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2011年09月09日(Fri)

「クロエ」 []

Text by Matsuyama

2005年の作品「秘密のかけら」では、実在のコメディアン、ディーン・マーチンとジェリー・ルイス(底抜けコンビ)をモデルに、ハリウッドのダークサイドを描いた、カナダの奇才アトム・エゴヤンの最新作にして、なんとハリウッド・デビュー作品。さらには初めての他人による脚本で、2003年のフランス映画「恍惚」のリメイク作品。ということで、自称エゴやん(やはり関西風?)ファンでもある筆者は期待半分で観に行ってみた。

まずは主人公の娼婦クロエの「私は言葉が巧みなの」という独白から始まり、その言葉の魔力で自由に相手の気を惹く術に長けていることが詳しく語られる。
一方、経済的にも精神的にも何不自由のない生活を送っている産婦人科医のキャサリンは、目に見えるもの、聞こえるものがこの世のすべてであり、家族は裏切らないと信じて生きてきた。「経験が少ないせいか、オーガズムを知らない」と、性の悩みを打ち明ける患者に「オーガズムは単なる筋肉の収縮だから自分でできるわ。手引書を渡しとくから…」というKYぶり。
他に夫のデビッドと一人息子のマイケルの4人で物語は展開する。

夫の浮気を疑ってクロエに浮気調査を依頼するキャサリン。調査といっても「夫は浮気をしたか?」ではなく、クロエに夫を誘惑させて「はたして夫は浮気をするのか?」という大胆な依頼がおもしろい。
そしてまんまと夫は誘惑に乗り、その描写が赤裸々とキャサリンに説明される。クロエはキャサリンの目をじっと見つめながら、反応を確かめるように語ることで、クロエの感心がどこにあるのか観ている側もなんとなく分かってくる。

そして、キャサリンとクロエのベッドシーン。
ここは物語のクライマックスではないのかもしれないが、エゴやん作品としてはここが最大の山場であるといえる。いや、筆者がとくべつエロいかどうかは別にして、女性の身体の丸みと肌の柔らかさ、体温までもが伝わってきそうな映像表現はエゴやんならでは、ではないか。これはエゴヤン作品のほとんどを手がけているカメラマン、ポール・サロッシーの技でもあり、映画撮影が完全デジタル化へ向かっている中、エゴやんは今作も35ミリフィルムにこだわった結果ではないかと思う。
しかし筆者は、観客をも魅了すべきクロエ役のアマンダ・セイフライドにはまったく惹かれず、かつて一度も惹かれたことのなかったキャサリン役のジュリアン・ムーア('60年生まれ)にちょっぴり惹かれてしまった。説明するのは気が引けるのでしないでおく。

110909-01.tiff現在売り出し中のアマンダは

110909-02.tiffこんなイメージ

また、デビッド役のリーアム・ニーソンは「善人でも悪人でもないのに人を殺してしまう役」しか似合わないと思っていたが「蚊帳の外の善人」というのもよく似合うことが分かった。この人、最近よく出ると思ったら、私生活でイロイロあったんだな。知らなかった。ハリウッドの優しさなのかな?違うのかな?。

さて、終盤、実際のクライマックス、クロエの「嘘」がバレるあたりでボンヤリと終わるのかな?と、是非そうしてもらいたいな、と思ったら、その後ちょっと派手な大団円へなだれ込むとは、なんだかエゴやんらしくない。真相のみを闇へ葬り、生き残っている者を葬らないのがエゴやん流かと筆者は勝手に思っているのだ。支配欲の強い金持ちオバサンが救われて、弱者が・・・というのも納得できない。

そういえば冒頭のキャラ説明もちょっとクドかったのは、やはりアメリカでの興行を意識したせいなのかしらん。それともプロデューサー(父)と製作総指揮(息子)のライトマン親子のハリウッド・パワーが睨みをきかせていたのかもしれない、と思えば納得がいくが…。

が、しかし、脚本ではサンフランシスコに設定された舞台をトロントに移し、その街の空気感、ガラス、鏡の多い風景は「エキゾチカ(1994年)」を思い出させ、「スウィート・ヒア・アフター(1997年)」のような寒さ、そしてジュリアン・ムーアの脱ぎっぷりは、やはりこれもエゴやん作品らしかった、と思うことにする。

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