「人造人間Sー7号」という人造人間ものの脚本を提出、それに触発されてババさんも「悪魔を憐れむ歌」という、これまた人造人間ものの脚本を提出。が、そこになんと!当時文芸部で一番勢力を誇っていた0村さんという方も「ホムルンクス」という人造人間ものの脚本を提出。当然の様に「ホムルンクス」が通ってしまい、三人(N田さん、K上さん、ババさん)は嫌々この映画を撮ることになってしまった・・・。しかし、ババさんは「このままで撮れるか!」と後半部を全面的に書き直し、自らも主演で存分に暴れて鬱憤を晴らした、といった作品です。
今回も、粗筋・ネタばれ込みの、レビューとなります。

最初に断っておくと、「ホムルンクス」とは「ホムンクルス」の間違いです。まぁ、高校生らしい間違いとでも言いますか・・・。
さて、この作品にはババさんとN田さんの二人しか出て来ません。そして、主にババさんの怪演を楽しむものとなっています。

まず、「展覧会の絵」が鳴り響く中、スクリーンに「ホムルンクス」と題字が出ます。次のカットでN田さんの背中が映り、そこに、画面のこちらがわからニューっと大きな手が伸びてきて、N田さんの肩に置かれます。カットが変わって正面からの映像。N田さんの肩に手を載せたのはババさんでした。

「おい、帰ろうか」

「おお」

二人して教室を出ます。ここで印象的なのはババさんの身長。むろんババさんは背が高かったから“ババさん”という綽名だった訳ですが、N田さんと並ぶとその身長差は強調されますし、教室から出る時に、頭が出口ギリギリなのです。最初に映った大きな手といい、ババさんの異形感が印象づけられるオープニングといえるでしょう。

帰り道。二人してベンチに座ってジュースみたいなものを飲んでいます。

「久しぶりに寄ってくか」とババさん。

「うん」

こうして二人はババさんの家に向かうのですが、その途中で「まだ一人暮らししてるのか?」「わけあってね」という会話で状況が説明され、坂道を登り始めたババさんに「おい、道が違うじゃないか!」と声をかけ、慌てて後を追いかけて坂道を走っていくN田さんが映ります。そしてババさんの家に到着、二人で椅子に腰掛けます。
ここまでで、二人の関係が示されています。つまり、ババさんがリードして、N田さんが受け身、という関係です。なかなか秀逸な導入部です。

ババさんの家での二人の会話。ここで、ババさんは両親を亡くし、莫大な遺産を受け継いだものの、それを全て注ぎ込んで(家も小さな所に引っ越して)、人造人間を創ろうとしている事が明かされます。
ここで注目すべきは、この単に会話してるだけのシークエンスを、如何に単調に陥らずに撮るか、という事です。というか、そもそもこの映画自体、ババさんとN田さんの二人が会話してるだけのシーンが大半なので、そこにどういう工夫をするか、がポイントなのですが、特にこのシークエンスは狭い部屋に二人で座っているだけなので、工夫が大切です。
で、カットを何度も割って、色々な角度から二人を映す・・・という事をやっているのですが、これは、まぁ、ふつう。むしろ、ババさんがひとりで、喋りながら両手を握ったり閉じたりしたり、首を振ったり、椅子から立ち上がったり座ったりしているのが、アクションを作り出している様に思えました。ババさん大活躍!N田さんは、ほとんど動きません。
あと、個人的な感想ですが、帰ろうとするN田さんを引き止め、「絶対に誰にも言うなよ!」と睨みながら念を押すババさんのアップをみて、ババさんって松田優作に似てるなぁ、と思いました。いや、生前のババさんに対してそんな事を思った事がなかったもんだから・・・ちょっと気になって。

次に幻想的なシークエンスが来ます。帰り路のN田さんを後ろから撮ったシーンに続いて、横から撮ったシーン、で、一瞬だけ、道路にあるクルマ用のミラーにN田さんの顔が映るシーンがある・・・あったと思うのです。一瞬すぎて、よく分からなかったのですが、これ、結構重要ではないか?と思いました。なぜなら、鏡というのは異世界への通路でもあるからです。・・・が、そんなに重要なシーンなら、もっとちゃんと映すんじゃないか?うーん、やはり私の勘違いか、編集上のミスかもしれない・・・とも思います。どうだろ。
とにかく、この直後にスクリーンが赤色に変わり、奇妙な音楽が流れ、幻想シーンが始まるのです。
頭を抱え絶叫し、苦しんでいる様子のN田さん、走り、何かから逃げているN田さん、光るメス、飛び散る血、薔薇や向日葵、走り去るトカゲ・・・などが次々とイメージの連鎖をなし、最後に真っ黒な影がこちらに襲い来る・・・という所でこのシークエンスは終わります。

学校のシーン。ババさんとN田さんが校庭を眺めながら喋っています。ここでババさんは、人造人間創造に集中するために学校を辞める、と言います。なにもそこまでしなくても・・・と言うN田さんに対して、現在の人類を超えた種を創るのがオレの夢なんだ、とババさんは断言。自分の夢を理解しないN田さんに腹を立てて帰ってしまいます。もう学校には来ない!と言い捨てて。

何日か経って。N田さんは、ババさんに電話で呼び出され、家に行きます。
人造人間が完成したと聞いて、是非見せてくれ!と逸るN田さんを「まぁ、待て」と抑えて、ババさんはN田さんをジッとみつめます。

「なんだよ、なにジロジロ見てるんだよ」

「うむ。・・・オレのこと、どう思う?」

「え?どうって・・・お前とは小学生以来の付き合いだし・・・まぁ、ちょっとついていけない所はあるけど・・・」

「ふむ、それを聞いて安心した」

と、ババさんは席を外し、飲み物を持って再び現れます。

「まぁ、飲め」

なかなか人造人間を見せてくれないババさんに苛立ったのか、N田さんはババさんに対して不信感を表明。人造人間なんて妄想じゃないか?とけしかけます。それに対して、天才は理解されない、と返すババさん。お前、天才のつもりなのか?とさらに挑発するN田さんに対して・・・
「まぁね」と余裕をみせるババさん。が、「いいや!」と即座に自分の答えを否定し、「オレは・・・神だ!」と絶叫。立ち上がったババさんの下から真っ赤なライトが当り、恍惚に満ちたババさんの表情が照らされるのであった。ババーン!
ここからババさんは、人造人間は女性であること、自分はその女性との間に子供を作り、新しい人類のアダムになるつもりのこと。そしてその子供たちは、現在の堕落し切った人類を滅ぼし、新たな世界を作り上げ、そこで自分は彼らを創った“神”として崇められる予定であること、などを嬉々として語ります。
完全に呆れるN田さんに対して、ババさんはさらに「彼女(人造人間)がオレのことを好きになるかは、神であるオレにも分からない。そこで、お前の脳を彼女にくれないか。親友であるお前の脳を移植したら、大丈夫だと思うんだ」と、とんでもない事を言い出します。それが済んだら、人造人間は完成する、と。
さすがに帰ろうとするN田さんに対して、ババさんは自分の分の飲み物も突き出して「もっと飲め」と促します。「いや、もう結構」と断るN田さん。それに対して「飲め、もっと飲むんだ。お前に拒否する権利はない!飲まないなら、無理矢理飲ましてやる!」と、下心ミエミエで迫るババさん。
「いやだ!」「飲め!」と、揉み合っているうちに、N田さんが床に崩れ落ちました。
「ふうむ。効き目が遅いから、コップを間違えたのかと思った」と、再び余裕を見せるババさん。
N田さんは、霞む眼をこすりながら、必死に床を這って逃げようとします。そこに光るメスを持ったババさんが迫る!

「人間の生命への執着力とは、しぶといものだな」

と、あまりに如何にもなセリフを吐いて不気味にほくそ笑むババさん。メスをN田さんの頭に向かって、スウッと・・・と、火事場の馬鹿力を出したN田さんがその手を払う!払われた手から離れたメスは、何故かババさんの足に、グサリ!

「ぎゃあー!!!」

痛さに悶え苦しむババさん。必死に逃げるN田さん。ババさんはなんとか足からメスを引き抜こうと、悪戦苦闘します。叫び声を上げながら、七転八倒し、メスを引き抜こうと暴れるババさん!必死で這って逃げるN田さん。大熱演!二人とも大熱演です!!
しかし、とうとうババさんはメスを引き抜くことに成功し、逃げようとするN田さんの上に多い被さります。N田さんの主観ショットで、多い被さってくる黒い影がアップで迫ります。それは、幻想シーンの最後に出て来た黒い影とそっくりです。どんどん迫る影。そして極言まで迫った時に、影が明るみ、満面の笑みを浮かべたババさんの顔が現れます。そこで、(フラッシュゴードン劇中の!)結婚行進曲が流れて・・・完!

私は見終わった瞬間「BLや!」と叫んでしまいました。いや、これ、人造人間は最後まで出て来ないし、ほんとに居たのかどうか分からない。それはババさんの妄想だったのか。それとも意図的な嘘だったのか。なんにせよ、ここには隠された裏のストーリーがある。それはなにか?
秘密の共有の強制に始まり、自分の夢=願望をなんとか理解させようとする努力、それがダメだとなればクスリを飲ませてでもヤッちまおうとする強引さ(お前はビル・コスビーか、と今なら言われるでしょうね)、そして最後の結婚行進曲、と、BLものとして観るのもひとつの見方でしょう。ババさんの嬉々とした怪演ぶりも、それで説明がつく・・・かもしれません。

しかし、この作品はもっと他の見方もできるのです。そもそも、なんで最初の企画会議の段階で、三人ともが人造人間もののシナリオを提出したのか。それは、三人ともが自分の子供=作品を作りたかったからではないのでしょうか。しかし、ババさんとN田さんの子供は無惨にも流産させられてしまいます。そこに残ったのが、なんとも気に喰わない子供の種です。そこで、それを改造する事にした・・・。この、改造して新しいものを作る、というのも人造人間もののテーマです。そう、フランケンシュタインですね。そういえば、ババさんの髪型など、フランケンシュタイン(博士の作った怪物)に似てるような・・・身長も高く、動きや喋りもぎこちないし。
それはともかく、そういった意図で作られたのがこの作品だったのではないでしょうか。劇中のババさんの「現在の人類を超えた種が作りたい」というセリフは、現在与えられた脚本を超えた映画が作りたい、という事でしょう。そしてそのために、作りあげたのがこの作品。つまり、劇中に決して姿を表さなかった人造人間とは、この作品のことだったのです。我々はずうっと人造人間の製造過程を見て居たのです。そして、みごと完成する様も。

ところで、その後はどうなったのでしょうか。ババさんによって孕ませられてしまったN田さんは、その後も順調に子供(映画)を産み、育て(配給)続けています。ババさんは美大に行き、デザインの仕事へと進みました。映画関係の仕事にはつかなかったのです。子供を作ったらそのままどこかへ行ってしまう放蕩親父みたいですね。

一応、この二本(「サテライト・オペレーション」「ホムルンクス」)が、ババさんが制作に関わった映画の全て、のはずです。しかし、あのババさんの事ですから、どこかに隠し子が居る可能性もあります。いつの日か、その隠し子に偶然出くわす・・・そんな妄想に身を委ねながら、「ババさん映画祭」のレビューを終えます。

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