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2013年10月30日(Wed)

そして父になる 強制起訴シリーズ

起訴者:ヤマネ

強制起訴シリーズ34弾

『誰も知らない』などの是枝裕和監督が子どもの取り違えという出来事に遭遇した2組の家族を通して、愛や絆、家族といったテーマを描くドラマ。カンヌで賞とった。
6年間愛してきた他人の子どもと、血の繋がった実の息子。子どもを交換するべきか、このまま育てていくべきか。

ヤマネ
・・・それでは本日、司会進行させて頂きますヤマネです。よろしくお願いします。えー、ではもうすぐ6歳になる息子をお持ちのゲストのマツヤマさんにお聞きしましょう。あなたなら血を選ぶんですか、それとも取り替えないんですか。
マツヤマ
そら取り替えないに決まってるだろー。生後1〜2ヶ月、もしかしたら半年くらいまでだったらまだ間に合うのか?いや、それでも相当の葛藤はあると思うぞ。それはもう当事者になってみないと分かんないよなぁ。にしても、6歳とかまずじゃありえないだろ。
ヤマネ
ほほう、息子さんをとても大事に思っていらっしゃるのですね。心があたたかくなりました。ありがとうございます。えー、続いてもう一人のゲストを紹介しましょう。オパール元店主、ケンタロウさんです。あなたにもしお子さんがいらしたらどうですか。血を優先して交換出来ますか?
元店主
ありえないよね。生みの親より育ての親、と言うでしょ。血を選ぶ、という事じたいがエリート主義的だと私は思う。優生学的というか。医者が「交換した方がいい」というのもそれだし、福山があの中で一番交換というアイデアに寛容だったのもそれ。リリー一家は医者に言われた助言に流されてただけで、本音は交換反対だったと私は思う。福山の奥さんも。情を考えたら、絶対にそうでしょう。福山は情が薄いんだよ、基本的に。
ヤマネ
ありがとうございました。皆さんの貴重なご意見が聞けて、今日は大変参考になりました。100%交換はなし、という結論でしたね。・・では、来月の映画は「まどか☆マギカ叛逆の・・
マツヤマ&元店主
こらこら!ビシッ
ヤマネ
ちッ。・・・というか、こんなワクワクしない映画観るのいやなんですよ。強制起訴でもされなきゃスルーしてましたよ、いくらカンヌで賞を取ろうが! 大体、ボクも子供が同じ年頃なんですから。敢えて苦しい思いをして観に行くこちらの気にもなって下さいって。まったく。プンプン!
マツヤマ
つうか、そもそも起訴ったのヤマネくんじゃないか!オレだって、息子が6歳だから観に行くの凄く勇気が要ったんだよ!・・・で、どうだったんだよ、キミなら娘さんを交換出来るのか!?
ヤマネ
で、き、る、わ、け、ないでしょーーーーーーーーー!! んー、でもマツヤマさんの息子さんとだったらちょっと考えてみてもいいですけど。息子さん、かしこそうだしなー。ピアノとか、やってるんでしょ。
マツヤマ
やってないよ! オレに較べりゃ、むしろキミたち2人の方がエリートだろが。
元店主
そんなことありませんよ。私も同じ個人経営の商店主じゃないですか。ヤマネくんは福山と同じ建築関係、しかも一級建築士だけどね。
ヤマネ
うわっ、嫌な感じやわー。ボクだって個人でやってるちっちゃな建築チームですから。空虚なオリンピックで沸き立ってる大手ゼネコンとは違います!・・・というか、マツヤマさんとこ、どういう育て方してるんですか?リリー派?福山派?もし福山流だったら、交換はこちらから願い下げですけど!
マツヤマ
だから交換しないって! そもそも年齢違うし。それにどっち派とか、そういう二元論では簡単に語れないものがあるんだよ。たとえば・・・付き合う相手として見たら、オレなんかリリーのタイプは苦手だけどな。
ヤマネ
ん?そうですか。映画では福山が一番嫌なやつとして描かれてましたよね。
マツヤマ
福山みたいなタイプはオレだって好きじゃないけど、福山のようなエリート意識だけが悪いということじゃなくて、リリーにしても、そういうエリートに寄生してカネをせしめようとする、がめつい庶民だろ。たいした躾もしてないのに、学校でなにかあったら校長室にねじ込むモンスターみたいにも見えるけどな。
ヤマネ
そうですかね。でもリリーはいい人にも見えますがー。
マツヤマ
リリーが子供との関係を築くのに「時間がだいじ」と言うけど、子供との時間を優先して仕事量を抑えている、というより、彼は単に仕事が暇なだけだろ。そもそも時間がどうのこうのと言うのはナンセンスだと思うね。みんなそれぞれ家庭の事情はあるんだ。ただ、リリーみたいな人間が一般的には「いいヤツ」に見えたりするのも実にリアルに描かれていると思う。ちなみにオレ個人としては、ああいう“みんなウェルカム!”なタイプは苦手だし、あまり信用もしないなー。
ヤマネ
ふっ。難しいですね、マツヤマさんって。ボクはマツヤマさんのお子さんなら・・・ウ、ウェルカム!です。
マツヤマ
うわー、信用できないー。しかもヤマネくん、エリートだし〜。
ヤマネ
だから、ボクはエリートじゃありませんって!
元店主
私は、リリー・フランキー一家の俗悪さよりも、福山のエリート主義的な所の方が嫌です。リリー家の俗悪さ、たとえばカネにがめついとか下品とか、そんな所はある意味微笑ましくみられるけど、福山のエリート臭はねぇ。
マツヤマ
でも、本人的には天然で悪気がない奴だと思うよ。多角的な考え方ができないタイプだから、想定外の意見をポンと投げると意外とキャッチしたりするんだよね。だから上司の意見は素直に聞いたりするだろ。まともに向き合うと面倒くさいけど、コツさえつかめば話が出来るタイプだと思う、福山は。利用されやすいけど、上に立てば破滅するタイプかな。
ヤマネ
それは付き合い方のコツの問題でしょう。嫌な奴でもこうつきあえば大丈夫ー、みたいな。・・・福山のような親は、本当に子供と時間を取れないのではなくて、「自分しか出来ない仕事があるんだよ」と吠えていた事からも分かるように、時間を取らずに仕事に陶酔している人達でしょ。どれだけオレが苦労しているのか、働いているのか、優秀なのかというのをアピリたい人種。あれ、周りの建築の人間にもそういうのいるので、意外と理解は出来るんですけど、やっぱ好きになれません。まあ、多少お金に余裕があるのはうらやましいけど・・・。じゃあ、リリー家族が良いかというと、あんな父親になるのが理想では決してなくて、あの親子の関係への自信とか、悟った感じを福山に押し付けているのは苦手です。それでもあんな美人な奥さんがいるんだから勝ち組か・・・。絶対キルステン・ダンストよりいいですしね。
マツヤマ
キルスティンの話はもういいだろ!っていうか、奥さんのルックスで勝ち負けが決まるという考えも、エリート特有の優生思想じゃないのか、ヤマネくん。
ヤマネ
違いますよマツヤマさん。ボクの意見じゃなくて第三者的意見を言ってるんじゃないですか。
マツヤマ
あれ?そうは聞こえなかったけどなぁ・・・。 とりあえず、そもそも三人とも「交換はありえないでしょ」という意見なんだけど、最初に病院側の医者が「こういう場合はほぼ100%交換します」と言ってのけるところがまず衝撃的だよな。だからそこを批判するために映画にしたんだろうし、我々がその映画のテーマについて話をしている時点で、まあ、良い映画だったというべきか。
元店主
この映画の参考文献になったという「ねじれた絆」という本では、医者が主導して交換した事例が複数書かれているとの事ですが、確かにその事に対する批判として是枝がこの映画を撮った、というのはあり得ると思いますね。おかしいよ、やっぱり。血を優先するのがあるべき姿、みたいな医者の態度は。だから、最後に福山が“交換をやめる”という決断を下すのは、当然だと思う。子供は交換すべきじゃない、血の繋がりより実際に築き上げてきたものの方が大事、それこそ“人は父として生まれる訳じゃない、父になるのだ”という映画だと思いますね。
ヤマネ
ボクもそう捉えたんですけどー、この映画の結論が曖昧だ、という批判や、はっきりと答えを示さなかったのが心地よい、とか言ってる人が結構いるんですよね。
元店主
ありえない!福山一家がリリー・フランキー家の子供を連れてきて、「ただいまー」「おかえりー」というやりとりがある時点で、両家の親の間で「交換はやめよう」という話し合いがあったということでしょ。福山の「ミッションは終わりだ」というセリフもあったしね。この映画は結末を曖昧にしてる、とかいう人は映画を見る力がないと思う。たとえそれが中条省平であってもね!ビシッ!
マツヤマ
そもそも、是枝監督作品はどうなの。ヤマネ君苦手だって言ってたよな。
ヤマネ
苦手ですけど・・・マツヤマさん、話をそらさないで。そろそろ息子さんを我が家に下さい。うちは二名育てたって全然かまわないんですから。
マツヤマ
やっぱりヤマネ、フクヤマネ。
ヤマネ
ダジャレ、いただきましたー! ・・・まあ、今回は「誰も知らない」に比べたら気分は悪くなりませんでしたね。多分是枝監督自体も、子供を持つようになって、まなざしが変わってきてるんじゃないですか。色んなことが曖昧に出来ない、と。てきとーですが。
マツヤマ
是枝作品は4本しか観てないけど、どれも日常の時間から切り抜いたような作品で、感情に訴えて感動させるとか、納得させようとするとかが無いところにオレは好感を持ってるよ。今回は特に話運びも上手いし、題材が題材だけに最後まで集中して観れたし、結構良かったかな。
元店主
わりとよく出来た映画だとは思います。でも、面白さでいうと・・・まぁまぁ、かな。確かに話運びは上手だと思いましたが、ややあざといとも感じました。それと「誰も知らない」の様な気持ち悪さはなかったけれど・・・。いや、一抹の気持ち悪さは、ある。
ヤマネ
あ、そこは気になります。なんですか、それ?ちょっと深く考えてみて下さいよ!
マツヤマ
あ、あれだろ。意図的にやってるんだろうけど、家ん中で「バンバン」って撃ち合ったり、ベランダから釣り竿を振ったり、室内でテントを張って寝るシーン。確かにあれなんかは、見ていてちょっと気恥ずかしい感じもあって、あれじゃあ子供は「パパとママの所に帰りたい」って言うよなあ、なんて。それより、実際にアウトドアに出かけて、それがけっこう楽しくて、それでも「帰りたい」と言わせる方がいいんじゃないか?
ヤマネ
あ、あそこ、恥ずかしいですね。
マツヤマ
ヤマネ家でやってたりして?
ヤマネ
・・・。マツヤマさんの息子さんが来たらそうするつもりです!
元店主
いやいや「一抹の気持ち悪さ」とはそのシーンのことではなくて・・・とりあえず福山雅治は、嫌な奴を好演してたと思う。ほんと嫌な感じが滲み出てて、良かった。それは良かったんだけど、実は映画全体でみると、福山の役は“いい奴”のものになってると思うんですよね。そこが、そこはかとなく気持ち悪い。嫌な奴なら嫌な奴として描き通した方がいいと思うし、最終的に“いい奴”的ポジションにたつなら、もっとなにか強いイニシエーションが必要だと思う。子供が自分の写真をたくさん撮ってた事に気づいて、自分がいかに子供に愛されていたか、対して自分はそこまで子供の事を愛していなかったんじゃないか、父になってなかったんじゃないか、と気づいて泣く、というシーンが多分あの映画におけるひとつの“父になる”イニシエーションという位置づけだと思うけど、それでは弱い、と感じるな。
マツヤマ
なるほど!
ヤマネ
リリー一家にくらべると、福山一家の描き方が緩い、と。尾野真知子演じる奥さんは、なかなか好演してたと思いますけどね。キャンプでの彼女と真木よう子のシーンが唯一個人的にぐっときた所です。
元店主
奥さんというより福山個人の話ね、私の言ってるのは。私も、リリーフランキー一家みたいなのは苦手だけど、それなりにちゃんと魅力的に描けてると思う。が、福山はどうみても魅力がない。傲慢で他人の気持ちが分からない人間。で、その事に無自覚。その彼が、挫折と葛藤を経て、父になる決心を固める・・・という展開の中で、魅力的にみえるように撮っている。私は、そこに幾分の甘え、誤摩化しがあると思うんだ。最後の展開は、若干違和感が残った。
ヤマネ
今回の福山役は、是枝監督自身のようなものでしょうしね。だから、そこまで突き放して描けなかったんでしょう。演技的には福山の持つ不遜さに随分助けられてたんかもしれませんね。はまってたし。
元店主
つまり、私が思うに、是枝に欠けているのは、人を断罪する強さ、じゃないかな。人を断罪する強さ、とは、人を断罪すれば当然それは自分に帰ってくるから、その断罪に耐える強さ、ということ。それに耐えられないから、安易に免罪してしまうように思う。最後、福山は免罪されるんじゃなく、断罪されるべきだったと思う。むろん、子供にね。この欠点は、むろん「誰も知らない」に通じるもの。
マツヤマ
オレが思うに、あの役を福山がやる時点で、あれが限界というか。国際的に見たら役者としてスケールが小さいのに、国内で、特に女性に人気あるというだけで、タレントを主役にする、という慣習みたいなのが、「断罪」まで踏み込めない要因でもあるような気がするなぁ。
ヤマネ
ところでその“人を断罪する強さ”って、例えば誰が持っているんですか。
元店主
そりゃイーストウッドとかでしょ。あとは、初期の武とかね。武の初期作品、「ソナチネ」あたりまでは、微温的な市民社会というかプチブル的感性というか大衆の俗物性、に対する激しい断罪があったと思うよ。それに対して狂気をぶつけてたんだけど、自らも自滅するという、ね。自らに返って来る断罪を引き受ける強さもあったと思う。
ヤマネ
なるほどー、自分の娘のことになると途端に大甘になってしまうボクは耳が痛いですー。って別にその強さは子育てに関係ないか。テへ。申し訳ないですが、マツヤマさん。やっぱり、ウチの娘とマツヤマさんの息子さんは交換出来ません!こんなんでもボクはパパだったんです。
マツヤマ
だんだんヤマネくんが福山に見えてきたぞ。取りあえず一緒にキャンプにでも行ってみようか。ウェルカム、ウェルカム!
ヤマネ
ああ、そうか!将来二人が結婚でもしたら、マツヤマさんの息子の父になれるんですね!
マツヤマ
キミの娘が美人になったらね。
ヤマネ
出た、優生思想! ・・・では来月の起訴作品はケンタロウさん、あれですねよね、「魔法少女 まどか★マギカ」!
元店主
ぶー!クロエ・グレース・モレッツちゃんの「キャリー」ですよー!
ヤマネ
ほ、「キャリー」ですか。なーんだ、なんか最近オパールで「まどマギ」が流行ってるとか、オパールが「まどマギ」グッズでアニメイト化してるとか、不穏な噂があったんで、ちょっと不安だったんですよー。「キャリー」かー。ホラーだけど、良かった、良かった。あんま恐くないだろうし。
トモコ
ふっふっふ、甘いわね、ヤマネくん。
マツヤマ
ああ!ト、トモコさん、その手に光ってるものは・・・

ここで「コネクト」が流れる(←分かんないひと、すんません)

トモコ
来月の起訴作品は「キャリー」と「劇場版 魔法少女 まどか★マギカ <新編>叛逆の物語」の2本よ!
ヤマネ&マツヤマ
うわー!
元店主
わけがわからないよ・・・。

Comments

投稿者 ウメドン・ゴダール : 2013年11月03日 10:54

まず前回の強制起訴ザボリました。ごめんなさい。これからは心を入れ替えて頑張ります。
イオンシネマ高の原で観てきました。周りはオバちゃんだらけ。後半すすり泣く声も。よー泣けるなーこんな映画で。って思いました。俺はあんまり良くなかったです。
映画が始まって、まず「この場合100%交換されます」っていう告白にびっくり!えーっ嘘やろって。俺は逆ちゃうんか?って思ってたので。子供を「交換」っていう言葉と「100%」っていう数値化されたことにも、なんか違和感も感じました。交換ってなんか物を取り替えるみたいな言い方やと俺は思ってたし(人間にも使うのかもしれませんが)、人それぞれの人生を数値化するんってちょっとちゃうんちゃう?って思ったんです。確かにターニングポイントではあるけど。この発言に少なからず影響されてしまった福山夫婦とリリー夫婦。映画のストーリーの中で必要な台詞だったと思うんやけど、俺は嫌な一言でした。
福山の教育方針は「自分ひとりで考えて行動させる」と言ってましたが、ケイタ君にはリリー家に行きたいかどうかをちゃんと訊いていない。それと病院での取り違えがあって生みの親ではないことを説明していない。6歳には意味不明で理解しにくいかわからへんけど福山はちゃんと説明してないしリリーもそう。福山がいう「ひとりで考えて行動させる」という教育方針なら、理解しやすいようにちゃんと説明して、本人がどうしたいのかを聞き出しそんで話合って意見を尊重してあげることが大切だと思います。大人たちだけで決めることなんやろうか?リュウセイ君にもなぜこうなったのか説明せず、なんで?なんで?と言われてました。(あのシーンのリュウセイ君は良かった)福山「なんでなんだろうね」ってなんやねん。 て思いました。そこらへんがちゃんと描かれていないことが残念。
リリーもおっしゃるように暇なオッサンにしか見えなくて、子供と友達みたいな感じになっている。父親として、ちゃんと叱る(怒るじゃなくて)とかなんで叱られているのか?だとかを教えようとせず、子供に気に入られるようなことをして、そういうことから目をそらしている感じとかが、駄目な父親の感じがでてて、演出としては良かったと思います。個人的には嫌いなタイプの親父です。
良いシーンもあった。玄関先でケイタくんを後ろから真木よう子が何も言わずぎゅっと抱きしめるシーンとか。尾野真千子の優しさも良かった。両母にはあんまり嫌な感じがなく観れたんですよ。やはり俺はマザコン・・・
あと福山の会社。まあ、ああいう上司は居ると思いますが、真夏でもいまどきスーツにネクタイだとか、俺にしかできない仕事がある会社だとか、変わりナンボでもおるっちゅうねん。おらんかったらもはや組織ではなくそれは個人商店やん。君のうぬぼれや。と映画を観ていて、変な会社と福山にツッコミを入れていました。

投稿者 元店主 : 2013年11月04日 04:02

こらこら、うめどん。

>人それぞれの人生を数値化するんってちょっとちゃうんちゃう?って思ったんです

って、誰も人の人生を数値化してないやろ!人生を数値化する、の意味、分かってる?この「100%」は、なんのことだ?
ちょっと考えてみなさい。ビシ!

>福山がいう「ひとりで考えて行動させる」という教育方針なら、理解しやすいようにちゃんと説明して、本人がどうしたいのかを聞き出しそんで話合って意見を尊重してあげることが大切だと思います。大人たちだけで決めることなんやろうか?

うめどんは、「ひとりで考えて行動させる」という教育方針、の意味を誤解してると思うけど・・・まぁ、それはいいや。
要するにうめどんは、なんで子供の意見をきかないんだ、と不満に思った訳だな。その気持ち、分からないでもない。でもね、うめどん、これはなかなか微妙な問題だよ。
まづ、子供の意見をきいたら、多分ほぼ100%交換は嫌がると思う。6歳の子供の情としては、それが当然。で、実は親だって、交換は嫌だ、というのが全ての人の本音だろう。ではなぜ、交換、などという選択肢があるのか。
それは、たとえそれが今は嫌で辛くて苦しい事でも、後々やってて良かったー、と思えるかもしれないからだ。むろん、本当にそうなるのか、どうか、などという事は、大の大人にだって分からない。ましてや、6歳の子供には絶対に分からない。となれば、子供の意見をきく事は無意味・・・というか、むしろ残酷な事かもしれない。
うめどんは「大人たちだけで決めることなんやろうか?」と書いてるけど、難しい選択肢について考えて意見を決めるという事は、責任も伴うんだよ。その責任はむしろ大人たちだけで背負うべきなんじゃないかな。

まぁ、いったん「交換」という選択をしたからには、ちゃんと説明した方がいいとは思うけどね。

投稿者 uno : 2013年11月05日 22:43

こんばんは。

最初に、子供の交換はないです。

この作品、グッと来たところが一つあって、それは公園で福山が息子慶多にカメラをあげようとすると、慶多が不安そうな目で首を振った場面です。
こんなにお父さんのことが好きなのに、なぜ僕と別れようとするの?と言わんがばかりの目。
子供は親をよく見てます。
河原でのバーベキューの家族写真の撮影で慶多は福山と同じ向きに首を傾けてました。
ベタな演出だとは思いますが、一緒に過ごしてきた生活の重みを簡潔に表現していて好き。

家族として過ごしてきた生活の重要性に福山は気づかない、というより考えようともしなかった。
リリー一家の子供と過ごし、猛烈な違和感を覚え、仲良くなってきたところで、カメラの中の写真に気づき慶多の思いを知る。
この展開はキツい。。。
リリー一家の子供と仲良くなってるのも、うわべだけに見えるし、すごく自己中心的に感じたんですよね。
本当に子供のことを考えているのか分からない。
福山は本質的に何も変わっていないんじゃないのか?
鼎談で言われている「断罪」されずに「免罪」されている結果のモヤモヤ。

この作品で私が共感出来たのは、子供は親のことをよく見ている、ってところです。

投稿者 マツヤマ : 2013年11月06日 20:16

ウメドンのコメントでたまに気になるのが、“そこらへんがちゃんと描かれてないことが残念”というもの。「なんでだろうね」としか言えない福山の胸の内を”ちゃんと描く“のはウメドンの作業であり、ときにそれは良いコメントになることもあると思うぞ。
『暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう』(カトリック教会洗脳番組「心のともしび」のキャッチコピー)ということばをウメドンへ贈ります。

余程のことでなければクビにされない会社員の世界において、“俺にしか出来ない仕事がある会社”という思いを持つ人間ばかりで組織されている会社なら、それは理想的な会社だと思うが。“変わりナンボでもおるわ”という意識が蔓延した会社は、おそらく大小さまざまなミスや手抜き、事故が絶えないと思うぞ。
逆に、うぬぼれが命取りになるのは個人商店で、第三者からの評価として“彼にしかできない仕事”と思われることが理想だと思う。“変わりナンボでもおる”ということをオレは危機感として持っている。これからの新しい仕事環境をウメドンはどう迎える?

ウノピのコメントから、公園のシーンをあらためて考えてみると、慶太がカメラをもらわなかったのは、先に父親にデータを見て欲しかったからだと思う。福山は最後にカメラを見て、そのときのサインに気付いて・・・ということだったんじゃないかな。

オレは福山のことはそれほど嫌なヤツとは思っていない。自分が通って来た道で見たもの以外、何も知らない不器用なヤツという感じかな。そこがみんなと違うところかも。
冒頭で福山が、面接で受かるために嘘をつくことを慶太が塾で教わったことに疑問を感じたところから始まり、交換を進める病院、義母(樹木希林)、父(夏八木)や、情や時間を大事にする側の継母(吹雪)、取り替えた看護婦の家庭など周囲に関心を持つことで変化(成長)していく過程はそれなりに描かれていると思う。

ウメドンが書いている、真木よう子が慶太を抱きしめるシーンは、尾野真千子が琉晴のことを「可愛くなってきている。慶太に申し訳ない(みたいなセリフ?)」と言うシーンと対になっていて、実母たちが本能的に血を感じたことを描いているのだろう。現実ではどうか分からないが、ここもけっこう残酷なシーンだと思う。
一応、福山の心の変化で子供たちは元の場所に帰ったけど、母たちに芽生えた実母としての母性はこの先どうなるのだろうか?と思うと、やっぱりほんとうの結論は出ていない、という見かたもあるかと思う。

投稿者 uno : 2013年11月06日 22:53

マツヤマさん
公園のシーンに関してですが、慶多は写真を見てもらいたかった。私もそう思います。
ただそれ以上に、首を振ったのは慶多が親の不穏な動きを察していて、福山があたかも形見を分けるが如くカメラを慶多に渡そうとする、その行動に不安を感じたからだと私は思いました。
マツヤマさんのコメントにある、真木よう子が慶多を抱きしめ、尾野真千子が慶多に対して申し訳ないと思う気持ちを持つ場面に関してですが、私は母親達が血を感じたからではなく、一緒に生活しているうちに子供に対して自然と愛情が湧いた結果の母性だと感じました。

投稿者 マツヤマ : 2013年11月07日 01:31

ウノピへ

オレは公園のシーンは、ラストの伏線になっていると思ったのね。
写真を見て欲しいというのは、あの年代の子供は親に褒めて欲しいという願望があって、「ちゃんとカメラを操作できたよ」というサプライズが込められているんだと思う。特に父親に褒められたことがない慶太はその願望が強い。福山がそのサインに気付いたのがラストだと感じたんだけどね。
母性については「血を感じた」もしくは「血を意識した」と言ってもいいだろう。
“一緒に生活しているうちに子供に対して自然と愛情が湧いた結果の母性”としての演出かどうか? オレはその程度で、わざわざあの演出はないと思う。産みの親だからこそ、“情”を取りたいけど、“血”も感じる。そう考えるのが自然ではないだろうか。でなければ、この映画で重要な2人の女性はちゃんと描かれていないということになるとオレは思う。

投稿者 ウメドン・ゴダール : 2013年11月07日 21:14

ケンタロウさん。マツヤマさん。
コメントありがとうございます!
いろいろ今回も誤解していることに気付かされました。
ホント感謝しています。

「なんでだろうね」としか言えない福山の胸の内を”ちゃんと描く“ この作業を怠りました。
ケンタロウさんにはいつかお話しましたが、俺の意見としては「大人になってから告白」という選択です。交換は反対です。6歳よりも大人になったときに告白するほうが、「大人になってから告白」することになった理由を理解してくれるのではないかと思ったからです。それともうひとつは育ての親に対して「それでも僕の中のホントのお父さん、お母さんはあなた達だから」と言ってくれることに期待をこめて、「大人になってから告白」という選択を選ぶと思います。この考え方からも、福山の胸の内を”ちゃんと描く“ という行為から逃げていることがうかがえる。正直今の俺にはわからない・・・

俺にしか出来ない仕事がある会社”の発言ですが、福山は俺にしか出来ない仕事がある→だからいそがしい→帰りが遅くなる→子供の面倒を見れない。と映画のなかでは描かれていたと思うのですが、「俺にしか出来ない仕事がある」のその先に、代わりに誰でも同じように仕事が出来るようにマニュアルを標準化したり、工数低減のために仕事を分担したり工夫してるんかいな?と思ったんです。意識としては福山の「俺にしか出来ない仕事がある」という責任感は大切だと思いますが、プランを行動に移しチェックし「代わりなんぼでもおる」とういうふうにすることが品質を安定供給させる上で重要だと、メーカーに勤めている俺はそう思います。それが映画の中では確認できなかった。だからコメントにある発言をしてしまいました。これも軽率。

これから全くノータッチだった業種となるのですが、不安ばっかりで全く考えられないです。ついていけるのかどうか・・・ただ今の仕事を引き継ぐには上記のことが不可欠だと思います。「変わり」は誤字ですね。すみません・・

投稿者 uno : 2013年11月07日 22:23

マツヤマさん

公園のシーンはラストの伏線だというのは全くそうだと思います。
ただ私にとって、ラストにたどり着く前から公園のシーンがずっと強く残っていました。この映画で一番インパクトの強い場面だったのです。
2人の母親に関して。
マツヤマさんのコメントにある「残酷なシーン」が誰にとってなのか?ということが考えれていなくて。
育ててきた子供と血を分けた子供の2人への思いが混沌としているように感じました。そう思うと情と血なんですね。そして情と血をもう分けることが出来ない。「実母としての母性」を思うと、残酷なシーンだと思います。

投稿者 マツヤマ : 2013年11月08日 10:49

ウメドンへ

返事ありがとう。
まず、仕事を優先して子供の面倒を見る時間がないことと、子供に対して情が薄いという問題は関係ない。それ以下の、マニュアルを標準化云々以下の話まで行ってしまうと、論点がズレてしまうんだが、ズレたついでに言わせてもらえば、あくまでも会社が責任を負った上で、適材適所の、良い意味での能力主義よりも、コンプライアンス重視の自己責任主義の方がウメドンにとって心地よいということだな。もしそうだとすればお望み通り、これからはそうなっていくだろう。
“これから全くノータッチだった業種”に就くウメドンは、やはり完璧なマニュアルに支えられ、コンプライアンスに縛られる方が楽だということはよーく分かる。考えなくていいからね。そりゃぁ次に与えられる職務を予め調べて、自分にしかできないことを探求しようという気概を持つなんてしんどいだろ。
しかし、そもそも何故ウメドンは全くノータッチだった業種に行かなければならないのか? 何も考えなければキミは、ただ川の流れに沿って、思えば遠くへ来たもんだ〜、ということになるんじゃないか?

ウノピへ

返事ありがとう。
取り違え事件そのものが残酷だからね。
でも昭和30年代〜40年代にかけて300件以上あったらしい(「ねじれた絆」より)から、みんな何らかの答を搾ってきたんだろうけど、“100%”正しい答は無いからね。


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