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「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」
レビュー補足Vol. 1

批判に対するお詫びと感謝

 私の 2004 年 7 月 9 日掲載の『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』レビューに、mobanama さんという方のブログ、さらに BBS でも kick さんという方からご批判をいただきました。まず私ごとき有象無象の拙くいい加減に書き飛ばしている文章を、まじめにご批判いただいたことに遅ればせながら篤く御礼申し上げます。以下、ご批判を引用させていただきます。

mobanama さんの批判 その 1

 1・2 作は良くも悪くも原作の挿絵であった。未読者には今ひとつ伝わりにくい所はあっても、その分原作世界の広がりを感じさせることはできていたように思う。映画としてどっちがいいかっていうと難しいが。

 また、映画としての完成度を重視するあまり、重要なエピソード(特に心理面で重要なエピソード類!)が相当ばっさりと削られたり端折られたり。個人的に一番引っかかったのは、なぜ 1 回目は効かなかったディメンター退治の呪文が 2 回目は効いたのか、映画からではわからないんじゃないかな、ってこと。見ている多くの人は、出直して(magic point を蓄え直して?)冷静にやったから程度にとっちゃったんじゃないかしらん。でも本当は「エクスペクト・パトローナム」の呪文は単に magic point を消費して超常現象を引き起こすというような呪文ではない。唱えた個人の幸福な経験、幸福感がどれほど重要なものであるのかがまるで伝わらないように思う。

 #見事にそれを勘違いした評(引用者注:私の拙レビューのこと)も実際あるし。

 内容についてもうちょっとだけ。

 ディメンター(吸魂鬼)やボガート(ものまね妖怪)の性質にしろその撃退法にしろ、まさに「鬱」を描いていると思ってたんだけど、Google で検索してみても今ひとつそう論じているページが見つからない。原作の読後に検索したときは、まだないのかな? 程度に思ってたんだけど、映画が公開されてからでさえこれだけ時間が経っているのにないってことは、なんか勘違いだったのかなあ。

http://d.hatena.ne.jp/mobanama/20040731

mobanama さんの批判 その 2

 やっぱりどうにも納得いかないので書く。

 基本的に、原作付きであっても、映画を映画単独で評価して論じるということ自体は否定しない。ただ物語世界に踏み込むならそれなりの下調べと仁義くらいは切るべきだろう。

 俎上にあげようとしているのは、7/31 にコメントしたサイト。評者が

 私の場合、前 2 作(クリス・コロンバス監督)がさっぱり面白くなく、

 ってのはしょうがないと思う。私自身挿絵集だな、と思ってたし。しかしこうも誤解を垂れ流すかね。

 初っぱなから、

 素直が取り柄のハリー

 って誰のこと? ハリーってはじめから結構かなり歪んでるぞ。一貫して先生の言うことを聞かない規則破りの常習犯でしょうが。今作中でもトラブルメーカー ( の親父さん似 ) だと言われてたでしょうが。

 この『アズカバンの囚人』のハリーは、優等生ではありますが、父母の喪失というトラウマを抱えた少年として描かれます。

 って優等生はハーマイオニー。ハリーは違うでしょ。しかも父母がいないことははじめから一貫している話。殊更今言及するような事じゃない。

 クライマックス、ハリーは「父親(の霊?)が助けてくれた!」と喜色を浮かべるが、実は父親では無かったことが明らかになる。それを卒然と了解したハリー、表情はクール、しかし胸中は悲しみに満ちていたであろう。大団円の爽快さの裏に悲しさ・寂しさがこめられた脚本が見事です。主人公のキャラが 3 作目にしてやっと立った、そんな感じ、心に闇を持つ主人公が駆使してこそ、魔法は、その魅力を映画に横溢させるのであった。

 前回言ったとおり、「悲しみに満ちた」「心の闇」からは「エクスペクト・パトローナム」は効力を発揮しない。映画としての描き方に問題があったし、映画からはたしかに誤解が生じるだろうとは思った。が、こうまで見事に勘違いしたまま、それを確認もせずに断定的な口調で、評として垂れ流す神経はわからん。

 余談ですが、クライマックス、湖のほとりに鹿が現れるのは『もののけ姫』っぽいし、日本のマンガ、アニメの多大な影響がうかがえる…かも?

 ここも同様。映画からは、なぜ「鹿」なのかってところの説明がまるっきり欠けているからしょうがないが、唐突に「鹿」が出ることに違和感とか必然性への疑問とか感じなかったのかな?

 あと

 映画の隅々にひと工夫=“トンチ”が存在しています。ハリーが、なかなか使いこなせなかった、守護霊を召還する魔法を、なぜ使えるようになったか? その理由は、ずるいけれども見事なトンチであります。

 って言及があったが「トンチ」? 何のことを指しているんだろう。

 ともあれ、批判するなら極力ソースをあたり、対象をある程度理解してから。こうやって批判を書いておいて言うのも何だけど。自戒を込めて。

http://d.hatena.ne.jp/mobanama/20040806

kick さんの批判

 はじめましてなのに申し訳ありませんが、ハリーポッターとアズカバンの囚人の記事を読ませていただきました。

 私も先日見てまいりましたが、ぶっちゃけ原作を読んでいらっしゃらない方の記事だと思いますが、いかがでしょう。

 鹿が出てくるのは、日本のアニメ映画のパクリではなく、あれは原作にある描写そのままです。もっとも、今回の映画では鹿について、ムーニーやパッドフッドなどといった、忍びの地図作成者に関することにも関わってくることについて、省かれていたので仕方がありませんが。

 ハリーが校長にえこひいきされている優等生チャンという言い方もどうかと。ハリーが校則破りの常習犯だということは、原作の 1・2 巻でもよく表されているし、映画でも同様かとおもわれます。

 トンチ、の意味はわかりませんが、脇役陣がよかった、というのは同感です。ここまでイメージを壊さないでくれた配役もないと思っています。

 しかしながら日本語訳ではヒポグリフではなくヒッポグリフです。

 古い話、失礼しました。

www.cafeopal.com/sunbbs/42.html#4818

 mobanama さんと kick さんの批判の要点は、

  • 映画版前二作主人公ハリーは、「素直が取り柄」「優等生」などではなかった。
  • 湖のほとりに霊的な「鹿」が現れるという、『もののけ姫』そっくりのシーンは、『もののけ姫』の影響を受けているのではない。原作そのままである。
  • 「悲しみに満ちた」「心の闇」からは「エクスペクト・パトローナム」は効力を発揮しない。
  • 日本語訳では断じて「ヒポグリフ」ではない! 「ヒッポグリフ」である。

 と、いうところでしょうか。

 ご両人の批判を読み、「なるほど映画『アズカバンの囚人』は、そう見るべきだったのか!」と激しくうなずき、私の見方がいかに主観的・個人的・特殊的、偏見・誤謬・独断・独善に満ちたものなのか、承知してはおりましたが、改めて思い知りました。

 結局のところご両人と私とでは、映画『アズカバンの囚人』の見方が全然違っていて、「まったく別の映画」を見たと言ってもよいくらいです。

 そもそも生来、怠惰な性質ゆえ原作未読の私が、とっくに原作を熟読されたとおぼしきご両人と同じように映画『アズカバンの囚人』を見ることができるわけがなく、反論しようなどもってのほか、「キミの見方は無茶苦茶だよ!」と言われれば、「ごめんなさい」とあやまる他ありません。

 mobanama さんと kick さんは、小説『ハリー・ポッター』シリーズを愛する方々とお見受けしますが、もし、私のレビューで何かお気を悪くされたのでしたら、誠に申し訳ございませんでした。私のレビューは、「こんな阿呆な見方をするヤツがおりますよ、あははは」と笑っていただくのが本意でございます。真面目に批判されてしまっては、まったく自分のいたらなさに恥じ入る他ございません。

 また、mobanama さんは、「批判するなら極力ソースをあたり、対象をある程度理解してから」と書かれておられます。私もその通りだ、と思います。

 そもそも私のレビューは、「批判」というほど大仰な物でなく、「映画『アズカバンの囚人』めちゃめちゃ面白かった!  バチグンのオススメ」が趣旨の、「絶賛」「賞賛」であったのですが、それでも極力ソースに即して、原作のあるものは原作を読んで、「絶賛」「賞賛」という主観を、全力で「客観」に向かわせるべく努力すべきでありました。

 これまで私は、「映画のレビュー」のソースは、「映画それ自体」で必要充分であると思い込んでおりました。しかし、mobanama さんのすぐれた『アズカバンの囚人』分析に感銘を受け、大いに見習わねば、と思いました。

 また、mobanama さんは、「物語世界に踏み込むならそれなりの下調べと仁義くらいは切るべきだろう」と書かれておられます。

 なるほど原作を読んでおらず、対象を理解していない者は、「物語世界」に踏み込むべきではないのですね。すいませんでした。普通、映画評は、たいてい物語に何らかの形で言及するもので、私の場合、批評者が原作を読んでいない(と感じられる)場合も、往々にして面白く読むことができるし、勘違いが多い方が面白いと思っております。私も勘違い満載のレビューを書きたいと常々思っておりまして、そういうわけでこのたび mobanama さんからご批判いただいたことをたいへん嬉しく思っております。ありがとうございました。

 ところで「仁義」というのがよくわからないのですが、もし、お時間がございましたら、ヒントをいただければ幸いです。私、「仁義を切る」といえば、「わたくし、生まれも育ちも、葛飾柴又…」くらいしか思い浮かない貧困な教養な持ち主でございます。レビューする前にいちいち初対面の挨拶を述べなければならないのかな? と思ってしまうのですけど、いかがでしょうか。

 さて。

 mobanama さんは、「個人的に一番引っかかったのは、なぜ 1 回目は効かなかったディメンター退治の呪文が 2 回目は効いたのか、映画からではわからないんじゃないかな、ってこと」と書かれておられます。

 実は、私、これは映画だけで充分よくわかりました。私の思いこみでしょうが、以下、「釈迦に説法」ですけど、何かのご参考までに少し、前回のレビューの補足というか、蛇足として解説させていただきます。同時に、ご両人の批判に対しても、少々弁明・弁解させていただきます。

 ……長くなりそうなので、続きは後日

BABA Original: 2004-Oct-04