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2013年03月06日(Wed)

「ゼロダークサーティ」 強制起訴シリーズ

起訴者:元店主

強制起訴シリーズ26弾

2001年9月11日。2機の旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込んでビルを倒壊させ、多数の人々が犠牲になった。この事件の首謀者はイスラム原理主義者のハリド・シェイク・ムハマド、黒幕はアルカイダを率いるウサマ・ビン・ラディン(とされる)。そして2011年の5月。パキスタンに潜伏していたビン・ラディンを、アメリカ軍の特殊部隊が急襲、暗殺した(とされる)。この10年間を、ひとりのCIA女性分析官を軸に描いたのが、「ハートロッカー」でアカデミー作品賞・監督賞をダブル受賞したキャスリン・ビグローの新作「ゼロダークサーティ」だ。
題材がセンシティブに政治的なため、公開前からも、公開後も、各方面から批判の嵐が吹き捲くっている作品。
果たしてオパール強制起訴メンバーは如何に観たのか?


マツヤマ
ほんと最低だったな!!・・・先月の『東京家族』といい、今月のこれといい、今年の“強制シリーズ”は本気なんだな、と思ったよ。オレも改めて気を引き締めないとな。甘い気持ちで観に行ったら、(下らなさのあまり)死んでしまうからな!
ヤマネ
あ、マツヤマさんダメだったんですか?あー、やっぱねー・・・
マツヤマ
なんだ、ヤマネくんはもしかして、またしても良かったのか?これが?『東京家族』に引き続き、これも?
ヤマネ
いや、『東京家族』は別に良かったという訳でもなくて・・・でも、これは・・・
マツヤマ
なんだよ、はっきり言えよ。え、大声でさ。さぁ、さぁ!
ヤマネ
ええー、いやー、だからー、まぁ、これは、ねぇ・・・
元店主
なかなかいい作品だと思いましたよ。私は評価します
マツヤマ&ヤマネ
えええー!マジかよ(ですか)ー!いったい、どこがー??
元店主
えーと、ですね。まづ、映像がカッコ良かった。凄く。編集もタイトで、いい。で、何よりクール。最初から最後まで、だれることなく、たっぷり楽しめましたよ
ヤマネ
そうですよねー!ボクも同感!ステルスのブラックヘリが飛び立つ所とか、飛んでる所とか、半端なくカッコ良かったですよねー。音響も良かったし、全編通しての緊張感が凄い。なかなかできないですよ、こんなの。リアルさもゴリゴリだし。登場人物も秀逸。かなりの秀作だと思います!
元店主
うんうん、ジェシカ・チャステインよかったよねー。ちょっとイッてる感じが最高
ヤマネ
たまに笑う顔とか、いいですよねー。ボクは上司の連中も好きです。特にCIAのボス。一見ダメそうで、実は切れ者、という
マツヤマ
なんだぁ、二人とも、そんな事でいいのか?この映画、バリバリのCIAプロパガンダ映画じゃないか。オレなんか、もう最初っからシラケてしまって、最後まで観るの苦痛だったよ
ヤマネ
おろ?そうですか。ボクはこの映画、プロパガンダとかそういう次元で語る映画じゃないと思うんですが。ケンタロウさんはどうです?実をいうと、ボクはケンタロウさんもこの映画、ダメかと思ってたんですけど。イデオロギー的に。
元店主
そう?まぁ、確かにここに描かれたのが“真実”かどうか、というのは私も疑問だとは思うけど・・・何がプロパガンダ映画か、というのも問題だよね。例えば、私も『こんなんプロパガンダやん』と言って映画を批判する事があるけど、その時に私がイメージしてるのは、考えてみるに、情に露骨に訴えかける様に作られてる映画かな。事実や論理を情によってねじ曲げる・・・日本のテレビみたいなやつね。でも、この映画はそうじゃない。凄くクール。いたずらに情に訴える事なく、淡々と事実を撮る、というスタイル。だから気にならなかった。
マツヤマ
その“事実”が問題なんじゃないか。この映画の脚本家のマーク・ボールとかいう奴、地道に取材を続けた、とか言うけれど、完全にCIAのリークで作られたとしか思えないだろ、これ。従軍記者だったというけれど、元朝日新聞の船橋洋一みたいなCIAの協力者なんじゃないの? あと、監督のビグローもそうだよ。デビューした最初の頃は、なんか藝術色の濃いマイナーな作品を撮ってたくせに、911の翌年にいきなり『K-19』とかいうソ連原子力潜水艦事件を扱った政治的な作品を、1億ドル以上のビックバジェットで撮ってるんだよ。で、次のアカデミー賞も穫った『ハートロッカー』がイラク戦争がテーマ。今回がビン・ラディン殺害。怪しいだろ?CIAの御用達監督なんじゃないの?オレなんか、その点で園子温を思い出すんだよ。ま、スケールが違いすぎるけど
ヤマネ
う〜ん、微妙ですねぇ・・・、あ、そうだ!マツヤマさんはもしかして、ビン・ラディン殺害はなかった、と考えているとか?
マツヤマ
当たり前だよ!100%なかったと確信してるよ!っていうと、みんなビビるから95%くらいにしておいてもいいけど。・・・そもそもビン・ラディンの死体も示せてないし、証拠がなさ過ぎるんだよ。あれは“テロ戦争”に勝った!と示して世界にアメリカの威信をみせつける、そして国内では支持率をあげるための、アメリカ政府の捏造した完全なお芝居。ま、ビン・ラディン殺害の証拠がないんで、この映画を証拠代わりに提出した、といった所じゃない
ヤマネ
ボクは100%あったと信じてますよー・・・っていうとみんなビビるから95%でもいいっす。って、このネタ先にとられた!くやしー!・・・で、ケンタロウさんはどう思ってるんですか。ビン・ラディン殺害はあったと思いますか?
元店主
うーむ、まぁ、あったかもしれない。なかったかもしれない。確率でいえば・・・60%くらい
マツヤマ&ヤマネ
この腰抜け!
元店主
・・・・・・でも、事実に基づいてるかどうか、というのはやはりあまり関係ないんじゃないか、と思うんです。『東京家族』の時にも言いましたが、私は映画は“何を語ってるか”より“どう語ってるか”の方が大事だと思うんですよね。極端に言えば、ストーリーなんかどうでもいいと思ってる所がありまして。その点、『東京家族』は最悪でしたが、この映画は素晴らしかった。凄くスタイリッシュですよ。完成度は高い
マツヤマ
それは分かるよ。オレも、この映画は作品としての完成度は高いと思う。そこらは園子温と違って、さすがだと思う。まぁ、かっこいいシーンも何個かあったよ。例えば・・・マリオットホテルが爆破される所とか、基地内での自爆テロの所とか。特に自爆テロのところの盛り上げはさすがだと思ったね
ヤマネ
えー、あそこはちょっとわざとらしいですよー。マツヤマさんセンス悪いー
マツヤマ
うるさいよ。そんなのはどうでも良くって、要するに映画としてカッコ良かったのはオレも認めるよ。でも、それがかえって問題なんじゃないか? かっこえー、とか思って、みんなすんなりプロパガンダされちゃうんじゃないの? 人間、“かっこいい”とか“凄い”とか思うものを信じる様にできてるんだよ。これは心理学の基本だろ
元店主
まぁ、それはそうなんですが・・・う〜ん、実は私は、この映画はイデオロギー的にも客観的・中立に撮られていると考えているんです。確かにCIA目線で作られた映画ではあるんですが、そこにブレがない。『アルゴ』と較べると分かりやすいんですが、『アルゴ』も完全にCIA目線で作られてるくせに、なーんか色々とイラクの人たちにも気を遣ってますよ!的な色目をつかってるでしょ。私は、あーいうのはダメなんです。きしょいリベラル、って感じ。その点、この映画はゴリゴリに右翼的なんですが、そこにブレがない。潔い。はっきりいって、人間は完全に中立な立場に立つ事なんてできません。だから、自分の立ち位置をはっきりさせ、下手な言い訳を用意しない、という在り方が最善だと思うんです。で、大切なのは、それでいて、自分の在り方・立場に自足しない、という事だと思うんです。『アルゴ』は、ラストがやたらハッピーで、自分たちは正しい!やるべき事はやった!ばんざーい!てな感じの自己満足感が耐えがたかったですけど、この映画は、ラストの殺伐とした感じ!仕事の達成感もなく、ただ虚しく涙を流す・・・というのは、自分自身の在り方に対する批評になってると思うんです。それが、良かった。私の考える、理想的な政治映画の在り方ですね
マツヤマ
むむー。でもなぁ、この題材はいま正に現在進行中の政治的なものなんだよ。特にシリア内戦、とかCIA アメリカが反政府軍を装って戦争を起こしてるだろ。今はYOU TUBEとか使って、情報戦も激しいんだよ。そこにこの映画じゃなぁ。はっきり言うが、大きな視点からいうと、この映画もそこの情報戦の中に位置づけられてしまってる訳だよ。単に、かっこいいから、とか、作品としての完成度が高いから、といって単純に評価するのはどうかと思うぞ。そういうある種のオタク的な態度では、権力者たちにいい様に操られるだけじゃないか
元店主
いや、なにも私はこの映画がいいからといって、CIA的な史観を正しいと思ってる訳じゃないですよ。それに、この映画だって、よくみれば自らのCIA史観に疑問を投げかける内容になってる、と思う訳で
マツヤマ
そらケンタロウさんはそうだろうよ。でも、一般の人たちはそうじゃないだろ。テレビのプロパガンダに易々と踊らされてるんだぜ。この映画は、一般人を相手にしてるじゃないか。実際にその作品がどうであろうと、現実世界に及ぼす影響、というのはまた別の話だからな。まぁ、この映画を100年後に観たら、オレも素直に評価すると思うよ。でも、今まさに、だからな。オレはこういった大衆娯楽は、その社会に与える影響を第一義に考えるべきだと思う。
元店主
なるほど。難しい問題ですねぇ。一応、だからこそ“批評”というものの役割がある訳ですが・・・
マツヤマ
そんなもん、この日本にないだろ
元店主
ですよねぇー
ヤマネ
やー、だ・か・ら!ボクたち強制起訴チームが居るんじゃないですか!
マツヤマ
ええ?オレたちって、批評家だったの?オレはただのカット屋だけど
ヤマネ
ボクだってただの建築家ですけど、そういった素人の声が大切なんじゃないですか
元店主
しかし、そんなもん、今やネット上に溢れてるじゃないか。で、その99%はゴミ。むろん、我々もその99%だけど。ま、テキトーな知識で、いい加減な事を喋ってるだけだし
ヤマネ
そういうニヒリズムはダメですよ−!ダメだ、無駄だ、意味ない、とか思って何もしないのが一番良くないんです!届く所には届く、と信じて石を投げないと・・・って、自己正当化の様な気もしますが。てへ。で、3月の強制起訴は何ですか?
マツヤマ
ウォシャウスキー姉弟監督の『クラウド・アトラス』だ
元店主
うーん、こらまた長そうな映画ですねー
ヤマネ
はい!では3月もまた張り切っていきましょー!

Comments

投稿者 uno : 2013年03月10日 18:11

長い映画でしたね。
最初の拷問シーンがここまでやるかといった描写で、これから何が始まるのか楽しみになったのですが、そこからが退屈で。。。
マツヤマさんが言うように、私もこの映画がCIAプロパガンダ映画と感じながら途中まで観てました。
なので途中まではキツかった。

ドライ過ぎて苦手な映像なのですが、格好良いな、と思った場面がありました。
アブ・アフマドを追跡する場面です。イスラムの都市の躍動感と相まって、緊張感がありハラハラしました。凄く良い。あと、各所に見張りを置いて根気強く捜査する、その描写が良かった。夕日の加減が印象に残ってます。

途中まで退屈だったのですが、半分を過ぎた頃から見方が変わってきました。
それは、殺伐とした映像を長く観ているうちに感じるようになった、マヤに対する疑問。
マヤにとって一体何との戦いなのか。
マヤの任務はビン・ラディン殺害にある。しかし、それ以上の感情が見えて来ない。一見マヤは熱く見えるのですが、どこか心に空虚さを感じるんです。ビン・ラディン殺害の為、自発的に作戦を考え、行動していましたよ。でもマヤにとっての正義、の為とは思えない。
最後にマヤが流した涙もだだ虚しい涙に見えた。
ビン・ラディンを殺害しても何も変わらないことをマヤは分かっていたのではないでしょうか。

映画のラストで途中に感じていた違和感が繋がりました。
でも苦手(笑)

投稿者 元店主 : 2013年03月11日 02:48

どうやらウノピはあまり面白くなかったみたいだね。

そんな映画を頑張って観る。で、何か言わなきゃ(書かなきゃ)ならないから、必死でなんか考える。いいねー、強制起訴の心髄さ、それが。

で、ウノピが注目したのがマヤの心性、と。一見熱くみえるけど、心に空虚を感じる。それはマヤ自身が、ビン・ラディン殺害という自分の任務を遂行してもなにも変わらないという事をよく分かっていたから・・・と。だから(そんな虚しい任務を描いた)映画全体も虚しいし、自分(ウノピ)もあまり面白くなかった・・・といった感じかな?

私はちょっと違う見方なんだな、マヤに対して。
私はむしろ、マヤはビン・ラディン殺害によってすべてが変わってしまう、という事をうすうす分かっていながら、敢てそれをみない様にしていた所に問題があると思う。虚しい任務をやっていた、とかそういう問題じゃなくてね。
私が注目したのは、仕事をする人の栄光と悲惨、ということ。マヤはもの凄く有能なんだよね。あんだけのビックプロジェクトを動かすには、並大抵ではダメ。だってみんな自分の立場や都合があるし、できれば楽したいし、やっかいな事はごめん、責任もとりたくない。そんな人々を自分の思った通りに動かして、プロジェクトを成功させるには、徹底した交渉が必要。時には上司も威嚇し、みんながひく様な啖呵をきり、罵倒し、懇願し、演技する。なにより大切なのは、無根拠で非合理なまでの自信と情熱。結局、確実な事なんて何もない訳だから、みんなを動かすのはこの自信と情熱なんだ。それを、うまく描いてると思う。
でも、結局それだけだと、プロジェクトが終われば、全てが終わってしまう。ビン・ラディンを追いかけた10年間は苦しかったかもしれないが、濃密な生の時間でもあった。が、それが終われば、世界はゼロだ。なにもない。やはり、自分の仕事、生き方に対するメタの視点が必要なのだ、と私は思う訳です。

つー訳で、私はたとえこの映画がCIAプロパガンダだったとしても、メタの視点の必要性を描いてる点で、単なるプロパガンダを超えている、と判断したのです。

あと、淡々と事実を積み重ねながらも、微妙な緩急をつけて緊張感を持続する演出はなかなかのもんだと思ったし、長さも感じず、最後まで一気に観られた感じだったんだけど・・・ウノピはそれが退屈だった様だね。やっぱ・・・テレビドラマの観過ぎじゃない?

投稿者 uno : 2013年03月12日 21:32

元店主さん
映画は観終わってからも面白いですね!
セピア冥利に尽きます。他のメンバーはどうか知らんけど(笑)

私の文章は否定的なことばかり書いているのですが、マヤに対する考え方は元店主さんに近いと思ってます。

私は、マヤに見える虚しさから、映画全体が虚しいとは思っていません。
むしろマヤが虚しさを感じつつ任務を遂行している。ここが私にとっては一番面白いところでした。
実際にマヤが虚しさを感じてたかどうかは分かりませんよ。でも、スクリーンから寂しさが滲み出ている。これが無ければ、面白くなかった。観ていて辛いですが。
本文で元店主さんが言っている「自分自身の在り方に対する批評」。これが、この映画全体を支配している寂寥感なのかな、と改めて思います。「自分自身の在り方に対する批評」をマヤは途中で認識しているというのが私の感想です。
ここで元店主さんの言う「自分自身の在り方に対する批評」から私が受け取ったのは、ビン・ラディンを殺害しても何も変わらない、ということを含みます。

それから私はこの映画を右翼的だとは感じていません。
マヤの感じている虚しさは、アメリカという国の在り方に少なからず疑問を抱いているアメリカ人の代弁をしているように感じています。
そこが秀逸だなあと。

映像は苦手だし長く感じたのに、後から色々と考えさせますね。
あー、なんだかこの映画が長かった意味を感じ始めている(笑)
ということは、名作ってことなのか!

投稿者 元店主 : 2013年03月13日 15:16

映画は見終わってからも面白い・・・と思える様になったんならホンモノだ!これでウノピも立派な強制起訴委員会セピア代表だな。他のメンバーはどうしてるのかな・・・。

さてしかし。どうもウノピには私の書いている事が届いてない様に思えるので、もう一度、書いてみようと思う。

ウノピは
「マヤに対する考え方は元店主さんに近いと思ってます。」
と書いてるけど、そうかな?今回のコメントを読むと、まるで正反対にとっている様に思えるんだけど。
ウノピは
「本文で元店主さんが言っている「自分自身の在り方に対する批評」。これが、この映画全体を支配している寂寥感なのかな、と改めて思います。「自分自身の在り方に対する批評」をマヤは途中で認識しているというのが私の感想です。」
と、書いてるんだけど、私はむしろマヤは「自分自身の在り方に対する批評」を欠いていたが故に、最後に泣くはめになった、と言いたかったんだよ。彼女はビン・ラディン殺害という自分の任務に憑かれた様に没頭して、結局成功させるんだけど、その任務が一体どういった意味を持つのか(世界に対して、自分に対して)、といった考察(批評)が欠如していたが故に、あそこまでのビックプロジェクトを成功させたのに、まるで荒廃しつくした様になってしまった、というのが私の見方。で、それを描いているが故にこの映画は単なるプロパガンダになっていない、と。
私には、マヤが自分の任務に虚しさを感じていたとか、批評を持ちつつ仕事をしていたとは全く見えなかったけど。そんな風に思わせるシーンとかあったかなぁ?むしろ偏執狂的に仕事に没頭していた様にみえる。
ウノピが
「スクリーンから寂しさが滲み出ている。」
と思ったのなら、それは多分、友だちも恋人も趣味も息抜きもなく、ただ仕事に憑かれた様になってるマヤの荒廃した在り方から滲み出たものだと思うが。そしてそれは、「自分自身の在り方に対する批評」とはマヤが無縁だという事だと思う。

あと私はウノピが
「ビン・ラディンを殺害しても何も変わらない」
と書いてるのが気になるんだよね。(だからちょっと皮肉った返事をしたんだけど・・・)
私はこういった書き方は結局何も言ってないに等しいから無意味・有害だと思うんだよ。だって、何も変わらない・・・ってなに?人が一人、いや何人も死んでるんだよ。単純に考えて、世界の人口は変わってると思うぞ。・・・って別に揚げ足をとってる訳ではなく、こんなのは視点の取り方でどんな風にも言える、という話。
ウノピの意図は忖度できるよ。ビン・ラディンを殺害したってテロ戦争は終わらない。世界は何も変わらない。相変わらず戦争と悲惨が世の中に満ちている・・・とか、そんな感じじゃない?(違うかな?)
でも、そんなら何をしたら世の中は変わるの?何をしたって世の中には戦争と悲惨は満ちていると思うよ。でもだからと言って、なにをしたって無駄、という事にはならないはず。人は自分の仕事をやるしかないんだよ、有効か無効かに関わらず。
誤解してほしくないんだけど、なにも私はビン・ラディン殺害に意味があった、とか言ってる訳じゃないよ。テロ戦争の終結、という視点からみれば、端的に無意味だったと思う。でも、それはこの映画のとってる視点じゃないだろ、と思う訳。この映画はテロ戦争の終結を描いたものではなく、単にビン・ラディン殺害を描いたもの。で、そこに閉じている。そこを観るべきだと思う。

あんまり大文字の言葉で語ると、肝心な点を見逃してしまうと思うんだよね。細部を、というか、映画そのものをよく観る様に心がけるのが大切なんではないでしょうか。

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