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Movie Review 9月16日(SUN.)

けものがれ、
 俺らの猿と

 町田康氏の原作は、私「世の中にこんなに面白い小説があろうか?(いや、無い)」と独りごちたくらいに面白い小説でして、原作を脚本代わりにして素直に撮ったとしても結構な傑作が出来上がったのではないか? と思うのですが、しかるに今回の映画化、うーむと考え込んだのであります。

 例えば、口からソウメンを垂らした着物姿の女性が通りがかる、というシーンがありまして、そこの演出はどうなっているかと申しますと、

  1. 主人公:佐志、道路の前方を見やる。
  2. 前方より顔を伏せた着物姿の女性約 30 名が歩いてくる。
  3. その内の一人、顔をあげる、ここはスローモーション、もやもやーっと音響系というかモンドというか不安感をそそる音楽。女性は呆然たる表情で口からはソウメンを垂らしている。
  4. 目を見ひらき驚愕する佐志。

 …という感じでして、映像上の、若干過剰な演出が加えられていて、これ見よがしに「ほれほれー、奇妙な光景でしょ?」と言わんがばかり。イワンのばか。「不条理な味わい」が原作の良いところなのですが、不条理とは「あれ? 普通道を歩く時にソウメンを口から垂らしたりしないよね? でもそういう私の認識は間違っているのですか?」と、自分の世界認識の方法が揺らいじゃってる事態のことだと思うのですが、わざわざ「変さ」を強調する演出を加えてしまっては面白くも何ともないのです。

 カフカ原作、カイル・マクラクレン主演の『審判』という映画がありまして、アレなんか演出はきわめてオーソドックスでそこはかとなくマジボケの雰囲気が漂ったものですが、「不条理な味わい」を醸すには演出は徹底的にクールでなければならない、倫理的でなければならない、と思うのです。ギャグをかます時に自分で最初に笑っちゃっては面白くない、そういう感じ。

 そんなことはどうでもよくて、鳥肌実が山奥に住むキチガイの役で出演、この鳥肌実のシーンは全てがうまくはまってバチグンの面白さ! 素晴らしいです。

 しかし残念なのは、鳥肌実が最初から変な人物として登場してしまっていて、やはり、主人公が山奥で道に迷って助けられるのですから、一瞬でも観客をホッとさせなきゃならない、そのためには鳥肌実を最初は普通の人物として描写しなければならないと思うのです。しかるに鳥肌、最初から変な人。どんどん「変さ」がエスカレートしていく面白みを殺してしまった、と思うのです。どうでしょう?

 さらに映画の中の少々壊れた世界は、主人公佐志の主観が生み出しているワケですから、一貫して主人公の主観で押し通さなければなりません。それなのに、主人公佐志の救出の瞬間、一瞬鳥肌実の主観ショットが挿入されるのは、きわめて非倫理的な映像と言わざるを得ないのであります。こういうところで、ガックリうなだれてしまうのです。

 そんなこともどうでもよくて、鳥肌実からの脱出で映画は最高のクライマックスを迎えたのに、その後、よくわからない喫茶店のシーンが延々と続くのは如何なものか? 鳥肌実退場とともに映画が終わっていれば、少々不満はあってもなかなかの傑作に成り得たのではないか? と少々惜しい、とか思ったりもします。

 ちょっとだけ出演のドラゴンアッシュ降谷建志もたいそうよい感じ、チョコチョコ素晴らしいところもあって、3 回ほど爆笑、何かとウワサの(?)ナンバーガールの曲も使われているそうなのでオススメ、なんですが原作の方がやっぱり 101000000000000000000000000 倍オススメなのです。

BABA Original: 2001-Sep-16;

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