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Movie Review 2000・5月16日(TUE.)

アメリカン・ヒストリーX

公式サイト: http://www.historyx.com/

 ネタをバラす。『ファイト・クラブ』のひ弱な坊や、エドワード・ノートンが一転、筋肉ムキムキのスキンヘッド野郎を演じる。消防士の父親が殺されたのを機に、黒人に対する憎悪をムクムクつのらせ、胸にはナチスの鍵十字の刺青を入れ、白人至上主義者の若きリーダーとなる。黒人を蹴り殺して、刑務所行き。

 弟のエドワード・ファーロングは、兄貴をヒーローと崇めたてまつる。兄貴の釈放を心待ちにしていたが、三年ぶりに出所してきた兄貴は、すっかり改心していましたとさ。良かった良かった、「差別はいけませんね」と、心暖まるメッセージを伝える。待てよ、果たしてこの映画の差別批判は有効なのだろうか。

 例えば「ヤクザ批判」として制作された黒澤明監督の『酔いどれ天使』が、三船敏郎のカッコ良さによって、逆に「ヤクザ礼讃」と受け取られたように、この映画のエドワード・ノートンもキレっぷりが痛快無比で、むしろ白人至上主義のプロパガンダの役割を担っている。「なぜ黒人を徹底的に憎むのか」と、彼が映画で述べる論理に充分反論されているとも思えない。

 また、映画に登場する黒人は、バスケットのゲームで反則をやる、トイレで白人をいじめる、車を盗もうとするなど、タチの悪いところばかりが描かれている。

 兄貴の改心の原因は、刑務所でいかに自分がヒヨッコであったかを思い知らされ、気のいい黒人と友情を結んだことにある。たまたま「良い黒人」と知り合えたから、ということだが、まあ、そういうこともあるだろう。許しがたいのは弟エドワード・ファーロングの改心だ。彼は、兄貴の話を聞いて、アッという間に変節。部屋のナチスグッズをとっとと片づけ、反省のレポートを書く。

 つまり、弟は、常に兄貴の言うことを無批判に受け入れるだけの阿呆なのだ。差別というものが、一面、年長者の意見を鵜呑みにすることによって拡大していることを考えると、この映画は、差別を批判しているようでいて、実は何にも言っていない、と思えてくる。

 パンフによると、これがデビュー作となる CM 出身のトニー・ケイによる最初の編集が「短すぎる」と、プロデューサーが監督の意向とは別に編集したヴァージョンを公開したらしい。えげつない話が妙にヌルいところでまとめられちゃった感が漂い、主張が不明確なのも、そのためだろうか。

 ともあれ、あんまり描かれぬ白人至上主義者の世界を紹介した、という点で評価できるし、エドワード・ノートンがまたまた気色よいので、オススメ。

BABA Original: 2000-May-16;

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