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Movie Review 2月18日(SUN.)

アンブレイカブル

『シックス・センス』の M ・ナイト・シャマラン監督の新作。2 作目のプレッシャーをはね飛ばして見事な出来映えとなった。恐るべし。MTV 出身監督たちがアメリカ映画を破滅の危機に追いやっている昨今にあって、シャマラン監督は希望の星だ。

 まず、冒頭、アメリカにおける「コミック」の現状が字幕で報告される。年間何万冊出版されて、平均的なマニアは何万冊の蔵書があって…。何だこれは?

 続けて、生まれながらに骨折した黒人の赤ん坊だ。…誰だこれは?

 そして列車事故だ。131 人死亡。ただ独り、ブルース・ウィリスのみが無傷で生き残る。

 はたして、これらにいかなる繋がりがあるのか? 魅力的な謎が示され、驚くべき展開を見せる。ボクは「まさか、こう来るとは!」とビックリしました。『シックス・センス』でもコロリとイカれたし、ホンに素直な観客ですなあ。以下、未見の方は読むべきではない。と言っても読んじゃう人がいるから、適当にぼやかしてます。

 いきなり話変わって最近、四方田犬彦『漫画原論』を読んだのだ。そこで手塚治虫の『落盤』(『手塚治虫全集』 319)が取り上げられ、漫画が「文体」という観点から論じられている。『落盤』では丸こいキャラから、劇画タッチのリアルなキャラへの変遷をたどりつつ同じ物語が繰り返される。作画・コマ割りの変化が深い心理描写を可能にしている、かほどに漫画における「文体」は重要なのですよ、というような内容。

 映画にも「文体」=スタイルというものがある。映画は、コンピュータ・グラフィックスの利用でこれまで映像化不可能だったモノを描けるようになった。コンピュータ編集機も当たり前に使われるようになってきた。音響効果も格段に進歩している。映画は新たな「絵筆」を獲得したといえる。新しい「絵筆」は新しいスタイルを模索することを強いる。

『アンブレイカブル』は、現代アメリカ映画が獲得した「文体」をもって古めの物語を描くとどうなるか? という実験作なのだ。例えば『X- メン』は、新し目のスタイルで古い物語を描いていることに無自覚であったから、変な映画になっちゃったのだな、と気付く。思えば『シックス・センス』も昔ながらの幽霊話を新しいスタイルで語っていたのであることよなあ。

 古い物語であるが、「父性の復権」というか、『ファイト・クラブ』的な「男の攻撃性」の見直し、という現代的なテーマがある。アメリカ社会が抱える問題。世の男たちは、自分が「本当の自分」ではないと思っている。父親は狩りに出かけることによって家庭で自分の居場所を確認することができる、とか。

「本当の自分」を求めるお話、という点は P ・K ・ディック的であり、語り口の端々にディックと同じような、作者の頭の良さを感じる。こういう「本当の自分探し」モノが好きなボクは、今の自分に違和感があるのですかね? どうでもいいですね。賛否が分かれると思うが、オススメ。

BABA Original: 2001-Feb-18;

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