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2013年02月28日(Thu)

「王になった男」 []

Text by Matsuyama

李氏朝鮮時代の1616年、権力争いによる暗殺の恐怖に怯え、暴君と化した国王・光海君(イ・ビョンホン)の影武者として連れてこられたハソン(イ・ビョンホン)は、妓生宿で客を笑わせる道化師だった。間もなく光海は政敵の毒に倒れたことにより、ハソンは本格的に王を演じなければならなくなるというお話だ。そしてこのことは王の忠臣の2人以外だれも知らない。

単にイ・ビョンホンが主演というだけで観に行った。本国での公開が大統領選の3ヶ月前ということで、政府による何らかの意図をもって作られた映画ではないかと疑ってもみたが、そもそもスクリーンクォータ縮小反対デモの最前列で拳を振り上げていたイ・ビョンホンがそんな映画に出演するはずはない。とは思いながらも、もしかしたら、あれから6年余で権力側に転向したのかも?という疑いは少しはあった。しかし、一瞬でも疑ったオレの愚かさと、あらゆる意味での日本映画のヘボさと、大衆がアベノミクスにはしゃぎ、マスコミに植え付けられたウヨク根性で中国・韓国を敵視する国の国民であることの情けなさで後半は涙なくして観ずにはいられなかった。な〜んて減らず口はこのくらいにしておいて・・・

「卒業」のラストシーンを引用したようなラブロマンスもやり過ぎかと思うし、ドリフのレベルを超え、スカトロの域にまで達しそうな下ネタにはちょっと退いてしまったかな。しかもイ・ビョンホンがそれをやるんだから・・・。でもよく見たらイ・ビョンホンって加トちゃんに似てるよな。ハソンが王になりきるまでの前半部分はまさにそんな「全員集合」的コント集と言ってよいかもしれない。

さてと、王が暗殺に怯えるあまり、反対勢力の利権争いに目を瞑っていたのをいいことに、大臣たちは地主とグルになって貧しい民衆から搾取していた〜とハソンが気付いた中盤あたりから、真の王とはどうあるべきか?いわゆるリーダー論が徐々に語られ、ハソンには真の王としての資質が備わっていく。それと同時にこの映画もまさしく「映画の王」のように、アジアの宝のごとく輝きが増していくのである。
売国行為を重ね、平気で国益を損ねようとする大臣たちに「なぜ明の皇帝のために朝鮮の財産を差し出すのか」と“偽の王”は怒り、「(朝鮮とは関係のない)明の戦争のために2万人もの民を派兵して犬死にさせてはならぬ」と派兵の中止を命ずるところは後世まで語られる珠玉の演説シーンとなるだろう。そして単なる影武者としてハソンを操ってきた光海君の忠臣ホ・ギュンも「大臣たちには大事な“事大の礼”よりも、余にとってはこの国と民が何百倍も大事である」と言い放つ偽の王に惹かれはじめていた。
この演説のすべてが現代にまるっぽ当てはまることは言うまでもない。
スクリーンクォータ問題だけではなく、韓米FTAや輸入牛肉問題など、歴代大統領による売国行為への批判だけではなく、親米保守を掲げ、さらに韓米の同盟関係を強化するかもしれないパク・クネ新大統領〜僅差とはいえ予想された選挙結果だった〜に対し、グサッと釘を刺しているのかもしれない。パク・クネの父パク・チョンヒ元大統領はベトナム戦争に30万人以上も派兵した人物でもある。そして当時の日韓リーダーの子孫がそれぞれ新しいリーダーとなっていることは、単なる偶然なのだろうか?少なくとも両者は共通の支援団体を持っている(これ以上書けない)。
奇しくもオレがこの映画を観に行った日に安倍晋三がTPP参加に向けての日米共同声明を発表したのである。かつて安倍は「KY」と自国民からバカにされていたのだが、実は当時のブッシュ大統領もオバマ現大統領もそれを肌で感じていたらしく、安倍を生理的に嫌っているようなのだ。今回の押し掛け外交でも、昼食会というものは行われず、腹ごしらえとしての昼食はごちそうしてもらったものの、そこでのオバマはペットボトルの水を飲むのみで「コイツとは一緒に飯を食いたくない」という態度を露骨に表していたという。もちろん晩餐会も無し。共同会見も無し。首脳会談においては異例中の異例。何もしなくても勝手にTPP交渉参加、50兆円分の米国債買い支え、ゴルフのパター(おそらくゴミ箱行き)という貢ぎ物を持って来たお目出度いヤツ。韓国式の宮廷料理でもてなされたイ・ミョンバク前大統領とはエラい違いだ。それでも「日米の強い絆は復活した!」と満面の笑みでシッポを振る姿はまるで頭の悪い犬じゃねぇか!・・・っと話が逸れたようだけど、この映画を語る上では重要なのね、これ。

と、まぁここまでは理想のリーダー像を語っているにすぎないと言われればそれまでだが、重要なのはここからで、ハソン演ずる偽の王は「蛮人と和合してでも明に国のすべてを売り渡すことは許さん!」と言うが、これほど重要かつバランスのとれた言葉はないと思う。「蛮人」っていうのはちょっと分かりづらい。歴史的にみれば、明と戦っていた後金(後の清)に当てはまるが、フィクションとして考えれば蛮人とは江戸幕府のことではないか。後に朝鮮を植民地支配する日本人のことだ。あえて「蛮人」と言うことで国内の反日派からの批判をかわしているようだが、また、あえてそれと「和合」してでも大国と対峙すべきだと言っている。よく考えられたセリフだ。嫌いなヤツだとしても隣人と手を取り合って領土拡張主義の大国から国と国民を守るべきだと。この脚本家が大統領やればいいのに、まったく。
ハッキリ言ってしまえば、明に対して金や物だけではなく民をも貢ぎ物として差し出し、「蛮人と和合するくらいなら明に踏みにじられる方がいい」と言う大臣たちこそ今の日本そのものではないだろうか。ホントの収奪者が誰なのか、さほど考えなくても分かるだろうに・・・。

かつてスクリーンクォータ縮小について「これは単純に映画界だけの問題ではない。韓国の文化と芸術全般にわたった重大な問題だ」と語っていたイ・ビョンホンを思い出し、この映画の王座に相応しいのはやはり彼しかいなかったのだと、再び目頭を熱くするオレだった。
人生で一度でもイ・ビョンホンに会う機会があれば(ないと思うけど)、「アニキと呼ばせてください」と是非言いたい。あっちが年下だけど。

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