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 Book Review 2002・6月22日(SAT.)

ビューティフル・
マインド

シルヴィア・ナサー著

 ノーベル経済学賞受賞の数学者ジョン・ナッシュの半生を描いた同名映画の原作…と言ってよいのでしょうか? えーっと、映画の方のネタにも言及しますので、ご覧になってない方はネタバレご注意。

 ラッセル・クロウが演じた映画のジョン・ナッシュは、人付き合い苦手、おどおどしがち引きこもり数学者です。一方、原作の方はというとですね、圧倒的な天才を自認、とにかく抜きん出た才能を誇示しなければ気が済まず、周囲の人間を小馬鹿にしてやまないヤなヤツなんですわ。映画でナッシュを評し、「頭脳は人の 2 倍、だがそのハートは半分」というセリフがありましたが、原作のナッシュにこそふさわしいセリフなんですね。

 また、ナッシュは映画では女性に対して奥手なヤツとして描かれましたが、原作ではたくましい肉体を誇るナルシスぶり、しかもバイセクシャルでもある発展家なんですね。うーむ、映画と印象がまるで違うなー。印象はともかく、ナッシュの生涯についてもアレコレ改変がなされています。映画ではナッシュが国家機密の任務に関わったことは、なかったことにされてますが、原作では、ちゃんとランド研究所につとめてたり。

 原作は、関係者に丹念にインタビューし、ナッシュの半生を多面的に、客観的に叙述しようとの誠意がうかがえますが、映画は「面白ければ、何でもあり!」な感じなんですね。いや、面白ければ何でもいいし、それなりに面白かったのですが、どこか気色の悪さがつきまとう。それは事実の歪曲具合が変な臭いを発していたから、…でしょうか。

「実話にもとづく」アメリカ映画の滅茶苦茶さは、『パーフェクト・ストーム』でも明らかでした。「実話にもとづく」と看板を掲げながら嵐に巻き込まれた船乗りの行動は作者の想像やんけ。どういうこと? 映画『ビューティフル・マインド』にしても、私の感覚から言わせてもらうと、「これはジョン・ナッシュではない! ナッシュの名を使うべからず」「原作とはあまりに違う! 『ビューティフル・マインド』という題名も使うな!」と文句をつけられても不思議ではない。映画はアメリカの観客からは好評を受け、結局アカデミー賞 4 部門受賞してしまっているわけで、アメリカ人の「事実」「歴史」に対する考え方――「歪曲した者勝ち!」がうかがえます。この「原作本」は、「事実にもとづく」アメリカ映画(だけではないでしょうが)の歴史の捏造っぷりを実感できる恰好のテキストの一例となっております…って、私が余りにナイーヴなだけでしょうか。うーむ。

 そうそう、ナッシュの奥さんは、なぜ分裂病の夫の面倒を見続けたのか? 普通、愛想をつかすやろ、というのが映画の最大の謎。…って、そんなことは理屈のつけようのない謎なのかも知れませんが、事実は、一度離婚し、その後奥さんも精神病を患ってナッシュの苦労がよくわかって復縁したそうなんですな。そこんとこちゃんと描かないとあかんやろ。うーむ。

 そんなことはどうでもよく、ナッシュが成し遂げた業績はごく簡単にアウトラインが示されるだけで数学好きな方には物足りないかと思いますが、戦後アメリカの数学界がどんな雰囲気だったか? とか、ノーベル経済学賞選考の舞台裏、とか、興味深いです。『博士の異常な愛情』のストレンジラヴ博士はフォン・ノイマンがモデルだ、と数学者の間ではもっぱらの噂になっていた、とか。

 映画では「何がビューティフルやねん?」と釈然としなかった題名も、原作ではなるほどモーレツからビューティフル! って感じ、精神分裂病に関する叙述も充実。映画を見て、釈然としないものを感じた方にオススメです。

BABA Original: 2002-Jun-22;

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