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2010年07月16日(Fri)

「アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち」 []

Text by Matsuyama

オレはサッカーのことはよく知らないが、先のワールドカップ南ア大会は2ゲームだけ観ることができた。ひとつは「日本VSパラグアイ」で、なかなか決着がつかなくて、延長の果てのPK戦は「いったい何に対してのペナルティなのか?」と思いつつ、選手たちの精神的リスクを思えば「これはジャンケンの方がいいのではないか?」と思ったのだった。サッカーのことはよく知らないので許してもらいたいのだが、さらに言うと日本選手団の帰国での大歓迎ムードがまた気持ち悪い。まぁサポーターはいいとしても専門家(解説者や評論家など)までもがいっしょになって「感動をありがとう!」などと言うのはいかがなものかと思う。日本選手団はまるで期待されていなかったのか?
もうひとつは「アルゼンチンVSドイツ」だ。“絵的”に「貧困VS富裕(イメージだけね)」だとしたらどうしても“個人的”にアルゼンチンを応援したくなる。が、どうも放映側の解説者らからもそのようなニュアンスが伝わってくる。なんとなく公平さが感じられなく、アルゼンチンの負けが込んでくると、ますますこれも気持ち悪いと思いつつ、あきらかに勝つ見込みのないアルゼンチン選手にばかりコメントを発するなか、ある単語に単純なオレの目頭は少しばかり熱くなった。4点取られて負けが確実となり終了も間近になってもボールに食らいつくテベス選手に対し解説者は「“魂”の走りです!(みたいな)」ことを言ったときだ。このときの「魂」という単語によって確かにタンゴのメロディがオレの頭の中を過(よぎ)ったような気がする。

アルゼンチンのタンゴ、ポルトガルのファド、トルコのアラベスクなど、それらの国で生まれた音楽と、日本の民謡や演歌を比べるのは、かなり無理がある。日本のそれらは今や日本人にとってぜんぜん身近な音楽ではないからだ。
1990年代後半あたりからブエノスアイレス、ラプラタ川地域で活動していた若手のインディーズバンドやストリートバンドが続々とCDデビューを果たしている。インターネット文化も一役買っているのかもしれない。ストリートバンドといってもロックやヒップホップではない。それこそ民族音楽であるフォルクローレやタンゴを自分たち流にアレンジした、フォルクローレ・ポップ、フォルクローレ・ジャズなどと呼ばれ、若手のタンゴ楽団も都市の音楽として聴かれている。オレが好きで聴いていたのは哀愁たっぷりのメ・ダラス・ミルス・イホスや「ウィスキー(2004、ウルグアイ映画)」の音楽を担当したメケーニャ・オルケスタ、フラメンコや東欧のロマ音楽、ロックなどを取り入れたアダマンティーノなどだが、この情報はもう5年も古い。
同じような現象がフランスでもあって、ヌーベル・セーヌ・フランセーズという、いわゆる今の音楽シーンだ。いくらか日本でも人気があるマヌーシュ・スウィング(ジプシー・スィング)をはじめ、ジャズ、ロック、タンゴ、スカ、ファンク、コント(笑)などを取り入れた若手のバンドばかりで、これも数があまりにも多い。一部のバンドは、バイオリンやバンドネオンの奏法を聴けばアルゼンチンタンゴの影響を大きく受けていることがすぐにわかる。Debout Sur Le Zinc (ヨメナイ)が素晴しい!
どうして日本ではこういったシーンはないのだろうか。沖縄だけががんばっているみたいだが、なんでもかんでも沖縄に押付けてはいけないと思う。

知ったかぶりはここまでにして…

1940年代〜50年代のタンゴ黄金期を築いた22人のマエストロたちが、2006年にブエノスアイレス最古のレコーディングスタジオに集結した。それぞれがタンゴに対する想いを語り、かなり劣化した当時の映像や写真が映し出される。リハーサルやレコーディングで奏でられるタンゴのメロディは演奏者や歌手たちのの人生そのものと重なり、オレの目頭はすでに決壊寸前だ。
タンゴのメロディは決して明るくはない。どちらかといえば物悲しい。ウォン・カーウァイ「ブエノスアイレス(1997)」やマルコ・トゥリオ・ジョルダーナ「輝ける青春(2004)」でもタンゴは効果的に使われ涙を誘った。どちらもピアソラだったが、ピアソラがスゴいのではなくタンゴがスゴいのだと(いやいやピアソラはすごいのだが)改めて思ったのだった。そういえばオレが長年「イイ!」と言い続けている「アパートメント・ゼロ(1988)」もバイオリンの旋律が美しいタンゴだった。

「タンゴの素晴しい演奏を聴いて、心が震えるのを感じなければ…よそへ行ってくれ」
と語るのは指揮者でピアニストのカルロス・ガルーシア。2006年8月に92歳で現役のまま世を去った。

「(子供のとき)バンドネオンの演奏に衝撃を受けたとオヤジに言ったら、2回払いでこいつを買ってくれた。あの世までいっしょだ」
と言ってバンドネオンを抱きしめてキスをしたのはバンドネオン奏者のエルネスト・バッファ。2010年現在78歳。

22人のマエストロたちの身に沁みる言葉の数々は是非とも映画観で聞いてもらいたい。

そうして彼等のタンゴに寄せる想いと、レコーディングやリハーサルの歌や演奏を編むようにして綴られたのち、2007年夏、舞台は世界3大劇場のひとつ、ブエノスアイレスのコロン劇場に移る。

「タンゴだけは欧州の影響を受けない魂の音楽。今宵集まったマエストロたちは豊かに年を重ね、なお一層輝き続けています。タンゴの黄金時代を知らずにタンゴと共に育った世代にとっても、彼らはアルゼンチンが誇る偉大なる宝なのです(字幕通りではないかも)」
素晴しいMCが終わり緞帳(どんちょう)が上がると同時に、タイトル曲でもある「マエストロに郷愁をこめて」が演奏される。ここでオレの目頭は完全に決壊したのだった。
レコーディングスタジオで見たタンゴ界唯一のアフリカ系女性歌手ラグリマ・リオスをステージで見ることはできなかった、すでにこの世を去ってしまっていたのだという。2010年5月の時点で8人のマエストロたちが世を去っているというのだ。残念ながらこの映画でコンサートの一部始終を観ることはできない。上映時間は約90分というのはあまりにも短いような気がする。二度と観ることのできない奇跡のステージ、是非とも全てを観る機会をいただきたいものだ。

「元気だよ、バカばかりやっている」
とはピアノ奏者のオラシオ・サルガン、(撮影当時)90歳の言葉とは思えない。

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