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2010年07月31日(Sat)

「インセプション」 []

Text by Matsuyama

現実と夢の二元世界を描いた作品に今さら新鮮味などなく、夢の世界を構築するといっても、やはり夢という前提である以上そうとうズバ抜けて斬新な映像でなければシラケてしまう。しかしそれも予告で概ね見せられてしまった。観ていて少し良かったと思ったのは、日本人の大物実業家サイトー役の渡辺謙が非常にカッコイイ役だったということ。とくに、ラスト近くの、機内で全員が目覚めるシーンが好きだ。サイトーの夢の世界を反映した目覚め方には笑えた。
しかし後半の伸びきったパンツのゴムみたいにダラリンとしたシーンの連続は、こっちが夢を見そうになってしまった。上映時間が150分という必要性がどこにあるんだろうか? なんて観終わってから「1800円満額払って損した」などとグチグチと考えてはいたものの、映画は必ず楽しむことをモットーにしていたこと、そのために映画に星をつけるのを止めたことなど思い出し、オレは一晩じっくりと考えることにした。

主人公コブ(レオ)は標的となる人物の夢(潜在意識)へと入り込み、アイデアを盗みだす企業スパイ。
ライバル社の跡継ぎ、ロバート(キリアン・マーフィ)に、社を崩壊させるべく意識を植えつけてほしいという依頼者であるサイトーは、ミッションが成功すれば、妻モル(マリオン・コティヤール)殺害の容疑がかかっているため逃走中のコブを、2人の子供が住む自宅へ帰れるようにしてやるという条件を出す。しかし、その方法は示されないし、第一そんな権限をどうして持てるのかという疑問は最後まで解決されず、また、ミッションは飛行機内の座席で行なわれるのであって、それが成功して目覚めて着陸までの20分ほどで、いつどんな手続きをしたのだろうか。そのときのサイトーは病み上がり同然(笑)なのだ。
飛行機を降りると空港にはコブの父(義父?)マイルズ(マイケル・ケイン)が迎えに来ているが、しかしここはミッション遂行上“ロバートの目的地”であって、ここからコブが自宅へ帰るなんて、こんな御都合主義がまかり通るなら最近の日本映画並みの最低映画だと言うほかない。

しかし、この作品がそれほどくだらないモノではないことは、しだいにわかってくるのである。
この物語の大筋は、コブがモルを死へと向かわせた罪悪感 〜モルのいる夢の世界、または夢の世界のモルの存在〜 から、かい離できず、子供たちのいる現実の世界に戻れないでいるということだ。“妻殺人容疑”というのは本人の口実か思い込みか、潜在意識へ自ら植えつけたものかもしれない。
後半はサイトーからの依頼の実行がメインではあるが、ここでもモルが登場し、コブが翻弄される。ミッションのリーダーでありながら、自ら乱れてしまう、というかコブは常に不安定。依頼者であるサイトーもミッションに参加しているのがミソだ。
夢の迷宮都市の設計者であるアリアドネは、コブをなんとかモルの呪縛から引き剥がそうとする。アリアドネという名はギリシャ神話に登場する女神であり、テーセウスという王を迷宮から救い出す手助けをしたという。ドム・コブ、モル、ユスフ、イームスなど、登場人物の名前がちょっと変わっているから、調べたら面白そうだ。面倒くさいからやらないけど。

かくしてミッションは成功する。しかしミッションの標的であるロバートの「自分の道を歩む」という現実社会での第一歩が描かれないのは残念だ。描かれたのは、めでたく自宅へ帰り、子供たちと“ご対面”できたコブであり、しかしそれは夢か現実か?、ということだった。
けっきょく、このミッションの真実を作品全体から導き出してみると、標的はロバートではなく、コブである。
“子供が待っているが、妻は存在しない”現実世界に戻れずにいるコブの潜在意識に、現実世界の素晴しさ 〜それはメンバーのひとりであろうロバートが演出した父子愛〜 と、アリアドネによって 〜夢の世界の妻は幻想であるという〜 事実認識を植えつけ現実世界へ引き戻し、子供たちの元へ帰すことではなかったのだろうか。
ロバートは「自分の道を歩む」という結論を出したが、それは必ずしも会社を潰すこと(というミッション大成功)にはならず、どちらかといえば「自分の道=現実世界」を歩めというコブへのメッセージなのだ。
空港の到着フロアのシーンを思い返してみれば、いち早く入国審査へと向かうコブを、ロバートが“チラ見”していたのは、無意識や潜在意識にある夢の記憶ではなかったのだ。やり遂げた感のあるメンバーたちの目配せや安堵の表情にロバートも加わっていたのかもしれない。情報求む!

そして、ラストは夢か現実か? それは、この作品を観た各自が考えればよい、ということではない。「この映画すべてが夢でした〜!」というオチではない限り、あれは間違いなく現実なのだ!って言い切ってしまうには少々腰が退けてるのが情けない。
“トーテム”という、夢か現実かを判断するためのアイテムについて深く考えてみる。
コブはコマ(独楽)を持ち、相棒のアーサーはイカサマのダイスを持ち、アリアドネが作製したトーテムがチェスの駒だ。
コマが回り続ければ夢で、止まれば現実だという。実際に夢かどうかを判断するには、回ったコマを永遠に見続けなければならない。永遠というものがあるかどうかは誰にも確認できないのに、だ。
アーサーはダイスを他人に触れさせることを拒否し、アリアドネが作ったチェスの駒は、どの世界でも立ちそうだ。要するに、コマはとりあえずは回り、ダイスがイカサマかどうかは持ち主にしかわからず、チェスの駒は立つ。けっきょく、夢に持ち込める“物質”などありえないはずであり、夢か現実かを判断するのはトーテムではなく、自分自身でしかないなのだ。
チェスの駒は最初から傾けて立てようとすれば倒れるし、ダイスは「これはイカサマだよん」と自己申告制だから、とりあえずはメンバーがコブに合わせてトーテムを持つこと自体が必要とされるところなのであり、コックリさんのように、コブの潜在意識しだいで、現実の世界であってもコマを回すことも、回さないこともできるのだ。
しばらく会えなかった子供たちの顔を見ることができなかったのが“夢”であるならば、あのラストは現実だったのだとオレは思ったのである。コマはいつかは止まるだろうし、コマが止まる前に自分が死ぬかもしれない。それが人生だ。なんちゃって。

Comments

投稿者 power : 2010年09月26日 06:22

Matsuyamaさんこんにちは。私も昨夜、イタリアにて上映が始まった初日にインセプションを見て来ました。地元の映画館で、観客数は5人でした。

吹き替えなので言葉が難し過ぎて十分にはわかりませんでしたが、かなり楽しめました。渡辺謙が出てくるのは知らなかったで、良い意味でびっくりしましたが、非常にかっこよかったですね。ちなみに渡辺謙の吹き替えは別の日本人が若干の訛りのある日本語で行っていました。これもまたバッチリはまっていましたよ。

最後のコマが倒れるかどうか? 私も倒れると思いました!

投稿者 マツヤマ : 2010年09月28日 23:17

powerクン、久しぶりです。

イタリア語の吹き替えですか。なんだか楽しそうですね。
最近思うのは、外国映画を吹き替えにしても字幕にしても、日本語翻訳版しか理解できない自分に歯痒さを感じています。
100%英語が理解できたらこの映画の印象も少し違ったかもしれません。
イタリア語が少しでも理解できるのなら、ぜひともイタリア映画を観て情報を聞かせてください。ルイジ・ロ・カーショという役者さんが好きです。またね。

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