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2013年08月25日(Sun)

パシフィック・リム []

Text by 元店主

世界が怪獣に襲われたらどうするか?それはもちろん、人類の叡智を結集し、最強の兵器を作り出し、怪獣を迎え撃つのだ!・・・しかし、その兵器が人型ロボットだとなると・・・それは日本のマンガの世界である。
そもそも怪獣=KAIJUが出て来る時点でそれは日本文化の流れにあるのだけれど、というのも外国にはモンスターは居ても怪獣なんていないからで、つまりこの映画は日本文化を正しく継承した作品なのである。それもえらくカッコいい。
監督はメキシコ人のギレルモ・デル・トロ。残念ながら、今の日本にここまでの作品を作る力はない。せめて我々にできる事は、この作品を2度、3度と観て、驚愕し、羨望し、陶酔し、嫉妬に身を焦がすこと。これだな。
クール・ジャパン、とか、恥ずかしすぎるよ。

ところで日本は何故に怪獣を生み出せたのでしょうか。それには色々な答えがあるだろうけど、パンフレットで小島秀夫が興味深い事を書いていました。モンスターと怪獣の違いは、モンスターが動物の仲間である、ということ。この事は、ハリウッド製のゴジラを観た我々には納得できる事でしょう。が、さらに突っ込んで、動物=モンスターは決して闘いの最中に喉から腹にかけてを相手にみせない。そこは弱点だから、そこを隠す様な体勢をとって相手に対峙する。ところが怪獣は、喉元から腹にかけてを思い切り相手に見せて咆哮するのです。
小島秀夫によると、これは歌舞伎の見得からきているらしい。なるほど!怪獣は正しく日本文化の流れの上に生まれたものだったんだね。
むろん、この映画でも怪獣は思いっきり見得を切ります。

となると、次は人型ロボットだけれども、このロボットは二人の乗組員が搭乗して動かす。二人の心がひとつになってないと、うまく動かない、という設定。これも日本のロボットアニメにある設定だけれども、これはむろん文楽の伝統からきてるよね!
世界中に操り人形はあるとはいえ、大抵はひとりで動かす。3人も使って動かすのは、やっぱ文楽の独自性でしょう。3人の心がひとつになってないと、人形はうまく動かない。その設定を持ってきたのは、やっぱこの映画、よく分かってるよ。

つまり、この映画には怪獣とロボットを通して歌舞伎と文楽へのリスペクトがある。文楽は採算がとれないから潰れても仕方ないねー、とか言ってる今の日本が提案する“クールジャパン”と、雲泥の差。ほんと、日本人はこの映画観て喜んでるだけでなく、恥じねば。嫉妬に身を焦がさねば。

実を言うと、私は怪獣映画にもロボットアニメにも、ほとんど興味がありません。しかし、この映画をとても楽しみました。それはまず、今述べたようなこの映画の(日本)文化に対する深い理解のおかげ。それから、世界観の再現度が高い!という事。トモコは「これは『ブレードランナー』ね」と言ってましたが、確かに世界観の構築度がハンパなく高い映画です。それだけで、観ていてうっとりします。
また、一見時流に関係のない趣味性爆発の映画に見えますが、マツヤマさんによると「“怪獣”は世界恐慌の、“命の壁”は関税障壁の比喩。中国とロシアのロボットがやられて、日本人とアメリカ人が組んだアメリカのロボットが世界を救う、という展開は意味深だろ」との事ですので、案外今の世界状況ともリンクしたアクチュアルな映画なのかもしれません。

かように様々な見方のできる映画なので、これを単なるオタク映画と思ってスルーするのはあまりに勿体ない。是非、劇場に駆けつけて下さい!

Comments

投稿者 ヤマネ : 2013年08月28日 15:34

この夏は「パシフィック・リム」だけを繰り返し見ておけばよいと思います。観客へのリスペクトがある映画。

投稿者 元店主 : 2013年08月29日 03:58

だよね。
でも、公開3週目にしてすでにトップ10おち!

・・・日本、あかんなぁ。

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