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 Movie Review 2003・6月14日(SAT.)

マトリックス・
リローデッド

 ご存知『マトリックス』の続編、と申しましょうか、三部作の真ん中。以下、ネタバレ含みますので、ご注意下さい。

 さて、前作で示されたヴィジョンは、私たちの世界は機械に見せられている夢/仮想現実であり、自由意志は存在せず、行動はシステムの「枠組み(= Matrix)」の中にとどまっているのだ、なぜ気づかない? …というようなものでした。

 今回は、マトリックス・システムを脱したと思っても、システムはそれを予想済みだったのではないか? 反乱も、結局システムの内側に留まっているのでないか? また、仮想現実の外側も、別の仮想現実なのではないか? との疑問を提示します。

 お話はというと、主人公ネオたちは、預言に導かれて、システムの根本=プログラム・ソースにアクセスするため奮闘します。ソースにアクセスするには、「バックドア(裏口)」を通らなければならず、バックドアのキーを得るには、「キーメーカー」に会わなければならず、キーメーカーに会うには…、と、ロールプレイングゲームお約束の展開、果たしてネオはソースにアクセス出来るのでしょうか? ババーン!

 なんだかんだとありまして、ネオは、ソースへのドアにたどり着きます。ドアの前には、「アーキテクト(設計者)」がおり、「ここにやってきたのは、キミで 6 番目だよ」などと言う。つまりシステムは、「反乱者」がやってくることはとっくに了解済みなのであった。

 反乱者組織が一定のレベルに達すると、「救世主」を生み出し、その「救世主」はソースにアクセスしようとする。つまり「救世主」とは、「システムのバグが貯まってきましたよ、ほおっておくと、システムがダウンしますよ」という警告で、システムはその警告を受けて反乱者の国=ザイオンを破壊する。ザイオンには一定数の男女が残され再建され、再び救世主が現れ…というサイクルを繰り返し、システムはより強固になっていくのであった。ガーン!

 システムの外側に出たと思っても、結局、大きなシステムに組み込まれており、反乱は、システムを強固にするものでしかなかった、という驚くべき結末、というか、あまりにもお馴染みのお粗末なオチに、私はアッと驚き、呆然と脱力したのでした。むむむむむむ。つ、つ、つまらん!

 そんなお約束の展開はどうでもよく、お目当てのアクションはどうでしょうか? 『マトリックス』一作目は、

  • CG の積極的な導入
  • 中国系アクション・コレオグラファー(振り付け師)の起用
  • 日本のアニメ/漫画からの引用(剽窃)

 という 3 点で、行き詰まっていたハリウッドアクションに突破口を開いた、…かのように見えたのですが、悲しいかなハリウッドアクションはすでに死んでいたようです。続々と作られた亜流で多用された CG が、ハラハラドキドキを駆逐してしまいました。

 また、せっかく中国系コレオグラファーがカッコいいアクションを創造しても、撮影と編集でズタズタにされ、目も当てられず、「アクションシーンになると眠くなるアクション映画」ばかり、という状況を生み出してしまいました。

 そこへ、真打ち登場! となるはずの『リローデッド』ですが、残念ながら「CG 使い過ぎで、アクションシーンになると眠くなる」傾向から脱しておりません。

 例えば、主人公ネオ VS エージェント・スミス 100 人の対決ですが、ネオはすでにスーパーマンと化しており、他方エージェント・スミスは、なんぼでも増殖可能なので、戦っても決着が着かないことが容易に予想され、「どうでもいい感じ」がプーンと漂います。また、闘いがエスカレートするに連れ、CG が使われる割合が増していくというくだらなさで、「一体、何をやっておるのかー! 喝!」と私は言いたい。

 また、ハイウェイでのアクションは、実際に高速道路を建設して行われ、トリニティが猛スピードで逆走するカットは、「うわー、どうやって撮ったんや!」とのけぞりました。が、「だから何?」と思ってしまうのはどうしたことでしょう。もの凄い迫力ですが、到底ジャッキー・チェン『ポリス・ストーリー』シリーズの命がけアクションの足下にも及んでおりません。

 もはや観客は、主要な登場人物が、滅多なことで死なないことを了解済みであり、その点ではジャッキー映画や、OO7 映画と同じです。そうなってくると、アクションを大がかりにしただけでは面白みは生まれず、代わりに、「いかに窮地を脱するか」という「トンチ」が必要となるのであーる。

「日本のアニメ/漫画からの剽窃」としては、今回エージェント・スミスの複製シーンが『寄生獣』っぽかったり、『殺し屋 1』の次郎・三郎兄弟を思わせる双子が出てくるところに、ウォシャウスキー兄弟のオタク・パワーが炸裂しております。この、次郎・三郎兄弟が「なんかムカついてきた…」とつぶやいたりしてさ、ちょっといい感じなんですが、戦闘シーンになると CG に変身しちゃうからアホらしいじゃぁあーりませんか。度はずれた凶暴さを披露する前に吹っ飛んじゃってさ、勿体ないというか、敵キャラを倒すのは、「トンチ」でなければならないのだよ、と苦言を呈したい。

 ウォシャウスキー兄弟にあらせられては、『寄生獣』『殺し屋 1』に目をつけたのはさすがですが、ぜひ『一休さん』をこそ見ていただいて、日本が誇る「トンチ」を学んでいただきたい、と私は一人ごちたのでした。

 前作では、「トンチ」は無くとも、ネオが「マトリックス」を知るに連れ能力をアップさせる、という具合に、ストーリーとアクションが緊密に絡み合っていたので、アクションシーンも面白く見られたのですけどね。

 とはいえ、預言者のボディガードとネオのカンフー対決や、フランスかぶれオヤジの宮殿での、壁の武器を取りながらのアクションは、ジャッキー・チェンの師匠的存在ユエン・イーピンの振り付けが素晴らしく、カメラ/編集も、アクションを美しく撮ることに専念しており、見事。

 なんだかんだと申しましても、大いに脱力してしまったわけですが、2003 年 11 月には完結編『レヴォリューション』公開が予定されております。ふと、私は、この脱力感も、ウォシャウスキー兄弟の仕掛けたマトリックスの掌中にあるのでは? と、思い当たる。2 作目で大いに脱力させ、完結編への期待感を薄めておき、否が応でも完結編を面白く見てもらおうという戦略ではなかろうか? ここまでつまらない続編には、深謀が込められているに違いない、さすがウォシャウスキー、なかなかやるな。というわけで、ここで大いに脱力しておきましょう。これ単品ではオススメしませんが、完結編のために見ておかなければならないのでオススメです。ていうか、よくわからないところがあるので、もう 1 回見に行こっと。エージェント・スミス最高!!

 長い長いエンドクレジットの後に、完結編の予告編がありますのでお見逃しなく。

(☆= 20 点・★= 5 点)

BABA Original: 2003-Jun-13;

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