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2015年07月27日(Mon)

バケモノの子 強制起訴シリーズ

起訴者: 元店主

強制起訴シリーズ56弾

両親の離婚、それに続く母親の突然の死に見舞われた少年・蓮。彼は自分を引き取りに来た親戚たちと馴染む事ができず、夜の渋谷へと出奔してしまう。そこで、彼は人間界にやって来ていたバケモノ・熊徹と出会う。熊徹は、次のバケモノ界の総帥を決める闘いに出場する条件の「弟子があること」を満たすために、弟子を探しにきていたのだ。熊徹は滅法強いが、性格に難があり、バケモノ界で彼の弟子になりたいと思う者は居なかったのである。熊徹の後をつけて、バケモノの世界・渋天街に迷い込んだ蓮。なぜか蓮の事を気に入って、「オレの弟子にしてやる」と名前まで勝手に“九太”とつけてくる熊徹の元で、「お前の弟子になるつもりはない!」と言いながらも修行に励む蓮=九太。月日は流れ、やがてバケモノ界の総帥を決めるため、宿敵・猪王山との試合の日が近づくのであった・・・。
ジブリがアニメ映画製作を止めたいま、その後を継ぐのでは?と嘱望される細田守による最新アニメ映画!

ヤマネ
あー、ダメダメ!ボクは前作の「おおかみこどもの雨と雪」の時点で、細田守はもう終わった、と思ってたんですが、今作でその確信がさらに深まった感じですね!やっぱ細田守は「時をかける少女」のみですよ、いいの。
マツヤマ
ふーん、そうなのか。オレはそもそもアニメに興味がないし、できれば観たくないんだけど・・・だから結構いやいや観にいったんだけど、その割には“観れた”って感じ?異世界に簡単に行けるとこは「ミッドナイト・イン・パリ」みたいで面白かったし、そこが中華風味というのも興味深い。それなりに楽しめたけどな。
元店主
私は「時かけ」は結構、「サマー・ウォーズ」はかなり面白いと思った口なんですが・・・でも次の「おおかみこども」で、あれ?ってなって、今作で、細田守ダメかも・・・と思いました。
ヤマネ
でしょー!ほんと、ゾクゾクする様なシーンが全くないし、街の様子やカメラワークなんかも、全然いいと思わなかった。バトルシーンもダメ。楽しさがない!
元店主
「時かけ」や「サマーウォーズ」にはあったアニメ的な快楽が、「おおかみこども」では減退していて、それでもまだ結構あってそこは良かったんだけど、今回の「バケモノ」はそれがほとんどなくなってる。アニメ的な快楽のないアニメなんて・・・ダメやん。
マツヤマ
うーん、オレはアニメに興味がないから、アニメ的な快楽、と言われてもよく分からないんだけど、なにそれ?
元店主
えー、なんていうか、絵が動く事によって起こる独特の快楽のことです。これが分かるようになると、アニメに嵌ってしまう!
マツヤマ
はまりたくないよ!でも、絵もかなり緻密でキレイだったし、映像的に割と高度なんじゃない、とか思ったけど。
元店主
う〜ん、違うんですよね〜、なんつーか、この作品の絵の凄さっていうのは、間違ったリアリズム、とでも言いますか・・・なんか、実写で撮った映像をそのまま絵に置き換えてるだけに思えるんですよ。それは、アニメ的な快楽の対極ですから。
ヤマネ
そうですよねー。やっぱその点では宮崎に遥か及ばないです。ほら、マツヤマさんも、「風たちぬ」の飛行シーンはいい、って言ってたじゃないですか。あれですよ、あれがアニメ的快楽に満ちた映像です。実際の飛行機はあんな風に飛ばないですから。
マツヤマ
そう言われてもな・・・
ヤマネ
それから、細田守は主に役者を声優として使うんですが・・・今回も酷かった!染谷将太(九太)と広瀬すず(楓)!
元店主
広瀬すずは「海街ダイアリー」で、わりと上手な子だな、と思ってたんだけど・・・確かに今回のは辛かったね。やっぱ実写の芝居とは違うから・・・。
ヤマネ
このド下手カップルに対峙する悪役の一郎彦が宮野真守で、彼はやっぱ本物の声優さんだから上手い。彼らの対決シーンは、力量の差が歴然とし過ぎていて、かなりトホホな感じでした。
元店主
でも、熊徹の声をやった役所広司はわりといいと思ったよ。
ヤマネ
そうですねー。大泉洋もよかった。宮崎あおいも割と・・・。できれば声優を使ってほしいけど、たとえそうじゃなくても、上手い人があてればいいって事ですか。
マツヤマ
オレも役所広司はいいと思ったけど、映画「渇き」を思い出してしまって・・・断然いいと思ったのは津川雅彦だけどな。・・・・・・ところで、オレはそんなアニメ的な快楽とか声優の話はわかんないんで・・・ストーリー的な事を話さないか?
ヤマネ
オーケー、いいですよ!・・・コホン、んー、まづ、細田監督は非常にウブな感じがしますね。
マツヤマ
いきなり偉そうだな、おい。
ヤマネ
テヘ!・・・いやね、結婚して親族が増えたら「サマーウォーズ」を作り、子育てに関して考える時期がくると「おおかみこども」で頑張る母を描き、今度は父として息子への成長の期待を込めて「バケモノ」を撮る、と。わかりやすいというか、何というか・・・で、インタビューとか読むと、最近自分で子育てしてて気がついたんですけどね〜とかいうノリで答えてて、でもその気付いた事というのが全く面白くない!非常に教科書的というか、凡庸というか・・・みんな同じ様な事で悩んでるんですよね〜そんなみんなへの応援歌を作りたい、とか言ってるんですが・・・
マツヤマ
この作品、当たり前みたいに“父と子”という括りで語られてるだろ?でも、オレはそれには違和感があって。熊徹と九太は“父と子”という関係には見えないよ。似た者同士が共に生活し、成長するうちに情が移った・・・という関係にしか見えなかったけどな。それよりこれは“母と子”の映画だろう。九太の心の暴走を鎮めるのが謎の小動物。あれ、母親の象徴だろ、何度か映像でも出てたし。楓も、恋人というより母的存在だよ。勉強や社会の仕組みを教えてあげる、とか。父性って、猪王山ぐらいだろ。
元店主
なーるほど。でも、この映画における女性の存在感って、はんぱなく薄いですよね。・・・ふーむ、実は細田守の作品って、「時かけ」は別にして、ヒロインにとにかく魅力がないんですよ。今回の楓も居たんだかどうかというくらい存在感ないし。これはもしかして、細田守は女性の中に母性しか見られない人間なのかもしれませんね。だから、ヒロイン像が薄っぺらになる。・・・いや、単なる思いつきですけど。
マツヤマ
ま、そういった意味で、オレは猪王山の家族が興味深かったんだよ。猪王山は強くて賢くて人望もあり、精神的なバランスもとれていて、理想的な父親にみえるが、実は子育てがムチャクチャ。一郎彦はずうっと嘘をつかれて育てられたから、どんどん精神を歪ませていくし、一見純粋でひょうきんなキャラにみえる二郎丸は、強い奴は好きだから仲良くするが弱い奴は嫌いだから苛める、というナチュラル卑劣漢。これは猪王山が自己の鍛錬や自分の仕事ばかり大切にして、子供には実は無関心だったが故に起こったんじゃないか、と。
ヤマネ
ははは、面白いですね!でも、ボクはむしろ猪王山は子供に関心がありすぎたんだと思いますよ。特に長男の一郎彦に対しては、過剰な思い入れと自らの自負心の強さが、客観的にみればおかしな育て方に・・・。過干渉なんですよ。最初の子にありがち、ボクも思い当たるふしが・・・。だからといって、熊徹と九太の関係ーボクは一応これを親子関係と考えますけどーがいいとは思わないですよ。だって、自らが剣になって九太の胸の中に収まる、という熊徹のラストは気持ち悪すぎる!自分が子供にとっての何かでありたい・・・というエゴが強過ぎるんですよー。あー、きもー。
元店主
私はラストの解決はわけがわからなかったです。一応、人間の“心の闇”が核兵器みたいな最強の武器、みたいな設定になっていて、むろん九太だって人間だから闇という最強兵器は持ってて、それで一郎彦に対抗できるけど、それを使うと世界が荒廃するし自分も闇に落ちるから敢てそれを使わないで闘ってた訳じゃないですか。そこに剣となった熊徹を心に収める事で、心の闇を埋め(?)最強になり(?)、一郎彦を倒す、と・・・なんか変じゃないですか?猪王山が剣になって一郎彦の心の中に入り、闇を鎮め、闇の力を抑える・・・というのなら分かるんですけど。一郎彦の心の闇は消えてないから問題は何も解決してないし、都合よく自分が暴れてた時の記憶忘れてるとか・・・あまりに全てが御都合主義です!
ヤマネ
実際のところ、細田守は何も考えていないと思いますよ。全てが薄っぺらいし、思想性もゼロ。その時その時の自らの関心を、世の中のキャッチーな事象に結びつけるのが上手いだけだと思います。
元店主
うーん、ところが私は、細田守には思想性はある、と思っているんだ。それは・・・人間、普通が一番いいよね!という思想。それを感じたのは「おおかみこども」を観た時なんだけど、あれって、狼と人間の合の子、というのがスペシャルな訳じゃない。それが、ラストに至って、姉は普通の人間になる事を選択し、弟は普通の狼になる事を選択する。で、それぞれがそれぞれの社会に馴染み、順応していく・・・。その時は「もしかして・・・」という程度だったんだけど、今回の「バケモノ」では、九太はバケモノに育てられ、そこの総帥になるほどのバケモノの一番弟子として有名になる。で、最後にはその熊徹の剣を胸の中に収め、あるいみ凄くスペシャルになったはずなのに、彼が目指したのは・・・
ヤマネ
人間界の普通の大学に入り、普通に就職して、普通の家庭を持つ!ってことですね!
元店主
そうなんだよ!なーんか、気持ち悪くて・・・九太がバケモノの世界に戻る事は二度となかった・・・とか、どういう事やねん、と。
ヤマネ
若い時はヤンチャも認めたし、クラブ活動とかスポーツもバリバリやらしたけど、高校三年生になったら受験もよろしく!みたいな、文武両道いける立派な社会人になってほしい、みたいな感じですかー。
マツヤマ
まぁ、そこらは微妙なとこで・・・、普通の大切さを教えるのも、教育としては重要なんだと思うよ。やたら個性重視とかオンリーワンみたいに子供を甘やかせた結果、普通のことがちゃんとできない大人が大量に出て来てるからな。
元店主
それはわかりますよ。でも、そうなったら、もう私とは関係ないとしかいいようがない。私にとってアニメとは、ってか、マンガでも映画でも小説でも音楽でもそうですが、もっと特異でスペシャルで非社会的で危険なものなんです。一般人が暇つぶしに観て、テキトーに楽しめて、自分たちのライフスタイルを肯定してくれて、いい気持ちになって明日からも頑張って働くぞー!ってな、いわゆる娯楽作品は、私には要らないんです。だからいい悪いではなくて、細田守は私には関係なーい!
マツヤマ
オレにはアニメそのものが関係ないけどな。
ヤマネ
まー、マスに売るには仕方ないかもしれませんね。無難で凡庸でフツーの人たちに来て貰わないと大ヒットにはならないですし。それに、若い時にあんまり危険な作品に触れると、その後の人生を誤ることになるかもしれないですからねー、誰かさんの様に。
元店主
・・・・・・え?私?
マツヤマ
オレは関係ないから。
元店主
あー!マツヤマさん、逃げましたねー!
マツヤマ
ええっと、来月の強制起訴映画は・・・「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」だ。よろしく!
ヤマネ
むむ、ブライアン・ウィルソンの伝記映画ですね。では、そういうことで、また!

Comments

投稿者 uno : 2015年07月28日 00:01

細田守監督の作品は初めてです。私は結構楽しめました。

声に俳優を起用してどうなるのかなって思いましたが、役所広司上手いやん!で、リリーフランキーが何とも言えない味わいでこれまた良くて。てかリリーフランキーは完全に当て書きでしょ。あと楓の広瀬すずも私は良かったと思います。これも当て書きに思いました。途中から楓が広瀬すずに見えてたし。。。声優の下手と朴訥の区別が付いてない感は否めないですが。

この作品を見て思い出したのが是枝裕和監督の「そして父になる」。熊徹がリリーフランキー。それに対して猪王山が福山雅治。雰囲気が。スキンシップは大切やなと。
子供と共に成長していく熊徹が良かった。教え方が分かることで自分も成長する。グッときました。

九太と一郎彦の闇の件なんですが、九太は渋谷を徘徊している時に「大嫌いだ!」と叫び、そこで闇の部分が渋谷のショーウインドーに消える。熊徹が九太を見つけた時は九太の中には闇はない。それで直感的に渋天街で弟子にしようとした。昔の自分を見たというのもあるのでしょうが。九太は渋天街にずっといた頃は闇を持っていない。バケモノなんです。再び闇を身につけるのは渋谷に戻ってから。それに対して幼子の時に拾われた一郎彦は闇を持ったまま渋天街に行ってしまい、その闇が自分が猪王山のようになれないというコンプレックスと共に大きくなった。ずっと人間。
ラストの九太と一郎彦の戦いは意味不明な部分が多いんですが、神となり心の中の剣になることで熊徹が九太の闇を消し、その心の中の剣を使って九太が一郎彦の闇を消したと思ってます。

戦いの後、渋天街でお祭り?が開かれた時に招待された楓が九太に高卒認定試験の願書らしきものを持ってきてズッコケ、さらに二度と渋天街に戻ることはなかったって、エエー!とさらにズッコケたんですが、でも考えてみると、九太は常に自分の道を切り開いてきて渋天街で英雄になったわけなんで、人間の世界でも普通じゃ終わらないはず!とポジティブに考えることにしました。
余談。九太が英語の勉強をしている時に”break on through to the”と教科書を読むのを聞いて、ドアーズ!渋谷と渋天街な!と思ったらエンディングはMr. Childrenでした。ガクッ。

投稿者 元店主 : 2015年07月28日 13:24

うのぴへ

うのぴは面白かったんだ。ふーむ、なるほど。
それはいいんだけど、やっぱちょいと見方が皮相な様な・・・。

例えば「心の闇」問題。この映画における「心の闇」って、非常に曖昧で御都合主義的で、それだけで私はダメだと思うんだけど、ウノピはあまり気にならなかったみたいだね。
「大嫌いだ!」と叫んで心の闇が身体から離れていく、というのも意味不明だけど(普通、心の闇が深くなるんじゃないか?)、そもそもなんでバケモノの世界では「心の闇」が念動力になるのかも謎で・・・いや、それは「設定」だとしても、じゃあ人間界に戻った一郎彦がその能力を持ち続けているのが謎。人間は全て心の闇を持ってるんだから、人間界では一郎彦はフツーやん。それから、ウノピは一郎彦の心の闇が消えたと思ってるみたいだけど、消えてないと思うよ。それは九太が一郎彦の手首に紐を巻いてやったことからも分かると思うけど、あれは「心の闇が暴走しそうになったらこれをみて鎮めろ」という意味でしょ。
で、なにより私が気持ち悪いのは、一郎彦一家のエンディング。なんか記憶をなくしてたー、という話しになってて、つまり「心の闇に人格を乗っ取られてた」=「心神喪失」で、一郎彦は許される・・・的な雰囲気だったけど、それはおかしい。そもそも「心の闇」が存在しないバケモノの世界では、心神喪失理論は成りたたないはずで、むしろ大事な決めごとを試合とかで決める形式優位の世界な訳だから、「行為」がキーポイントとなるはず。故に、たとえ人格を乗っ取られていたとしても、総帥を決める大事な試合のルールーを無視し、新しい総帥を殺そうとした一郎彦の罪は許されないはずなんだ。厳しい罰則を課して、世界の均衡を取り戻そうとするはず。むろん、こんなのは私の推測にすぎないけれど、そんな事を微塵も匂わせないあの終わり方は酷い。気持ちわるすぎる。

とまぁ、非常に表層的なこの映画に、ウノピもすごく表層的な所で反応してしまっている様に思えるんだよねぇ。成長する熊徹にグッとくるウノピの気持ちは分からないでもないけどね。

なんにせよ、今や一番人気の細田守作品。
時間があれば、他の細田守作品も観てみればいいんじゃない。

投稿者 オーソン : 2015年07月30日 16:17

普通がいちばん、っていうメッセージが強い監督だなと僕も感じていました(特に『サマーウォーズ』以降)。しかし、まさか、大学進学の勉強をかんばるというラストになるとは…。何をしに大学にいくんだろう?市役所での書類のやりとりシーンもいい人悪い人区分の露骨さが気になってなんとも居心地の悪い感じになりました。
また、一郎彦が記憶を無くすのはさすがに都合がよすぎると思います。
あと、戦闘シーンがあまり楽しくなかったです。特に目をひくような動きがなかったので…。
子供時代、熊徹の動きを真似て(背中をみて)成長するというのは師匠・弟子ものの王道で好きなんですが、間延びした感があり残念でした。丁寧にわかりやすく説明しているともいえるのでしょうが、僕は退屈してしまいました。
良かったのは、青年になって実の父親に会うシーンで父親が誰?とするところ(その場ですぐに気づいて抱きしめたのは、どうかと思いましたが…)。
蓮と楓の交流はもっと時間をかけて丁寧にすべきじゃないのかなあとも感じました。そうじゃないと、楓の存在意義があまりにも感じられないので…。また、この二人が日常の町並みで交流するシーンが一番楽しく感じました。異界があまり魅力的には感じなかったんで…。
最後に、図書館のシーン。東京(渋谷区)の図書館はあんなに狭い空間しかないのか?とすごく気になりました。

投稿者 元店主 : 2015年08月01日 02:43

オーソンへ

「サマーウォーズ」からは“普通がいちばん”というメッセージは感じなかったけどな・・・。どこらへん?

しかし、ここまで冒頭から難癖を並べたという事は、オーソンはこの作品がダメだったんだね?総括的な感想がないから分かりづらいんだけど、オーソン的にはこの作品はどういった位置づけなのかな?

あと、東京はやたら図書館が多いところらしいから、小さな図書館もあるんじゃない。いや、知らないけど。

投稿者 オーソン : 2015年08月01日 23:35

「サマーウォーズ」では、田舎の名家の一員に迎えいれられるっている終わり方でしたよね?そして、親族の中のはぐれ者のキャラがヒール役ででていたと思うのですが、この人物へのフォローがあまりなく、「いくら頭がよくても家族を大事にしないと駄目ですよ」「家族で協力してがんばるのが一番」みたいなメッセージを感じとりました。たしか、ヒール役って養子か庶子でしたっけ?考えすぎかも知れないですが、ここで描かれる家族像が「正統」な血縁に拘っているような感じがして…。こういったことから、周辺に位置する登場人物に優しくなく、普通(中心)へと向かった方がいいと思っている監督だと感じた訳です。

今回の映画は、基本的に退屈に感じました。今まで観てきた細田監督の作品で一番面白くないかも。ですが、最近、個人的に色々あって父子の交流シーンにはやられてしまいました(1分もないシーンですが…)。

ちなみに、細田監督の作品は
「時をかける少女」
「おおかみこどもの雨と雪」
「サマーウォーズ」
「バケモノの子」
という順で好きです。
あと、この監督は青年期の描写が一番いいんじゃないかとも感じています。思春期だけを題材にすれば、「普通がいちばん」という思想が入ってきづらいですし。

投稿者 元店主 : 2015年08月02日 00:59

オーソンへ

う〜ん、それはちょっと違うんじゃないかなぁ。
だって、田舎の名家って、普通じゃないよ。しかも、そこの当主が歴代の大臣や財界の大物たちとみんな知り合いで、親族の男たちもほぼ全て公務員、なんて一族は、完全に“普通”じゃない。それにオーソンは中心=普通としているけど、中心と周辺はどちらも“普通”じゃないよ。中心と周辺以外、それが“普通”。
「おおかみこども」で言えば、狼人間というのが“周辺”。で、そこを逃れて普通の人間や狼になる、という話。
「 バケモノ」で言えば、熊徹の一番弟子という地位が“中心”。それを捨てて“普通の(人間社会)の幸せ”を求める、という話。
やっぱ「サマーウォーズ」には、”普通が一番”という姿勢はみえないと思うんだけど。(これは「時かけ」「サマーウォーズ」はどちらも細田守単独のオリジナルではない、という所からきてると思う)

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