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2009年08月30日(Sun)

「30デイズ・ナイト」 ☆☆☆★★★

Text by Matsuyama

久々にロックフェラーのことでも書いてみるか。えっ「また陰謀論か」って? 言っておくけどオレは今どき「陰謀論?」なんてことを言うヤツは好きじゃないんだ。確かにテレビとか新聞の情報を真にウケているヤツらにはオレの言うことはちょっと信じ難いかもしれないけどなぁ。
まぁ細かいことを言うとまた長くなるから、今回は映画の話に絞ってみるよ、できるだけ。この映画、上映期間が短いらしいから急いで観に行った方がいいよ。余計なお世話か。

オチまでバラしてるから注意して読むこと。

さて、奥目のハッちゃんことジョシュ・ハートネットが主人公エバンを演じていて、これは考え過ぎかもしれないんだけど、キャラがゲバラのデルトロと被るんだよね。喘息だし、ボリビアでの山狩りのエピソードによく似ているような気がするんだ。

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で、そのボリビア軍を支援していたのがアメリカ政府だったり、イラク攻撃にしても、各国でのCIAの特殊工作にしても元をたどればロックフェラー(現当主デビッド)に行き着くのが周知の事実なのさ。

ロックフェラーとの関連性に触れる前に、誰かさんのマネして人名やストーリーを通して聖書からこの作品の解釈を導こうとしたものの、エバンがEvanではなくてEbenであることから、初っぱなで悩むオレ(じゃぁEvanだったらわかるのか?と言われれば、そうでもない)。
そこで、自称ネットサーファーの実力を駆使すること数分、今まで何回も映画化されているディケンスの「クリスマス・キャロル(以下『キャロル』」に行き当たった。「キャロル」の主人公がエバンの語源であるEbenezerエバネーザ(ヘブライ語で「助けの石」)で姓がScroogeスクルージ(守銭奴)だ。スクルージはエゴイストで拝金主義者。エバンが妻ステラと離婚調停中であることの原因がまったく語られていないのは「キャロル」のスクルージのキャラクターと重ねてみてもいいのではないか。エバンは悪人ではないが完全なヒーローでもない。

実際に冬には30日間太陽が昇らないアメリカ最北の街という舞台設定で、日暮れから夜明けまでの30日間という時間の感覚が今ひとつ曖昧なのは、「キャロル」ではクリスマス前夜の日暮れから夜明けまでが描かれているという点からしても、時間経過の問題はさほど重要ではない。

「キャロル」ではスクルージを改心させるために現在、過去、未来の3人の精霊が現れる。これを「30デイズ・ナイト」にあてはめると、頭頂部から光を発するという過去の精霊は、幸福な家庭を思い出させる存在の妻ステラ。ステラ=Stellaはラテン語で(マリアの)星=光だ。そして暗い部屋を明るくするために手に角のような松明を持つという現在の精霊はエバンの友人ボウだ。ボウBeau(というよりは見た目Beast)の存在も今ひとつ謎なのだが、バンパイアから仲間を救うために進んで身を投げ出すことが後にエバンの手本ともなっている。角のような松明とはダイナマイトに点火するマッチではないのか。 そして真っ黒の服を着た闇と陰影のイメージを持った未来の精霊はバンパイアの親分マーローだ。
スクルージは未来の精霊によって墓石に自分の名前が刻まれている自分自身の未来を見て衝撃を受け、改心することで、夜明けと共に未来を変えられる可能性を見出すのだが、エバンは夜明けまでに全てが滅びることを避けることができるか、ということに可能性を見出す。墓石=助けの石のエバンは命を投げ出すことが皆が助かる道であることだと見出す。

忘れてはならないのはスクルージを改心させるべく3人の精霊が現れることを知らせに現れる、10年前に死んだかつての共同経営者のマーレイの亡霊が、「30デイズ〜」では街に現れ未来を予言する謎の男Strangerだ。名前だけ見るとマーレイ〜マーローと混同しやすいが、謎の男がバンパイアの仲間に入ることが許されないのは、亡霊である謎の男は元々、エバンたち獲物(奴隷)と同類だったからだ。

ここで「クリスマス・キャロル」の話から少し離れるが、その排他主義的なバンパイアたちは何者なのか? というと、白人至上主義的な優生思想を象徴とするのが、あの特殊メイク、と言うより白塗りだ。そしてそれが多国籍企業のドンであり、世界中の地下資源と金融の利権をヨーロッパのユダヤ勢力と競り合っているのがロックフェラー石油財団だ。そしてマーローのモデルが世界皇帝と呼ばれる当主デビッド・ロックフェラーなのさ。

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劇中マーローは自らをPower=権力と呼び、自分たちが権力者=支配者であることを被支配者にわからないように、幻(の存在)として思い込ませて来た。そして自分たちが存在した証拠として象徴的なのが石油パイプラインだ。マーローはこれを破壊して街を焼き尽くそうとする。まさしく自作自演テロみたいだ。

しかし、この映画はそうやって権力者を暴いて「どうだ!」っていう話ではない。問題は支配される側にある。権力者たちが新聞、テレビ、ハリウッド映画などによって一般市民を情報統制し、市民もそれを疑わず、また自ら拝金主義者へと成り果てた。そう、スクルージという一人の守銭奴は「キャロル」の主人公としての特殊なキャラクターではなく、欲にまみれた愚かな民衆の象徴的存在でもある。

だんだんと「30デイズ・ナイト」と「クリスマス・キャロル」、ロックフェラーが混同して話がドロドロになってしまったように思われるかもしれないが、問題ない。

要するにエバンが抱えていた夫婦間の問題は、エバン自身の人間性にあったんだ。例えば弟ジェイクに対する兄弟愛も含め、エバンには家族愛が欠如していたんだが、30日間という長い夜に見る他所の親子、夫婦、家族たちによって真の家族愛が芽生えてくる。愛こそがすべてだということに気付いてくるのさ。

この映画の監督はさておき、プロデューサーはサム・ライミ。
かつて「スパーダーマン2」で議論の的になったのが「大いなる力を持つ者には大いなる責任が伴う」という言葉で、これを「イラク攻撃の正当化ではないのか!」などと批判し、「スパイダーマン3」のスクリーンいっぱいの星条旗を見て「やっぱり」って思ったんだが、今思うとちょっと違うような気がしてきた。
サム・ライミの作品を全部観ているわけではないが、「死霊のはらわた」の時代から一貫して人間の持つ2面性を描いてきたようだ。オレはサム・ライミの映画から多くの善と悪、怒りと許しの狭間ので葛藤する人間像を見てきた。
そして今回、大いなる力=武器とはバンパイアの血であることから、武器=悪であることが示された。武器を持って戦うということは誰もが持っている「悪x悪」の戦いだ。大いなる責任とは命を捧げること。
エバンは悪を手にすることで、悪を制し悪と共に死へ旅立つ。エバンが授かったもの、それは大いなる愛だ。

そう思いながらラスト、ステラ(聖母マリア)の胸に包まれて太陽の光を浴びながら灰になっていく光景はなかなか感動的ではなかったか。やっぱり愛なんだな愛。

Comments

投稿者 まり : 2009年09月02日 21:19

奥目のハッちゃんというニックネーム、大共感しました!さわの妹です。今日はありがとうございました♪姉が似合っていると大絶賛です♪これからもよろしくお願いします☆

投稿者 マツヤマ : 2009年09月04日 00:37

こちらこそありがとうございました。
「お姉さんとは似てないね」って言ったけど、やっぱり似てるかも。見た目の話じゃなくて。お二人とも明るくてとても素敵ですよ。
ちなみにハッちゃんは大好きな俳優です。
またよろしくおねがいします。

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